新日本プロレス。 【新日本】34年ぶり復活! 金曜夜8時に「新日本プロレス」テレビ放送

50歳で新日本プロレス登場のディック東郷、トレンド入りに「人生、何が起こるかわかりませんね」(2020年7月13日)|BIGLOBEニュース

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新日本プロレスが136日ぶりにファンの前に帰ってきた。 大阪城ホール大会で2月26日の沖縄大会以来、約4カ月ぶりとなる観客を入れた興行を開催した。 席数は通常の約3分の1にし、3318人が観戦。 選手との接触を禁じるなど、新型コロナウイルス感染予防に努めながら、1歩前へと踏み出した。 失われた新日本プロレスの風景が4カ月ぶりに戻ってきた。 新型コロナウイルスの影響で3月から試合を中止。 6月に3カ月半ぶりに無観客で試合を再開し、動画配信を行ってきたが、プロレスラーにとって反応がないことは寂しく、つらいものだった。 IWGPヘビー級、同インターコンチネンタルの2冠王者内藤哲也(38)は「無観客試合も楽しかったけど、10倍、100倍…比べものにならないぐらい、気持ちいいね」と喜びをかみしめた。 新日本はこの日、観客に大声を控えるよう求めた。 見ている側は声の代わりに拍手で感情を示す。 新たな観戦スタイルが自然と生み出された。 タッグ戦に出場した棚橋弘至(43)は「拍手の響きがとても美しく聞こえました。 上品なホールでクラシックを聴いているような」と例えた。 プロレス界の、そして世界中にファンを持つエンターテインメント界の雄として、観客を入れた興行に踏み出した。 プロレスは密集、密閉、密接の「3密」があてはまるスポーツ。 リスクを避けるため、入念な予防策が取られた。 通常、大阪城ホール大会では1万人超を集めるが、今回は席数を3分の1に絞り、3318人が入場した。 席の間にはシートをかけて十分な間隔を確保。 観客にマスク着用や消毒など、基本的な感染予防を義務づけるのはもちろん、密を避けるために分散入場を実施。 8台のサーモグラフィーを用意し、来場者全員の検温を行った。 また、試合の合間には消毒を実施。 グッズ販売はパンフレットのみで、選手との接触を禁じるなど、できる限りの細かな策を講じた。 参戦予定だった鈴木みのるは発熱の症状があったため、抗体検査、抗原検査は陰性でも大事をとって欠場となった。 ファンも喜びと不安両方を感じながらこの日を迎えた。 フェースシールドを着けた20代の男性は「楽しむために、自主的に着けてきました」。 オカダファンという30代の男性は「いつもより人数が少なくてさみしい。 ここで感染者が出たらさまざまなところに影響が出てしまう。 僕たち見る側も緊張感を持たなければと思っています」と話した。 まだ国内で感染はおさまらず、超満員の会場でプロレスができるまで時間はかかりそうだ。 コロナとの時間無制限の戦いは続く。 【高場泉穂】.

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【牧 元一の孤人焦点】ベクトルは望ましい方に向いているのではないか?アントニオ猪木氏がスポーツ総合雑誌「Number」最新号で、新日本プロレスのオカダ・カズチカと対談している。 新日本プロレスはもともと猪木氏が作った団体だ。 日本プロレスの改革を目指しながら逆に追放された猪木氏が1972年に設立。 タイガー・ジェット・シンやスタン・ハンセンらと名勝負を繰り広げたのもプロボクシング世界ヘビー級王者のムハマド・アリとの異種格闘技戦を実現させたのもそのリングだった。 しかし、猪木氏は2005年、保有していた新日本プロレスの株を売却。 07年には新団体「イノキ・ゲノム・フェデレーション(IGF)」を設立(既に関係を解消)し、たもとを分かつ形になった。 今は猪木氏が新日本プロレスのリングに上って観客にあいさつすることはなく、所属するレスラーたちの試合を客席で見ることもない。 プロ野球で例えるならば、読売ジャイアンツと長嶋茂雄元監督の関係が全く消滅してしまったような状態だ。 猪木氏の現役時代を知らない若いファンにとってはどうでも良いことだろうが、猪木氏に熱い声援を送り続けたオールドファンにすれば寂しい。 ところが、今年2月、その状態に変化の兆しがあった。 オカダが試合終了後、マイクを握って「僕が今、気になっている人のことを言わせてください」と話した上で「アントニオ猪木~ッ!」と叫んだのだ。 団体と無関係の猪木氏の名前が突然飛び出したことで周囲は騒然。 オカダはその時、メディアなどに対して真意を話すことはなかったが、それから約5カ月たって今回の「Number」での対談が実現した。 今後、猪木氏と新日本プロレスの関係がどうなっていくかは不明だ。 長年、猪木氏を取材していると、徐々にプロレスへの思いは薄れているように感じるし、最近になって新日本プロレスへの関心を高めている様子もない。 だが、オールドファンとすれば、猪木氏がもう一度、新日本プロレスのリングに立つ姿を見たい。 今のファンの前で「元気ですかー!」と叫ぶのを聞きたい。 今年は、1960年9月に大木金太郎さんと対戦してプロレスデビューしてから60年の節目に当たり、良いタイミングでもある。 実現すれば、多くのオールドファンを楽しませることになるだろう。 オカダが新日本プロレスの了承を得た上で今回の対談に臨んだのだとすれば、周囲の環境も整いつつあると言える。 あとは猪木氏の気持ち次第だと思うのだが…。 編集局デジタル編集部専門委員。 芸能取材歴約30年。 現在は主にテレビやラジオを担当。

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初代タイガーマスク、藤波-長州の名勝負数え歌、そして燃える闘魂 アントニオ猪木。 1983年当時、新日本プロレスは日本全国に社会現象ともいえる一大ブームを巻き起こしていました。 新日プロの「ワールドプロレスリング」は 金曜夜8時のゴールデンタイムに生中継。 82年には 元旦のゴールデンタイムに生中継されるほどの人気番組でした。 「世界に乱立するチャンピオンベルトを統一する!世界制覇の野望」IWGP構想をブチ上げ、ライバル団体の馬場全日プロに人気と売上で大きく水をあけていました。 まさに我が世の春を謳歌…とみられていた新日プロですが、この時期、実は 団体内部でクーデターが勃発していた事は、プロレスファン以外の方はほとんど知らない事実でしょう。 また、このクーデター事件は当時、マスコミでは部分的にしか報じられず、ようやく年月が経ったここ数年でかなりの関係者が証言をしているのですが、関係当事者が多い上に各自がそれぞれ、自分目線でしか語らないために、実に複雑怪奇、プロレスマニアからしても 全貌がわかり辛い事件です。 私自身、当時は中学生で毎週TV中継を観て、雑誌や書籍などもたくさん読み漁っていましたが実態はさっぱり掴めず、全貌が掴めたのはほんのここ数年です。 今回は、長くプロレス関連でお付き合いのある すけこう氏がまとめてくれた論文を基に、私ならではの編集、再構築をした上で、この事件の全貌に迫りたいと思います。 と、いうのも、この年齢になり、会社の経営やマネジメントに携わるようになって改めてこの事件の詳細に触れると、ヘタな企業ドラマや、戦国歴史モノよりもリアリティと迫力があり、権謀術数、人心掌握など、いろいろと感じるところが多いのです。 *文中、一部敬称略 すべての事の発端は、前章で触れた 「アントンハイセル事業」。 数十億に膨らんだ負債と、ちょうどこのタイミングで発覚した アントニオ猪木の糖尿病の悪化でした。 「いまはいいが、この先この団体はどうなってしまうのか」 強い危機感を抱いた団体フロントスタッフ、選手それぞれが、さらにそれぞれの理由から不満を蓄積していて、それぞれの大義もあり、折からのプロレスブームの追い風を受けながら、 いまこそ何か行動を起こさなければならない、という大きな塊となり、動き始めます。 大枠では 「社長であるアントニオ猪木、副社長の坂口征二、そして営業本部長で猪木のマネージャーである新間寿氏の権力を削ぎ、それ以外のフロント、選手達が主導権を握ろうとしたクーデター」という話なのですが、その クーデター派の中にいたそれぞれが、別の目的と思惑を持ち、個別に動いていた事が、事件を複雑にしていました。 しかし、そんな山本小鉄氏も、内心思うところがありました。 猪木に後進の指導に集中する事を命じられ、 現役引退せざるを得なかった点。 (1980年) そして、真面目で清廉潔白なイメージと裏腹に狂信的なギャンブル好きが高じて巡業費に手をつけ、ついに返済できなくなり 巡業責任者 現場監督 から降ろされた、という点。 それ以来、小鉄氏は猪木と、新たに巡業責任者になった坂口、特に猪木の側近として団体内外で発言力を増していた新間氏に対して、 逆恨みに近い感情を抱いていました。 そんな小鉄氏に、タイガーマスクの原作者である 梶原一騎氏と、日プロの生き残りである ユセフ・トルコ氏が接近。 彼らはなんと、市場を独占している 猪木と馬場の二大巨頭を排除して、鶴田と藤波、長州らをエースとした新団体設立、という謀議を図っていたのです。 さらには83年5月に雑誌編集者への 暴行事件で逮捕となり、この計画は頓挫してしまうことになります。 1983年、大塚氏は役員会や株主総会で 「総売上20億円、繰越利益720万円」という経理状況を目の当たりにし、経理処理の不透明さから、会社の将来に絶望感を抱きます。 大塚氏は部下である同じ営業部の加藤氏と共に新日プロを退社して興業会社を設立する事を決意し、同年6月、山本小鉄氏にその計画を打ち明けます。 大塚氏に対し小鉄氏は「藤波やタイガーを筆頭に他の社員や選手の不満も限界だ。 こうなったら我々だけで新団体を設立しないか? 」と持ちかけ、大塚氏は小鉄氏と行動を共にする事を決意し、水面下で営業と経理スタッフを取りまとめ始めます。 その際の計画は 「藤波がエースの新団体、8月までに設立資金を集めて全員で辞表を提出。 来年2月の旗揚げを目指そう」となっていました。 ヘビー時代には新間氏の辣腕によりニューヨーク、マジソンスクエアガーデン(MSG)での戴冠から帰国後のサクセスストーリーなどで新間氏の寵愛、売り出しを受けていたスター選手であり、一見なんの不満もなさそうな藤波ですが、彼もまた内心は複雑でした。 新間氏によるアントンハイセルへの資金協力で最も被害に遭ったのが藤波と言われ、資産家であるかおり夫人の実家にまで協力を仰ぎ、新日プロの社債を購入。 その額は数千万円にも達し、さすがの藤波も新間氏に対する不満が蓄積していました。 さらには自身のギャラアップは見送られ、長州やキラーカーン、木村健吾らの売り出しへの協力をさせられ、さらにはタイガーマスク、新間氏のプッシュする前田が台頭。 前田は自らが予選落ちしたIWGPに欧州代表で出場する事になります。 そして第1回IWGPの次期シリーズ、1983年サマーファイトシリーズ中の札幌大会宿舎において、山本小鉄氏、大塚氏らから「藤波がエースの新団体設立構想」を打ち明けられます。 「クーデターの成否は藤波の決断次第」と口説かれた藤波は、これに前のめりで賛同を表明しました。 一つ目は原作者梶原一騎の逮捕によるイメージダウンを懸念した 新間氏主導による改名騒動。 それは梶原サイドからの高額な著作権料要求を嫌う判断でもあり、タイガーマスクではない新たなマスクマンとしての再デビュー。 83年6月のIWGP優勝戦のリング上で発表された新ネーミングファン投票や永井豪に依頼しての新たなマスクデザインなど、着々と進んでいました。 もう一つは 自身の結婚問題です。 デビュー当初、国籍不明とされていたタイガーマスクは1982年に日本人宣言、そして1983年に一般女性との結婚を希望していました。 しかし、かつて藤波が婚約と同時に女性人気が低迷したトラウマのあった新間氏は、タイガーの結婚に反対します。 結局「8月にロスの教会で関係者のみで極秘に挙式」ということで決着しましたが、これを機に タイガーマスクと新間氏の仲に亀裂が生じます。 そしてこの頃、タイガーマスクには謎の個人マネージャーがいました。 その名は ショウジ・コンチャ氏。 この人物は純粋なタイガーマスク佐山聡に近づき「君は団体からギャラを搾取されている」と半ば 洗脳に近い形で、いつの間にか私設秘書、個人マネージャーとなっていました。 新間氏はなんとかこの人物とタイガーマスクを引き離そうとしますがそれがかえって軋轢を生み、コンチャ氏はタイガーを新日プロから独立させプロダクションを作ろうと画策し、極秘に全日プロにも接触します 佐山本人は関与していません。 クーデター計画においてタイガーマスクに声をかけたのは藤波で、サマーファイトシリーズ北海道巡業中の苫小牧といわれています。 もちろんコンチャ氏もタイガーマスクの後見人として合流しますが、コンチャ氏は新日プロ社内の混乱に乗じ、ほかの営業部員2人に 「タイガープロダクション構想」を持ちかけ懐柔するなどしていました。 1982年、メキシコからの凱旋帰国直後、試合中にパートナー藤波に猛然と噛み付き、試合そっちのけで仲間割れ。 「俺はお前の噛ませ犬じゃない」との下剋上宣言からの抗争で、一躍 「革命戦士」として大ブレイクを果たします。 (一説ではこの抗争をけしかけたのは猪木であるとされます) いまや興行的にもTV的にも欠かす事のできない人気レスラーになった長州ですが、団体内部の人間関係の煩わしさに嫌気がさし、兄貴分であるマサ斎藤に憧れフリーランスになりアメリカマットへ進出しようと考え始めていました。 長州は折からタッグパートナーになった元国際軍団のアニマル浜口と共に、IWGPシリーズ中の5月16日、三重県津大会を 無断欠場。 ホテルのフロントを通して猪木へメッセージを送ります。 その内容は、 新日プロから脱退したいというものでした。 そしてシリーズ後に記者会見を開き、 フリー宣言しました。 当時のプロレスファンは、IWGPでストーリー的にあぶれた長州を使った話題作り、いわゆるアングルだと認識していましたが、真相はマサ斎藤にAWAへのブッキングを依頼しての ガチの離脱計画でした。 当然、新間氏は説得を試みますが長州の頑なな態度に激怒し、猪木に対して 「売り出してもらった恩も忘れ、長州の身勝手な行動を認めては示しがつきません。 馬場さんとも話をして長州を日本マット界から追放処分にしましょう」と進言します。 しかし 猪木は「選手として長州の気持ちもわかる」と、IWGPの次期シリーズには出場し、藤波に星を返した上でなら、と辞表を受託。 「その後はフリーとして新日マットに上がれ」と温情を見せました。 猪木が長州の行動を認めた裏には、自身が日プロを追われた経験と、さらにはIWGP優勝戦でKO負けし、自らの欠場する次期シリーズに、人気レスラーの長州まで不在ではTV局にも地方のプロモーターにも示しがつかない、という計算もあっての判断でした。 そんな折、長州にもクーデター派からの誘いがかかります。 大塚氏と長州は仲が良く、クーデター派からしても長州はいてもらわないとならない存在でした。 長州は猪木、そして新間氏を排除した新日プロというものはあり得るのか?と疑問を抱きますが、自らの売り出しに貢献してくれたライバルである藤波から「団体を良くするために協力してくれ」と熱心に依頼され、クーデター派の団結誓約書にサインをしましたが、内心はあくまでフリーランス、そして温情を示してくれた猪木寄りでした。 第2部につづきます!.

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