こうべ を た れる いなほ かな。 実るほど頭を垂れる稲穂かな

【実るほど頭を垂れる稲穂かな】英語の意味(類語・対義語)ことわざ英訳例文

こうべ を た れる いなほ かな

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の意味とは? 読み方は「みのるほど こうべをたれる いなほかな」 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は「みのるほど こうべをたれる いなほかな」と読みます。 こうべは「頭」や「首」を意味し、首を垂れて頭を下げるという状態を指します。 また「実るほど頭を垂るる稲穂かな」や「実るほど頭の下がる稲穂かな」など、細かい部分で表現の異なる言い方もあるようです。 意味は「立派な人ほど謙虚な姿勢である」 稲が成長すると実を付け、その重みで実(頭)の部分が垂れ下がってくることから、立派に成長した人間、つまり人格者ほど頭の低い謙虚な姿勢であるという事を意味することわざです。 「頭を垂れる」という言葉自体に「相手に敬意を払って自分を謙る」という意味があるので、稲が立派に成長するに従って、稲穂の部分(稲が実を付けている部分)が垂れ下がってくる様子を、稲と稲穂を成長していく人間に例えています。 「人としてのあり方」を稲穂に見立てている 若い緑色の稲はまっすぐに天に向かってすくすくと成長し、やがて実を付ける稲穂に成長します。 更に稲穂の中の実(お米)が成長してくると、そのしっかりとした実の重みで自然と稲穂の部分が垂れ下がり美しい黄金色になっていきます。 その過程では、強い風雨にさらされたり、冷たい日や暑い日を乗り越えなければ、立派な稲に成長し豊かな実を付けることはできません。 この状態を人間に例えて、若い頃はまっすぐに上だけを向いて立派に成長し、色々な荒波や苦労を乗り越え、立派な人格を形成した人物は、偉くなればなるほど、頭の低い謙虚な姿勢になっていくという意味として表現しています。 一方で、稲穂の中身が立派なお米に育っておらず、実がスカスカのお米だった場合には重みがなく軽い稲穂になってしまいます。 そんな稲穂は、見た目は立派な稲穂に見えますが、穂が垂れるほどの重みがなく、頭が下がってはいません。 稲のこの生態の例えるところは、見た目や肩書きは立派だが、中身が伴っていない人は、虚勢を張って威張るだけの小物であり、人格者とは程遠い人物であるという事を示しています。 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は俳句?作者は誰? 俳句ではなく「ことわざ」として出典されている 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は、季語である「稲」を含み5・7・5で詠まれているので俳句はありがますが、故事成語のことわざとして広く使われています。 「詠み人不詳」の故事成語 広辞苑では詠み人不詳の故事成語としてのことわざとして扱われており、いつの時代に詠まれたのかなどの詳細は今の所不明です。 5・7・5の俳句調に詠まれていることから、俳句が発生した以降に詠まれたという事を推測できるくらいです。 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の類義語 「和光同塵 わこうどうじん 」の意味 仏が仏教の教えを理解できない衆生 民 のために、仏が自身の智徳の光 姿 を隠して人間界に現れ民を救ったことを表し、自分の才能や徳を隠して、世の中に交じって慎み深く、謙虚に暮らすという意味。 「大智如愚 だいちじょぐ 」の意味 優れて賢い人は一見では愚者に見えることということ、本物の賢者は知識を見せびらかさないという意味。 「内清外濁 ないせいがいだく 」の意味 心の中は清らかでありながら外見は汚れたように装い、世俗と上手く付き合っていく処世術を表している。 「金声玉振 きんせいぎょくしん 」の意味 備わっている才知と人徳が釣り合っている人のこと。 孟子が孔子を賛美したとされる言葉。 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の外国語表現 英語では「The boughs that bear most hang lowest. 「The boughs that bear most hang lowest. 」=一番実を付けている枝が一番低く垂れ下がる• 「The more noble, the more humble. 」=高貴な人ほどつつましい• 「Pride will have a fall. 」=高慢は失脚を招く 中国語は「成熟的稻穗低着头」• 「成熟的稻穗低着头」=成熟した稲穂は頭を下げる• 「真人不露相」=才能のある人は軽々しくそれを見せびらかすような事はしない• 「知者不言、言者不知」=知恵のある者は言葉が少なく、言葉の多い者は知恵が少ない 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を座右の銘とする生き方 早稲田大学の姿勢 名門早稲田大学の「三大教旨」は「教育・研究・社会貢献」とのことで、歴史と伝統の中で「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を自然と身に付け「志はあくまで高く、頭 ず はあくまで低く」という早稲田人としての生き方を作り出してきたそうです。 そうして身に付けた「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という生き方を、社会に出てからも生きる姿勢として社会貢献の場に生かす学生作りを指針としているとのことです。 松下幸之助の信条としても有名 パナソニックを一代で世界的な大企業へと成長させ、経営の神様として世界中で知らない人のいない松下幸之助も、この「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を信条として、商売だけでなく人の生きる道として志していました。 多くの人々の心を動かし、世界で通用する企業を作り上げ、常に時代の先と人間を見ていた人格者たる所以なのかもしれません。 まとめ 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の意味や類義語、外国語での表現をみてきました。 人間の成長は、稲が立派な黄金色に育つ過程のように、強風や冷害、その他の困難に打ち勝って行く姿に似ています。 様々な困難に打ち勝ち、心を鍛錬できた人が、「人格者」や「人徳のある人」なのでしょう。 私たちも若い頃から常に成長を目指して努力を惜しまず、たくさんの困難や挫折を経験し、人間としての徳を積んでいき、実るほどに頭を垂れて生きていきたいものです。

次の

実るほど頭を垂れる稲穂かな

こうべ を た れる いなほ かな

謙虚になれ! と主張する人 ちょっと前のことで、正確なことは忘れてしまったんですが、テレビかラジオで、ある人が 「謙虚であると言うことはとても大切なことだ」 という事を力説しておりました。 私自身は、この主張に異を唱えるつもりは毛頭ありません。 ただ、この人が、 「『実るほど、頭を垂れる稲穂かな』という言葉がある。 立派な人、出来た人ほど、謙虚であるものなのだ。 だから、人は皆、勤めて謙虚に生きるべきである。 しかし、最近の若者を見ていると、この謙虚さが足りない 人がかなり目に付いてきており……」 といった事を主張し始めたとき、何とも言えない違和感を覚えたんですよね。 その違和感が何か、しばらくはっきりしなかったのですが、この人が持ち出した、 「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」 という言葉の意味を考えたとき、違和感を覚えた理由が見えてきたんです。 その理由とは…… 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の真の意味 私の身近な人たちのうち、それなりの成功をしている人たちはほとんど皆さん、謙虚な方ばかりです。 しかし、若いうちから謙虚であったか、というと、決してそんなことはなかったようです。 謙虚の反対は傲慢ですが、ほとんどの人は、その傲慢な生き方をしていたようです。 しかし、その傲慢さによって、手痛い失敗や、ひどい経験をしてしまうんですよね。 で、その経験から色々と学んでいくうちに、だんだん望む結果を手に入れられるようになってきて、現在の成功を掴んでいるのです。 逆に、若いうちから謙虚な人で、それなりの成功を納めている人は、意外と少ないように思うんです。 もちろん、ずっと謙虚な生き方をして成功している人も、いるにはいるんですが、数としては非常に少なく、個人的には、よほど元から人間が出来ているような凡人には真似の出来ないような人のように思います。 こういったことを踏まえた上で、 「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」 という言葉の意味を考えて見ると、単に「謙虚は大切」という事を語っている訳では無いことが分かります。 稲穂は、確かに実った後で頭を垂れていますが、苗の状態から、実を付けるまでは、頭を垂れる事はありません。 上へ上へ向けて、ぐんぐん伸びていくわけです。 であるならば、若いうちから頭を垂れて謙虚になど生きていく必要は無く、むしろ傲慢なくらい頭を上げて生きていった方が、立派な実りを得られるのではないか、と私は思うのです。 ですから、もしあなたが未だ若いのであれば、どうか、謙虚に生きようなどと思わず、傲慢なくらいの生き方をしていって下さい。 もちろん、その生き方によって、とんでもない失敗や、手痛い経験をたくさんすることでしょう。 しかし、その経験が多ければ多いほど、それらは未来の自分の財産になります。 そうやって、年齢を重ねながら貴重な経験をたくさんし,そこからたくさんの学びを得た後で、謙虚になるくらいな気持ちでいましょう。 これが、「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」の真の意味だと、私は思うのであります。 成功して謙虚になっている人たちを見ていると、自分自身が意識をしながら謙虚になっているわけではなく、ごく自然にごく当たり前に謙虚な生き方になっているように見えるのです。 以前の私は、これを「その人が謙虚に生きようとしているから」だと思っていたのですが、決してそうではないようなんですよね。 自分自身の実りを実感し、それを受け入れている人は、特別謙虚に生きようとしなくても、自然に謙虚になってしまうんですよね。 逆に言えば、意識をして謙虚に振る舞おうとしているうちは、自分が持っている実りをきちんと受け止められていないような状態であると言えるのかもしれません。 であるならば、謙虚に生きようと努力をするよりも、そのエネルギーを、自分自身が手に入れられている実りを、きちんと受け止めるように心がける事に費やしたほうがいい、と私は思うのです。 そうすると、きっと感謝の気持ちが生まれてくることでしょう。 そして、その感謝の気持ちをしっかり持つ事が出来れば、無理に謙虚に振る舞おうと思わずとも、自然に謙虚になってしまうんでしょうね。 私も、一日でも早く、ごく自然に謙虚になれるよう、今の自分を創ってくれたありとあらゆる人と事に感謝の気持ちをきちんと持って行こうと思います。

次の

こうべをたれるいなほかな。

こうべ を た れる いなほ かな

実るほど頭を垂れる稲穂かな 読み: みのるほどこうべをたれるいなほかな 意味:稲が実を熟すほど穂が垂れ下がるように、人間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、小人物ほど尊大に振る舞うものだということ 稲は成長するにつれて、実が付く部分が重みで下がります。 重みがあればあるほど頭(実が付く部分)が下がるため、下がっている稲ほど立派だと称され、重みのない稲は立派ではないと称されました。 このことから「知識や徳がついた人間ほど、頭の位置が低い謙虚な人間になる」という意味になります。 また「頭を垂れる」には「相手を敬う」という意味があり、この言葉自体にも「立派な人間ほど相手を敬うことができ、謙虚である」という表現があてはまるのです。 つまり「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とは「人間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、小人物ほど尊大に振る舞うものである」という意味になります。 1-1.「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の由来は詠人(よみびと)不明のことわざから 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の由来は現在、詠人(よみびと)不明の故事成語としてのことわざとして扱われています。 そのため、いつの時代に誰が詠んだのかは不明なのです。 推測としては、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」が5・7・5の俳句調に詠まれていることから、俳句発生以降に生まれた言葉ではないかと言われています。• <例文>• あの人ほど謙虚な人はいない、まさに 実るほど頭を垂れる稲穂かなが似合う• 実るほど頭を垂れる稲穂かなという言葉が似合う人になるには、もっと得を学ぶべきである 2-1.「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は座右の銘として使える! 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は座右の銘として使われることがあるのです。 座右の銘とは「常にその人の心に留めておき、自分の励ましや戒めとする言葉」のことを指し、その人の人生の指針になります。 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を座右の銘にしている人は、常に知識と徳を学ぶことを忘れずに、謙虚な姿勢を保ち続けているのです。 早稲田大学が目指す人としての生き方 早稲田大学では歴史と伝統の中で「志はあくまで高く、頭はあくまで低く」という言葉を受け継ぎていき、早稲田人としての生き方を作り出してきました。 この言葉は 大学の三大教旨である「教育・研究・社会貢献」にも反映されており、大学を卒業し社会に出ても、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を根づかせた生き方になるように目指しています。 松下幸之助氏も「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を信条としていた 創設から多くの人気製品を産み出しパナソニックを大企業へと成長させた、経営の神こと松下幸之助(まつしたこうのすけ)氏も、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を信条としていました。 また、松下氏は商売だけでなく人生の指針としても「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を大事にしていたことは有名です。 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」のように謙虚な姿勢で先を見据えることが、成功できた理由だったのでしょう。• 大智如愚 読み: だいちじょぐ 意味:すぐれて賢い人は、一目見たくらいでは愚かな人に見えるが、本当の賢者は知識や才能を見せびらかさないということ 「大智如愚」は「大智は愚の如し」とも読むことができます。 「大智」というのは「知識や徳に優れたもの」を指し、「優れた知恵を持つものは一見愚かに見える」という意味合いになります。 しかし、愚かに見えるのは、その謙虚さゆえに知識をひけらかしていないためです。 つまり「大智如愚」とは「知識や徳はあるけれども、愚かに見えてしまうほど謙虚な人」のことを指しており「実るほど頭を垂れる稲穂かな」が想起させる人物像と似ています。 以上のことから「大智如愚」は「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の類語として扱われます。 「大智如愚」を使った例文は以下です。 <英語表現> The more noble, the more humble(高貴であればあるほど謙虚だ) <中国語表現> 知者不言、言者不知(知るものは言わず、言うものは知らず) それぞれ見ていきましょう。 4-1.「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の英語表現は「The more noble, the more humble」 「noble」には「立派で、高貴で」という意味があり、「humble」には「謙虚」という意味があります。 「more」はそのあと単語を強調する役割をもつ単語ですから「より高貴なものはより謙虚である」という解釈ができます。 「高貴」とは知識や徳を積んだ立派な人を指すことから、この英語表現になりました。 「The more noble, the more humble」をは以下の例文のように使います。 例文:He looks good with the word whether is The more noble, the more humble. (高貴であるほど謙虚だという言葉は彼に似合う) 4-2.「実るほど頭を垂れる稲穂かな」の中国語表現は「知者不言、言者不知」 中国語表現では「知者不言(知るものは言わず)」が知識や徳を持ち謙虚な人を指し、「言者不知(言うものは知らず)」が何も知らない愚かな人を指しています。 こ2つの言葉をあえて並べて比較することで知識や徳がありかつ謙虚な人の偉大さを表現しているのです。 ビジネスシーンでも中国人との会議でよく使われる言葉であるため覚えておくと良いでしょう。 まとめ 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」は「人は 学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、小人物ほど尊大に振る舞うものだということ 」を意味します。 ビジネス上でも使われますし、この言葉を座右の銘としている人は多いです。 意味や使い方を学ぶと同時に、人生の座右の銘にしてみるのも良いでしょう。•

次の