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大阪府堺市南区の映画館一覧

映画館 堺市

堺電気館 Sakai Denki-kwan 市場情報 消滅 略称 電気館 本社所在地 〒590-0028 三国丘御幸通19番地 設立 10月 事業内容 映画の 代表者 代表 本山敬二郎 支配人 峰久 主要株主 本山敬二郎 主要子会社 (泉谷虎吉、1940年代まで) (本山敬二郎) 関係する人物 泉谷虎吉 吉田禎二 新田安信 中村忠次郎 山品廉 特記事項: 略歴 1899年10月 七尾亭開館 1917年 電気館と改称・映画館化 1961年 閉館 堺電気館(さかいでんきかん)は、かつて存在した日本のである。 1899年(32年)10月、(現在の同府同市大町東2丁)に 七尾亭(ななおてい)として開館、1915年(4年)には常設映画館 電気館(でんきかん)となった。 1945年(20年)7月10日ので全焼した。 後、西口に新築・移転した。 1961年(昭和36年)に閉館した。 同市内最古の映画館のひとつであった。 沿革 [ ]• 1899年10月 - 七尾亭として開館• 1915年 - 電気館となる• 1945年7月10日 - で全焼• 1949年前後 - 西口に新築・移転• 1961年 - 閉館 データ [ ]• 所在地 : 三国丘御幸通19番地• 現在の同府同市三国ヶ丘御幸通19番地、跡地に• 移転前 : 同府同市 境内 、現在の同府同市堺区2丁• 経営 :• 泉谷虎吉 (1899年 - 1945年 )• 本山敬二郎 (1949年前後 - 1961年 )• 支配人 :• 吉田禎二 (1920年代 - 1945年 )• 新田安信 (1949年前後 - 1953年)• 中村忠次郎 (1953年 - 1955年 )• 山品廉 (1955年 - 1960年)• 峰久 (1960年 - 1961年 )• 構造 : 木造二階建• 観客定員数 :• 宿院境内の映画館 [ ] 1899年(明治32年)10月、大阪府堺市宿院(現在の同府同市堺区大町東2丁)のの境内に、寄席 七尾亭として開館している。 当時の宿院頓宮は、第二次世界大戦後に再建された現在地(宿院町東2丁1番地6号)ではなく、現在の大町東2丁にあり、同館は宿院に隣接して立地し、すぐ近くにの卯之日座(戦後の)や、寄席の旭席が存在した。 当時の宿院境内、宿院通り、あるいはの交差するこのあたりは、参詣客や商店の客でにぎわっていた。 のもすでに存在し(1912年開業)、沿線の住民もこの地を訪れた。 開館当時の同館は、やの実演を上演するような空間であった。 同館の経営者は泉谷虎吉であった。 同館が映画館に業態を転換したのは1915年(大正4年)であり、 電気館と改名して再開館した。 同年12月発行の『』には、同館の館名が掲載されている。 市内に存在したもう1つの映画館も、天神の名で知られる(現在地・戎之町東2丁1番地38号)の境内にあり、戎座と言った。 1925年(大正14年)に発行された『日本映画年鑑 大正十三・四年』には、 堺電気館として掲載されており、同館の興行系統はであった。 同市内の映画館は、同館を含めてひきつづき3館であり、卯之日館は、戎座はの作品をそれぞれ上映していた。 1927年(昭和2年)に発行された『日本映画事業総覧 昭和二年版』によれば、同館の館主および経営者は泉谷虎吉、支配人は吉田禎二、興行系統はひきつづき帝国キネマ演芸であった。 当時の同館で上映された代表的な作品として、1926年(大正15年)7月1日公開の『劔難』(主演、監督)と、および日活・との4社競作であり、同年2月14日に第一篇が公開された『』(主演、監督、全4篇)を挙げている。 同書には、同年当時の同市内の映画館は、日活作品を上映する卯の日座(宿院、経営・吉村佐吉)、松竹キネマ作品を上映する戎座(花田口町、経営・)のほか、東亜キネマおよびマキノ・プロダクション作品を上映する大和田倶楽部(並松町、経営・今井孝吉)が新たに加わって、同館を含めて合計4館が掲載されてる。 したがって、4社競作の『孔雀の光』は、同市内の4館が同一原作の作品で競合したことになる。 同年10月20日には、関西活動写真業組合が発足し、同館経営者の泉谷虎吉は、幹事を務めた今井孝吉、戎座支配人の米田吟造、卯の日座館主の吉村佐吉、新たに開館した(北安井町)の富士松福松、大和川館(大和川町、のちの)の橋本專太郎とともに同組合に組合員として加盟した。 同館は、帝国キネマ演芸作品の上映館でありつづけたが、1931年(昭和6年)8月28日には帝キネ自体が崩壊し、改組されてになっている。 1940年(昭和15年)前後の時期に、同館経営者の泉谷虎吉は、にあった同名の電気館(のちの、北町28番地)を手中に収め、第二電気館と改称させている。 1942年(昭和17年)には第二次世界大戦による戦時統制が敷かれ、日本におけるすべての映画が同年2月1日に設立されたの配給になり、すべての映画館が紅系・白系の2系統に組み入れられるが、同年発行の『映画年鑑 昭和十七年版』には、同館の興行系統については記載されていない。 同館はひきつづき館主・泉谷虎吉、支配人・吉田禎二という体制で経営が行われており、観客定員数は274名であった。 戦争末期の1945年(昭和20年)7月10日未明に行われた第6回大阪大空襲、いわゆる堺大空襲で宿院一帯は壊滅し、同館も全焼した。 戦後・移転と再開 [ ] 同市中心部は空襲の爪痕が深かったが、1949年(昭和24年)前後には、の西口、三国丘御幸通19番地(現在の堺区三国ヶ丘御幸通19番地)に木造二階建の映画館を新築、この地で営業を再開した。 この新しい場所での電気館の経営は、戦前の泉谷虎吉に代って本山敬二郎が行い、支配人には新田安信が就任した。 一方、戦前に同一経営であった岸和田市の第二電気館のほうも、関西映興を経営する岩崎治良(1900年 - 没年不詳) に経営が代っており、両館の間に資本関係はなくなった。 同館の再開館当時の同市内の映画館は、戦前に(現在の)の直営館であったが当時は東宝および新東宝の二番館であった(北瓦町87番地、経営・正木孝之)、そして復興しての二番館となった太陽館(北安井町11番地、経営・興亜厚生)、同じく復興しての二番館となった菅原館(出口町3番地、経営・小猿福松)、同じく復興して大和川館から改称した邦画混映館の堺劇場(七道東之町124番地、経営・興亞厚生)、と同館を含めて合計5館であった。 戦時中の10館 から半減してのスタートであった。 再開館当初の同館の興行系統は、(: CMPE, セントラル・フィルム・エキスチェンジとも)の独占配給するアメリカ映画であった。 1951年(昭和26年)12月27日にはセントラル映画社は解体されたため、興行系統は輸入映画(洋画)の混映館になった。 1953年(昭和28年)には支配人が中村忠次郎に変わっている。 1956年(昭和31年)に発行された『映画年鑑 1956 別冊 全国映画館総覧』によれば、支配人が山品巌に変わっており、同市内の映画館は同館を含めて14館を数え、わずか5年間で約3倍の数の映画館数となった。 その後、興行系統が松竹・大映・の混映館となり、同館を経営した本山敬二郎は、(現在の阪和線)のの西側、北三国丘町8丁295番地に(観客定員数250名)を新たに開館、経営したが、本山は金岡劇場一本に絞り、1961年(昭和36年)には同館を閉館した。 同年には、同市内の映画館は合計27館を数え、市内映画館数のピークを迎えたが、金岡劇場が閉館する1965年(昭和40年)には、17館に激減していた。 によれば、2009年(平成21年)7月現在の同館跡地は、1981年(昭和56年)に地域再開発により完成し北側に隣接する のである。 ジョルノビルは再々開発が予定されている。 金岡劇場 [ ] 金岡劇場(かなおかげきじょう)は、かつて存在した日本のである。 第二次世界大戦後、堺電気館を復興した本山敬二郎が、1958年(昭和33年)前後の時期、国鉄阪和線(現在の阪和線)のの西側、北三国丘町(現在の同府同市北三国ヶ丘町)に開館した。 本山は堺電気館を1961年(昭和36年)に閉館し、木造一階建・観客定員数250名の同館一本に映画館経営を絞ったが 、1965年(昭和40年)に閉館、映画館事業から撤退した。 所在地 : 北三国丘町8丁295番地 、現在の同府同市北三国ヶ丘町8丁2番地近辺• 経営 : 本山敬二郎• 支配人 : 高松正信• 構造 : 木造一階建• 観客定員数 : 250名 脚注 [ ] []• 472. 678. 281-282. 583. 、中原行夫の部屋(原典『』1932年1月1日号)、2014年2月21日閲覧。 471-472. 173. 358-359. 115-116. 116-117. 179. 174-175. 540. 総覧[1929], p. 136-137. [1965], p. 174. 138-139. 日刊建設通信新聞社. 2013年7月8日. 2017年5月8日閲覧。 参考文献 [ ]• 『』第4巻通巻第30号、、1915年12月• 『キネマ・レコード』第5巻通巻第51号、キネマレコード社、1917年11-12月• 『堺市制三十年史』、、1919年• 『日本映画年鑑 大正十三・四年』、、、1925年発行• 『日本映画事業総覧 昭和二年版』、、1927年発行• 『日本映画事業総覧 昭和三・四年版』、国際映画通信社、1929年発行• 『日本映画事業総覧 昭和五年版』、国際映画通信社、1930年発行• 『映画年鑑 昭和十七年版』、、1942年発行• 『映画年鑑 昭和十八年版』、日本映画協会、1943年発行• 『映画年鑑 1950』、、1950年発行• 『映画年鑑 1951』、時事通信社、1951年発行• 『映画年鑑 1955 別冊 全国映画館総覧』、時事通信社、1955年発行• 『映画年鑑 1956 別冊 全国映画館総覧』、時事通信社、1956年発行• 『映画年鑑 1961 別冊 映画便覧』、時事映画社、1961年発行• 『映画年鑑 1962 別冊 映画便覧』、時事映画社、1962年発行• 『映画年鑑 1965 別冊 映画便覧』、時事映画社、1965年発行• 『』2月上旬号(通巻384号)、、1965年2月1日発行• 『堺商工会議所百年史』、、1982年3月 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• - 2009年7月時点の同館跡地 (・).

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TOHOシネマズ泉北 住所 大阪府堺市南区原山台5-9-5 クロスモール内 行き方 南海高野線栂・美木多駅より徒歩15分 電話番号 050-6868-5012(音声案内) 割引情報• サービスデー 毎月1日 12月1日以外 ・14日1200円• レディースデー 毎週水曜日1200円• 夫婦50割引 2400円• レイトショー 20:00以降1300円• 映画の日 12月1日 1000円• ポイント 6回観ると1回無料• 1ch スクリーン2 210座席 デジタル5. 1ch スクリーン3 205座席 デジタル5. 1ch スクリーン4 337座席 デジタル5. 1ch スクリーン5 411座席 デジタル5. 1ch スクリーン6 210座席 デジタル5. 1ch スクリーン7 204座席 デジタル5. 1ch スクリーン8 190座席 デジタル5. 1ch プレミアスクリーン 94座席 デジタル5.

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