竹内 まりや もう一度 歌詞。 竹内まりや

もう一度 歌詞 / 竹内まりや

竹内 まりや もう一度 歌詞

「くれない族の反乱」です。 1984年4月から、TBS系列で金曜日に放送されています。 大原麗子主演の、当時流行語となった「くれない族」という主婦をテーマにしたドラマでした。 ドラマ最終回のタイトルも、「もう一度」であり、ドラマのために作られた曲という印象がありますね。 物悲しい、切ない歌詞が多い曲ですが、それでも前向きに「もう一度」と思える名曲です。 南果歩主演、定年を向けた女性のセカンドライフを描いたドラマです。 再スタートを切る女性、という点で「くれない族の反乱」と共通点がありますね。 竹内まりや「もう一度」の販売実績は? この「もう一度」は、 結婚・出産で歌手としての活動を休止していた竹内まりやにとって復帰作となります。 作詞作曲活動はしていましたが、自らが歌うシングルとしては、実に2年半ぶりの作品になりました。 セールスとしては、オリコン20位と、決して大ヒットしたという曲ではありません。 1980年に大ヒットを飛ばした「不思議なピーチパイ」と比べると、知名度も低いでしょう。 しかし、竹内まりやの曲のすごいところは、年月が経ってから再評価されることが多いところ。

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竹内まりや「もう一度」が主題歌のドラマは?曲もヒットしたのか?

竹内 まりや もう一度 歌詞

この記事の内容の信頼性について。 確認のための文献やをご存じの方はご提示ください。 、記事の信頼性を高めるためにご協力をお願いします。 議論はを参照してください。 通称「シンガーソング専業主婦」。 本名: 山下 まりや(旧姓:竹内)。 所属レコード会社は。 所属事務所は。 (現)出身で、実家は1877年創業の老舗旅館、。 父親は実業家・元大社町長である。 6人兄弟の三女。 夫は同じくシンガーソングライター・ミュージシャンの。 山下との間に一女がいる。 略歴 [ ] 年少時代 - デビュー直後 [ ] 簸川郡 (現)出身。 生家は正門前に位置する老舗旅館『 』。 4女2男の6人兄弟の三女。 世界で通じるようにとの父の考えから「まりや」と名付けられる。 高等学校在学中に、交換留学制度により・のロックフォールズ・タウンシップ・ハイスクールに留学。 ニックネームはMako。 高校卒業後は文学部の英文学科へ進学。 在学中に音楽サークル「リアル・マッコイズ」に所属。 リーダーはだった。 こので竹内はの従妹らとともにバックコーラスを担当。 杉の作ったバンド「ピープル」でキーボードとコーラスを担当し、第8回関東・甲信越大会(1974年9月7日中野サンプラザ)に「踊りに行こう」という曲で参加しているが、同大会には別グループとして(バックレイン元春セクション)、、桐ヶ谷仁(フェードイン、後にの経営する音楽学校講師を務める)も参加していた。 、より発売された『ロフト・セッションズ 1 』に參加。 「ハリウッド・カフェ」と「8分音符の詩」の2曲を録音する。 この「ハリウッド・カフェ」と「8分音符の詩」はプロモ・オンリーのでシングル・カットされた。 にRCA/よりシングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム『BEGINNING』でデビュー。 不在の時期と重なったため、当初はそのルックスもあいまってアイドル歌手のような役割を担った。 大学では英文科に進んだが、厳しいことで有名なのゼミと音楽活動の両立ができなくなり留年。 のち、1979年のシングル「」で新人賞を獲得、1980年のシングルで化粧品となった「」などがヒットする。 当初は・夫妻やなどが提供する曲を歌っていたが、これに飽き足らず自らも作詞・作曲を手がけるようになった。 この頃にとして竹内の前に現れたのが、後に公私にわたるパートナーとなる山下達郎である。 もっとも、デビュー以前からや山下のライブを見に行っていたと語っており、特に自らのデビューライブ直前に見た山下のライブには大きなインパクトを受けたという。 当初、山下は竹内のレコーディングにアレンジャーとして起用されたが、同じRVC所属のシンガーのレコーディングに際しては、双方がコーラスに起用されるなど、その関わりは密になっていった。 こうして次第に懇意になり、1980年頃から山下のマンションで同棲生活を始めた。 竹内まりやの結婚前の作品は、山下達郎をはじめ、、、()、、、、、、といった作家が提供している。 結婚 - 1990年代 [ ] 、過酷なスケジュールの中で喉を痛めたことや、アイドル的な活動へのオファーと自身の希望する活動とのギャップに悩み、音楽活動に一旦整理をつける意味から一時休業を宣言。 4月に山下と結婚。 これ以降メディア露出はほとんどなくなったが、同時に作詞家・作曲家として活動を開始し、に提供した「」「」などヒットを放つ。 しかし1982年、山下の担当ディレクターがから独立しを設立。 山下も「役員兼所属ミュージシャン」として移籍。 「記念に一枚」のつもりで、にシングル「」、そして全曲を竹内自身が作詞・作曲したアルバム『』をリリース。 このアルバムの構想段階では、以前のように外部作家を起用して制作する予定であったが、休業中に竹内が書きためたオリジナル曲のクオリティの高さに山下が驚き、結果、全曲を自作曲のアルバムとしてリリースすることとなった。 最終的には30万枚以上のヒットになった。 同年、長女が誕生する。 その後は家庭生活を優先したためにライブ活動からも遠のくが、アレンジャー・を務める夫のサポートを受けながら、シンガーソングライターとして活動を続けた。 さらに、1992年にはアルバム『』が発売と同時にミリオン・セラーとなり、1994年のベスト・アルバム『』は売り上げ300万枚を超えるヒットを記録した。 作詞・作曲家としてもの「」() 、の「」(1984年)、の「」()、の「」()など、多くのヒット作を生んだ。 中国詞は「王中言」で、作曲者は本来「竹内まりや」とすべきところが「熊天龍」という全く違う名前になっている。 11月のシングルで、のクリスマス・キャンペーン・ソングとして使用された「」では、当時たまたま観ていた系ドラマ『』に触発され、歌詞に「キムタク」のフレーズを入れたことから、ダメもとを覚悟で・の起用をへ打診したところ、快諾を得てコーラスと冒頭、間奏の台詞に木村が参加している。 2000年代 [ ] 7月、約18年ぶりの本格的なライブを東京(11日、12日)・大阪(31日)で行う (ライブ・アルバム『』収録)。 その後もアルバム『』()、カヴァーアルバム『』()などをリリース。 いずれもオリコンチャート1位を獲得。 には山下のシングル「忘れないで」の作詞を担当など、着実に活動を続けていた。 そして、子育てが一段落したことで2006年からは再び積極的に新譜リリースを行うようになり、2007年には6年ぶりに『』を発表。 『Denim』はオリコンチャート1位入りを果たし、人気を証明した。 楽曲は、の何気ない日常に焦点を当てた歌などが多いが、道ならぬ恋を題材にした曲も多い。 竹内の作品で男女の道ならぬ恋を題材にし始めたのは、ののアルバム『』のテーマに沿う形で提供した楽曲群からであったが、提供した5曲中2曲をアルバム『REQUEST』で竹内がセルフカバーした(さらにもう1曲のセルフカバーが『Denim』の初回特典CDに収録されている)。 これらが高評価を得たことによって、彼女の音楽世界のパブリックイメージのひとつとして定着した。 8月のシングル「」にはのがゲストボーカルとして参加している。 続く5月のシングル「」では 、この曲が主題歌となった系ドラマ『』の主演女優、が竹内たっての希望でコーラスに参加、にも出演している。 、デビュー30年を迎えるこの年、9月には竹内の曲のみで構成された『』が主演で初演された。 から放送が開始された、竹内の故郷である島根県を舞台とした『』では主題歌「」とナレーションを担当、また劇中歌「」をヒロインを務めたへ楽曲提供している。 に、今までの発表曲を集大成したCD3枚組(初回のみボーナスディスク入りの4枚組)のベストアルバム『』が発売された。 このベストアルバムの選曲にあたり、公式サイトで楽曲のファン投票を行い、NHK『』1周年記念特別番組にて発表した。 には、東京国際フォーラムで開かれた作・編曲家の活動35周年記念のコンサートにサプライズゲストとして登場し、林が手がけた「September」「象牙海岸」の2曲を生披露した。 、で開かれたのフェスティバルホール最後の公演に、「私も、フェスティバルホールにさよならをさせて欲しい」との意向でアンコールのサプライズゲストとして出演。 「人生の扉」「September」を披露。 またダブルアンコールで「」(山下とのデュエット)も披露した。 2009年、山下のコンサートツアー東京最終公演(追加公演を除く)にあたる中野サンプラザホールの公演にも、アンコールのサプライズゲストとして出演。 「September」を披露し、残り2曲のコーラス隊にも参加した。 2010年代 [ ] 2010年に北海道で行われた野外フェス『 2010 in EZO』に山下が出演した際、バックコーラスの一人として全曲に参加。 同年、10年ぶりの本格的なライブである『souvenir again』の初日にピアノ弾き語りで「」を披露した。 この曲はドラマ『』で主題的な意味を持つ重要な曲であり作詞家はMiyabiとされていたが、自身がペンネームを用いて作詞したことを明かした。 、結婚30周年(真珠婚)を迎えた。 同年9月2日、『』に山下が出演した際、スペシャルゲストとして登場し、「家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)」「元気を出して」を披露した。 には出身地のからの依頼を受け、の60年に一度ののこの年に、故郷への想いを歌った「愛しきわが出雲」を書き下ろして楽曲提供。 出雲の市民コーラス隊と共に、地元でレコーディングしたには、デビュー35周年の記念企画として「リンダ」、「」、「」など他アーティストへの提供楽曲を集めた2枚組『』を発売。 自ら監修・選曲を手がけ、楽曲解説も自ら執筆。 初回限定盤には自身が歌った提供楽曲のデモバージョンなどのレア音源も収録された。 2014年、7月デビュー35周年アニバーサリイヤーを飾るシングル「静かな伝説(レジェンド)」リリース。 竹内自身の発案で桑田佳祐、原由子をコーラスに迎え、山下達郎も加えた4人での楽曲制作が「蒼氓」以来26年ぶりに実現した。 同年9月、7年ぶりのアルバム「TRAD」をリリース。 オリコンチャート2週連続で1位獲得。 第56回日本レコード大賞「最優秀アルバム賞」を受賞した。 また、同年11月から12月にかけて1981年以来33年ぶりに6都市9公演の全国ツアーも行う。 同年11月19日、ムーン移籍後最初のアルバムである『VARIETY』の30周年記念盤をリリース。 3月、出雲市から特別功労者として表彰を受ける。 出雲市に楽曲「愛しきわが出雲」を提供し、地域への愛着醸成に貢献した功績による受賞であった。 同年5月、第6回を受賞。 2月、嵐のニューシングル「復活LOVE」の作詞を手掛ける。 作曲・編曲は山下達郎。 同年4月、テレビ東京系列経済ニュース番組「ワールドビジネスサテライト」のエンディングテーマを書き下ろす。 2017年3月までの1年間放送。 3月から実家である竹野屋旅館の事実上のオーナーとなっている。 同年7月15日には第三者の手でに80年代の曲「」がアップロードされ、作品リリースのない海外でも視聴され、には多数回再生され話題となった。 同年11月22日、『REQUEST』の30周年記念盤をリリース。 、デビュー40周年を迎える。 それを記念してにはシングル「小さな願い/今を生きよう」をリリース、には初のファンミーティングを開催した。 からはデビューアルバム『BEGINNING』の40周年記念リマスター盤が発売されたことを皮切りに、RCA/RVC時代のカタログが最新リマスターとボーナストラック付きで順次発売された。 3月、(大衆芸能部門)を受賞。 39年ぶりにNHKスタジオにて歌唱。 ディズニー映画『ダンボ』(ティム・バートン監督)にて日本版エンドソング『ベイビーマイン』歌唱。 同年5月、「関ジャム完全燃SHOW(テレビ朝日系列)にて竹内まりや特集がオンエア。 9月、40周年記念アルバム『Turntable』をリリース。 オリコンチャート1位を記録し、これにより「昭和・平成・令和3時代で1位を獲得した初の女性アーティスト」となると同時に、「女性最年長1位獲得アーティスト」(64歳6ヶ月)となった。 10月、映画「最高の人生の見つけ方」(犬童一心監督・吉永小百合・天海祐希共演)主題歌「旅のつづき」を書き下ろし、シングル・リリースする。 11月、第61回 輝く!日本レコード大賞にて「特別賞」受賞。 1月1日発売の「いのちの歌」(スペシャル・エディション)が13日付オリコン週間シングルランキングで1位獲得。 64歳10ヶ月での1位獲得は歴代最年長記録。 「カムフラージュ」以来、21年1ヶ月ぶりの1位インターバル記録を樹立した。 公演は3番目のトリとして出演。 約1時間半の公演時間で、14曲を歌唱した。 山下達郎もバックメンバーとして参加し 、最後には二人のデュエット曲「」も披露している。 この模様は『Souvenir〜Mariya Takeuchi Live』としてアルバム化された。 これ以降も、2007年10月13日に開催された、などが出演した野外ライブ『風に吹かれて』で、シークレットゲストとしてサプライズ登場し、「」を、などの出演者とともに披露し 、また、長年の音楽仲間であるセンチメンタル・シティ・ロマンスのコンサートのサプライズゲストで持ち歌を披露するなど、必ずしもライブに否定的ではなく、またまりや本人も以降のライブ活動に対して意欲を見せていた(11月27日のNHK『』でのインタビューにて)。 また12月5日に厚木市民文化会館で行われた、夫・山下達郎のコンサートで、「まりやのコンサートもこのメンバーでやる」との発言があり、ライブへの本格復帰が期待されていたが、2010年8月29日にゲスト出演した『』と公式サイトにおいて、10年ぶりの本格的なライブである『souvenir again』を12月3日・4日に日本武道館で、12月21・22日に大阪城ホールで開催することを発表した。 その後、このコンサートのライブ音源の一部は2011年2月27日の同番組内で「夫婦放談番外編」として放送された。 2014年には11月22日から12月21日にかけて、33年ぶりとなる全国ツアー『souvenir 2014』を全国6都市、9公演開催した。 2018年には、デビュー40周年を記念して過去3度に渡って開催されたコンサートの模様を期間限定で『souvenir the movie~Mariya Takeuchi Theater Live~』と題し、映画館での上映が決定した。 (共演:)、(共演:松たか子、コブクロ、、)を披露した。 ゲスト出演 作曲家35周年記念 スペシャルサンクスコンサート ~Hit Song File 1ヶ所、1公演 林哲司の記念コンサートに、シークレットゲストとして出演。 林が作曲した、を披露した。 2008年- ゲスト出演 山下達郎 PERFORMANCE 2008-2009 2ヶ所、2公演 2008年 2009年 山下達郎のフェスティバルホール解体前の最終公演に「私も、フェスティバルホールに、さよならを言わせて欲しい」との意向で、アンコールにゲスト出演。 、、ダブルアンコールでは、山下と共にを披露した。 またツアー最終公演となる中野公演では、アンコールにを披露した。 ジョイントライブ 1ヶ所、2公演 ・ 日本武道館 10月31日に出演することが発表され、「元気を出して」、「人生の扉」を披露。 30日は山下達郎とサプライズ出演し、「レット・イット・ビー・ミー」を披露した。 ゲスト出演 山下達郎 PERFORMANCE 2013 1ヶ所、1公演 中野サンプラザ 山下達郎のライブアンコールに、サプライズ出演。 山下と共に「レット・イット・ビー・ミー」を披露した。 ゲスト出演 SPACE SHOWER TV 25TH ANNIVERSARY SPACE SHOWER SWEET LOVE SHOWER 2014 1ヶ所、1公演 山中湖交流プラザきらら 山下達郎が出演した夏フェス「SWEET LOVE SHOWER 2014」に、サプライズ出演し、「プラスティック・ラブ」を披露した。 ファンミーティング MARIYA TAKEUCHI ファンミーティング(プレミアム・ミニライブ&トーク) 2ヶ所、3公演 竹内まりやデビュー40周年を記念し、シングル「」と、シアターライブ「souvenir the movie 〜 MARIYA TAKEUCHI Theater Live〜」のムビチケカードの両方を購入した応募者の中から、抽選で2,500人を招待した初のファンミーティング。 人物 [ ]• 作曲の際はまたはを使う。 音楽的な原点は、のやなどの欧米ポップスの作品をや、など日本人歌手が訳詞して歌っていた。 だが、人生で最も大きな影響を与えた存在はビートルズ。 アルバム「ヴァラエティ」の中の「マージービートで唄わせて」は、彼らへの想いを表したオマージュ・ソングである。 尚、大学時代はジェイムズ・テイラーなどのシンガーソングライター、ウェストコーストサウンド、ザ・バンド、ニール・ヤングなどを好んで聴いていた。 エピソード [ ] 時代に『』()に出演して、大口コンテストで一般人の口の中に大量のを押し出す役をさせられたとき、「私はいったい何をやっているんだろう?」と悩み、以後テレビの出演を結婚までに段階的に縮小した。 達郎とのなれそめについては、元々、達郎の音楽のファンであったが、同じレコード会社の先輩後輩という関係となり、「芸能人運動会みたいな番組に出て悩んで行き詰まったときに、いろいろと相談に乗ってくれたのが、結婚に至ったきっかけ」と話している。 結婚に際して、山下からのプロポーズの言葉はなく「結婚しようか」くらいだったという。 ちなみに山下が一番好きな曲は「」。 基本的に竹内がライブをやらない理由は、「子育てや家庭を優先するため」と語っており、夫・山下から制限を受けたり、遠慮・気遣いではない、と明言している。 実際、子育てが落ち着いた2000年以降には、「souvenir」(2000年 東京・大阪)「souvenir again」(2010年 東京・大阪)「souvenir 2014」(2014年@東京・大阪・札幌・仙台・広島・福岡)と銘打ったライブを行っている。 2013年のインタビューでは、ステージで歌うよりも、スタジオで緻密に音楽作りをするほうが好きだと述べている。 通称である「シンガーソング専業主婦」は山下が命名したものであり、竹内自身は「専業」ではなく「兼業」であると突っ込みを入れている。 前述の実家の老舗旅館が経営難に陥った際、両親や兄弟への感謝の思いもあり、廃業や売却から救うために改装費用を含めたリニューアルの資金を出して事実上のオーナーとなった。 1~フィーチャーリング・フィメール・ヴォーカリスツ」 8分音符の詩(作詞:/作曲:/編曲:) Various Artists「ロフト・セッションズ VOL. 『グランデーヌ ルクサージュ』CMソング たそがれダイアリー テレビ朝日系ドラマ『』主題歌 Dear Angie〜あなたは負けない TBS系『』エンディングテーマ(2013年度 - ) Your Eyes TBS系ドラマ『』主題歌 静かな伝説(レジェンド) フジテレビ系『』エンディングテーマ アロハ式恋愛指南 映画『』主題歌 プラスティック・ラブ 開局15周年記念特別ドラマ『』主題歌 Let It Be Me フジテレビ系ドラマ『』劇中歌 今日の想い 系『(WBS)』エンディングテーマ 小さな願い 映画『』主題歌 今を生きよう Seize the Day NHK『』主題歌 旅のつづき 映画『』主題歌 受賞歴 [ ]• 1998年 第19回 主題歌賞(『カムフラージュ』、ドラマ『』主題歌)• 2015年• 第7回CDショップ大賞「マエストロ賞」• 特別功労者として出雲市より表彰• 第6回岩谷時子賞• 2019年• 第69回芸術選奨 文部科学大臣賞(大衆芸能部門• 「みんなのハッピーバースデイ」• 「」(作詞のみ)• アンジュネッツ「LOVE GAME」• 「パジャマ・パーティ」• ・・「うわさのSUPER GIRL」(作詞のみ)• 「恋人たち」• 愛しきわが出雲市民合唱団、岩谷ホタル「愛しきわが出雲」• 「My Darling」(作曲のみ)• KINYA「涙のデイト」「夏の記憶」• 「Sweet Rain」「Heart Beat」• 「イブの告白」(作詞のみ)• 「目抜き通りの6月」(作詞のみ)• JIVE「Smile Again」(作曲のみ)• 「僕達の日々」(作詞のみ)• 「Guilty」(作詞のみ)「Misty Mauve」(作詞のみ)• 「」(日本語詞)• 「今夜だけナルシスト」(作詞のみ)• 「You&I」(作詞のみ)• 「浮気なルナ」• 「」「新しい朝」• 「」「公園通りの日曜日」「遥か1000マイルの彼方」(作詞のみ)• 「らせん階段」「55ページの悲しみ」• 「Subject: さようなら」• 「5月生まれ」「AFTER SCHOOL」• 「Whisky Boy」(作詞のみ)「想いは風に」(補作詞)「幻影(イリュージョン)」(作詞のみ)「ニコニコ・ワイン」(作詞のみ)「SEE YOU AGAIN」(作詞のみ)• 「月夜のタンゴ」(作詞のみ)「残り香」(作詞のみ)• 「寒い夏」(作詞のみ)「Mighty Smile(魔法の微笑み)」(作詞のみ)「忘れないで」(作詞のみ) メディア出演 [ ] デビュー直後は多くの音楽番組へ出演したが、1981年に活動を一時休止した後はメディア露出が非常に少ない。 ただ夫のと異なり、テレビ番組やでは顔を見せている。 ラジオ [ ]• 『Pom Pop White Pop』(文化放送• 『竹内まりやのおしゃれフロック』(文化放送:1981年まで約1年間)平日深夜24時代に帯番組で放送。 『』(系列):毎年8月・12月の後半に2週連続で出演。 「夫婦放談」と称し、夫婦ならではの喋りを披露している。 現時点で唯一のレギュラー出演番組といえる。 テレビ [ ]• 『』(1978年12月11日・1979年9月3日・1980年1月28日・3月3日・7月28日 ・1980年9月1日・1980年12月8日、)• 『』(1979年1月22日、)• 『』(1979年2月22日・1979年9月6日・11月29日・1980年3月27日、)• 『』(1979年6月17日・11月11日・1980年3月9日、NHK総合)• 『』(1979年9月3日、)• 『』(1979年9月25日、)• 『』(1979年10月8日)• 『』(1979年10月11日)• 『』(1979年10月24日)• 『第10回』(1979年11月23日、)• 『』(1979年11月29日、フジテレビ)• 『第8回』(1979年12月18日、フジテレビ)• 『』(1979年12月26日、NHK総合)• 『』(1979年12月31日、TBS)• 『スーパージャム'79-'80』(1979年12月31日、フジテレビ)• 『』(1980年3月20日 - 5月15日・1989年9月28日(電話の声のみ出演)、TBS)• 『なつかしのヒットポップス』(1980年6月7日、NHK総合)• 『』(1980年10月4日 - 1981年3月27日、フジテレビ) - と司会を担当。 『』(1980年6月17日・1980年9月16日・1981年2月17日・1981年10月15日・2019年8月17日、フジテレビ) - ・・・・と共演。 『』(1981年4月2日、NHK総合)• 『』(1993年12月31日(電話の声のみ出演。 同時にアルバム『』がこの年のベストアルバム賞を受賞し、この日のために制作された「」の歌唱シーンをフルサイズで収録したビデオクリップが放送された。 このビデオクリップがフルサイズで放送されたのは、この時ただ一度だけである。 『』第1回 ・第42回(2007年4月11日・2008年4月2日、NHK総合)• 『』(2008年6月20日、TBS) - 最終回ゲスト• 『』(2008年9月29日 - 2009年3月28日、NHK総合) - ナレーション• (2019年5月12日、テレビ朝日) - スチール写真のみ出演。 (番組独占インタビューを行い、インタビュー時のスチール写真に合わせて、テレビ朝日アナウンサーのがインタビュー内容を話すという形で出演した。 (2019年12月31日、NHK総合) - 特別企画で初出場 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 公式HPの「ロビー」の項に「実家」であることが明記されている。 同期留学生には後に国際となるがいた。 慶應大文学部の同期には歌手・の長男でタレント・俳優のがいる。 豊和は一時期歌手活動も行っており、竹内とも共演している。 夫・山下達郎は三波春夫ファンで、洋楽の傍ら「」もよく歌っているという。 この時の名義は、「竹内マリヤ」。 のちにもに同曲を歌った。 それ以前にも縁故のあるミュージシャンのライブのサプライズゲストに登場し、数曲洋楽カヴァーを歌うことはあった。 『』での「」の曲解説によれば、「本人はあくまでもアンチ不倫派」であるとのこと。 投票結果は『』を参照。 山下はライブ会場としての日本武道館に否定的な考えがあるので、自身のライブでは使用することはない。 詳しくはの項を参照。 竹内の野外ライブへの出演は27年ぶりのことで、このライブの模様は、2008年4月9日にで放送された『』にてフルサイズで放送された。 1989年9月10日CDシングル化再発。 1999年6月2日再発。 1989年9月10日CDシングル化再発。 6枚目のアルバム『』からのシングルカットで、リミックスした2曲を収録した12インチ・シングル仕様。 その内の1曲「PLASTIC LOVE Extended club mix は1989年に再発されたシングル「夢の続き」(「夢の続き '89 Remix 」)のカップリング曲として収録された。 1989年9月10日CDシングル化再発。 1989年9月10日CDシングル化再発。 1989年9月10日シングルとしての「夢の続き」は再発だがミックスとカップリングを変更。 再発盤のタイトルは「夢の続き('89 Remix)」。 アマチュア時代の音源を「竹内マリヤ」名義にて収録。 アマチュア時代の音源を「竹内マリヤ」名義にて収録。 この出演時にとの交際を正式に公表した。 出典 [ ]• 2018年6月21日 9時0分• 2013年7月30日閲覧。 西日本のすてきな宿「高枕」. 2013年8月21日閲覧。 インプレッションズ. reddit. 2020年1月21日閲覧。 三波豊和の『こんな話あんな話』 2011年3月2日. 2013年12月24日閲覧。 2010年12月5日村松崇継オフィシャルブログ『作曲家 ピアニスト 村松崇継の独り言』• 2010年12月5日三倉佳奈オフィシャルブログ『三倉さんちの次女ブログ』• スポーツ報知 報知新聞社. 2013年9月24日. 2013年10月6日閲覧。 2015年5月27日. 2015年5月27日閲覧。 2017年5月30日. 2018年8月22日閲覧。 2018年12月25日閲覧。 東京都・CT102スタジオからの歌唱• 音楽ナタリー. 2007年8月8日. 2017年11月13日閲覧。 ORICON STYLE. 2018年6月16日閲覧。 チケットぴあ. 2010年8月30日. 2017年11月13日閲覧。 音楽ナタリー. 2012年9月2日. 2018年6月16日閲覧。 NwesWalker. 2014年9月3日. 2018年6月16日閲覧。 2017年11月13日閲覧。 MUSICMAN-NET. エフ・ビー・コミュニケーションズ 2018年11月19日. 2019年3月20日閲覧。 竹内まりや スペシャルサイト. WARNER MUSIC JAPAN 2014年9月10日. 2014年12月18日閲覧。 鳴田麻未 2013年. ナターシャ. 2014年5月29日閲覧。 「」2014年9月13日放送分より。 PRIME 2017年5月16日. 2017年5月16日閲覧。 - ナタリー、2013年5月1日• 音楽ナタリー 2016年2月26日. 2016年2月26日閲覧。 ナターシャ. 2018年4月17日. 2018年4月18日閲覧。 竹内まりや 2018年7月19日. 2018年8月10日閲覧。 竹内まりや 2018年7月31日. 2018年7月31日閲覧。 ORICON STYLE 2016年1月14日. 2016年1月15日閲覧。 関連項目 [ ]• - 夫• - 慶應義塾大の先輩(竹内同様、中退している)。 所属していた音楽サークル「リアル・マッコイズ」(後に「ピープル」と名称変更)のリーダーだった。 外部リンク [ ]• - RCA/RVC時代の旧譜は2009年以降、ソニーミュージック()のカタログになっている。 - 2008年、デビュー30周年を記念して1年間限定で開設された。 更新は終了している。 - デビュー40周年特設サイト.

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竹内まりや「カムフラージュ」の歌詞の意味はダブル不倫5分前?!

竹内 まりや もう一度 歌詞

この記事の内容の信頼性について。 確認のための文献やをご存じの方はご提示ください。 、記事の信頼性を高めるためにご協力をお願いします。 議論はを参照してください。 通称「シンガーソング専業主婦」。 本名: 山下 まりや(旧姓:竹内)。 所属レコード会社は。 所属事務所は。 (現)出身で、実家は1877年創業の老舗旅館、。 父親は実業家・元大社町長である。 6人兄弟の三女。 夫は同じくシンガーソングライター・ミュージシャンの。 山下との間に一女がいる。 略歴 [ ] 年少時代 - デビュー直後 [ ] 簸川郡 (現)出身。 生家は正門前に位置する老舗旅館『 』。 4女2男の6人兄弟の三女。 世界で通じるようにとの父の考えから「まりや」と名付けられる。 高等学校在学中に、交換留学制度により・のロックフォールズ・タウンシップ・ハイスクールに留学。 ニックネームはMako。 高校卒業後は文学部の英文学科へ進学。 在学中に音楽サークル「リアル・マッコイズ」に所属。 リーダーはだった。 こので竹内はの従妹らとともにバックコーラスを担当。 杉の作ったバンド「ピープル」でキーボードとコーラスを担当し、第8回関東・甲信越大会(1974年9月7日中野サンプラザ)に「踊りに行こう」という曲で参加しているが、同大会には別グループとして(バックレイン元春セクション)、、桐ヶ谷仁(フェードイン、後にの経営する音楽学校講師を務める)も参加していた。 、より発売された『ロフト・セッションズ 1 』に參加。 「ハリウッド・カフェ」と「8分音符の詩」の2曲を録音する。 この「ハリウッド・カフェ」と「8分音符の詩」はプロモ・オンリーのでシングル・カットされた。 にRCA/よりシングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム『BEGINNING』でデビュー。 不在の時期と重なったため、当初はそのルックスもあいまってアイドル歌手のような役割を担った。 大学では英文科に進んだが、厳しいことで有名なのゼミと音楽活動の両立ができなくなり留年。 のち、1979年のシングル「」で新人賞を獲得、1980年のシングルで化粧品となった「」などがヒットする。 当初は・夫妻やなどが提供する曲を歌っていたが、これに飽き足らず自らも作詞・作曲を手がけるようになった。 この頃にとして竹内の前に現れたのが、後に公私にわたるパートナーとなる山下達郎である。 もっとも、デビュー以前からや山下のライブを見に行っていたと語っており、特に自らのデビューライブ直前に見た山下のライブには大きなインパクトを受けたという。 当初、山下は竹内のレコーディングにアレンジャーとして起用されたが、同じRVC所属のシンガーのレコーディングに際しては、双方がコーラスに起用されるなど、その関わりは密になっていった。 こうして次第に懇意になり、1980年頃から山下のマンションで同棲生活を始めた。 竹内まりやの結婚前の作品は、山下達郎をはじめ、、、()、、、、、、といった作家が提供している。 結婚 - 1990年代 [ ] 、過酷なスケジュールの中で喉を痛めたことや、アイドル的な活動へのオファーと自身の希望する活動とのギャップに悩み、音楽活動に一旦整理をつける意味から一時休業を宣言。 4月に山下と結婚。 これ以降メディア露出はほとんどなくなったが、同時に作詞家・作曲家として活動を開始し、に提供した「」「」などヒットを放つ。 しかし1982年、山下の担当ディレクターがから独立しを設立。 山下も「役員兼所属ミュージシャン」として移籍。 「記念に一枚」のつもりで、にシングル「」、そして全曲を竹内自身が作詞・作曲したアルバム『』をリリース。 このアルバムの構想段階では、以前のように外部作家を起用して制作する予定であったが、休業中に竹内が書きためたオリジナル曲のクオリティの高さに山下が驚き、結果、全曲を自作曲のアルバムとしてリリースすることとなった。 最終的には30万枚以上のヒットになった。 同年、長女が誕生する。 その後は家庭生活を優先したためにライブ活動からも遠のくが、アレンジャー・を務める夫のサポートを受けながら、シンガーソングライターとして活動を続けた。 さらに、1992年にはアルバム『』が発売と同時にミリオン・セラーとなり、1994年のベスト・アルバム『』は売り上げ300万枚を超えるヒットを記録した。 作詞・作曲家としてもの「」() 、の「」(1984年)、の「」()、の「」()など、多くのヒット作を生んだ。 中国詞は「王中言」で、作曲者は本来「竹内まりや」とすべきところが「熊天龍」という全く違う名前になっている。 11月のシングルで、のクリスマス・キャンペーン・ソングとして使用された「」では、当時たまたま観ていた系ドラマ『』に触発され、歌詞に「キムタク」のフレーズを入れたことから、ダメもとを覚悟で・の起用をへ打診したところ、快諾を得てコーラスと冒頭、間奏の台詞に木村が参加している。 2000年代 [ ] 7月、約18年ぶりの本格的なライブを東京(11日、12日)・大阪(31日)で行う (ライブ・アルバム『』収録)。 その後もアルバム『』()、カヴァーアルバム『』()などをリリース。 いずれもオリコンチャート1位を獲得。 には山下のシングル「忘れないで」の作詞を担当など、着実に活動を続けていた。 そして、子育てが一段落したことで2006年からは再び積極的に新譜リリースを行うようになり、2007年には6年ぶりに『』を発表。 『Denim』はオリコンチャート1位入りを果たし、人気を証明した。 楽曲は、の何気ない日常に焦点を当てた歌などが多いが、道ならぬ恋を題材にした曲も多い。 竹内の作品で男女の道ならぬ恋を題材にし始めたのは、ののアルバム『』のテーマに沿う形で提供した楽曲群からであったが、提供した5曲中2曲をアルバム『REQUEST』で竹内がセルフカバーした(さらにもう1曲のセルフカバーが『Denim』の初回特典CDに収録されている)。 これらが高評価を得たことによって、彼女の音楽世界のパブリックイメージのひとつとして定着した。 8月のシングル「」にはのがゲストボーカルとして参加している。 続く5月のシングル「」では 、この曲が主題歌となった系ドラマ『』の主演女優、が竹内たっての希望でコーラスに参加、にも出演している。 、デビュー30年を迎えるこの年、9月には竹内の曲のみで構成された『』が主演で初演された。 から放送が開始された、竹内の故郷である島根県を舞台とした『』では主題歌「」とナレーションを担当、また劇中歌「」をヒロインを務めたへ楽曲提供している。 に、今までの発表曲を集大成したCD3枚組(初回のみボーナスディスク入りの4枚組)のベストアルバム『』が発売された。 このベストアルバムの選曲にあたり、公式サイトで楽曲のファン投票を行い、NHK『』1周年記念特別番組にて発表した。 には、東京国際フォーラムで開かれた作・編曲家の活動35周年記念のコンサートにサプライズゲストとして登場し、林が手がけた「September」「象牙海岸」の2曲を生披露した。 、で開かれたのフェスティバルホール最後の公演に、「私も、フェスティバルホールにさよならをさせて欲しい」との意向でアンコールのサプライズゲストとして出演。 「人生の扉」「September」を披露。 またダブルアンコールで「」(山下とのデュエット)も披露した。 2009年、山下のコンサートツアー東京最終公演(追加公演を除く)にあたる中野サンプラザホールの公演にも、アンコールのサプライズゲストとして出演。 「September」を披露し、残り2曲のコーラス隊にも参加した。 2010年代 [ ] 2010年に北海道で行われた野外フェス『 2010 in EZO』に山下が出演した際、バックコーラスの一人として全曲に参加。 同年、10年ぶりの本格的なライブである『souvenir again』の初日にピアノ弾き語りで「」を披露した。 この曲はドラマ『』で主題的な意味を持つ重要な曲であり作詞家はMiyabiとされていたが、自身がペンネームを用いて作詞したことを明かした。 、結婚30周年(真珠婚)を迎えた。 同年9月2日、『』に山下が出演した際、スペシャルゲストとして登場し、「家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)」「元気を出して」を披露した。 には出身地のからの依頼を受け、の60年に一度ののこの年に、故郷への想いを歌った「愛しきわが出雲」を書き下ろして楽曲提供。 出雲の市民コーラス隊と共に、地元でレコーディングしたには、デビュー35周年の記念企画として「リンダ」、「」、「」など他アーティストへの提供楽曲を集めた2枚組『』を発売。 自ら監修・選曲を手がけ、楽曲解説も自ら執筆。 初回限定盤には自身が歌った提供楽曲のデモバージョンなどのレア音源も収録された。 2014年、7月デビュー35周年アニバーサリイヤーを飾るシングル「静かな伝説(レジェンド)」リリース。 竹内自身の発案で桑田佳祐、原由子をコーラスに迎え、山下達郎も加えた4人での楽曲制作が「蒼氓」以来26年ぶりに実現した。 同年9月、7年ぶりのアルバム「TRAD」をリリース。 オリコンチャート2週連続で1位獲得。 第56回日本レコード大賞「最優秀アルバム賞」を受賞した。 また、同年11月から12月にかけて1981年以来33年ぶりに6都市9公演の全国ツアーも行う。 同年11月19日、ムーン移籍後最初のアルバムである『VARIETY』の30周年記念盤をリリース。 3月、出雲市から特別功労者として表彰を受ける。 出雲市に楽曲「愛しきわが出雲」を提供し、地域への愛着醸成に貢献した功績による受賞であった。 同年5月、第6回を受賞。 2月、嵐のニューシングル「復活LOVE」の作詞を手掛ける。 作曲・編曲は山下達郎。 同年4月、テレビ東京系列経済ニュース番組「ワールドビジネスサテライト」のエンディングテーマを書き下ろす。 2017年3月までの1年間放送。 3月から実家である竹野屋旅館の事実上のオーナーとなっている。 同年7月15日には第三者の手でに80年代の曲「」がアップロードされ、作品リリースのない海外でも視聴され、には多数回再生され話題となった。 同年11月22日、『REQUEST』の30周年記念盤をリリース。 、デビュー40周年を迎える。 それを記念してにはシングル「小さな願い/今を生きよう」をリリース、には初のファンミーティングを開催した。 からはデビューアルバム『BEGINNING』の40周年記念リマスター盤が発売されたことを皮切りに、RCA/RVC時代のカタログが最新リマスターとボーナストラック付きで順次発売された。 3月、(大衆芸能部門)を受賞。 39年ぶりにNHKスタジオにて歌唱。 ディズニー映画『ダンボ』(ティム・バートン監督)にて日本版エンドソング『ベイビーマイン』歌唱。 同年5月、「関ジャム完全燃SHOW(テレビ朝日系列)にて竹内まりや特集がオンエア。 9月、40周年記念アルバム『Turntable』をリリース。 オリコンチャート1位を記録し、これにより「昭和・平成・令和3時代で1位を獲得した初の女性アーティスト」となると同時に、「女性最年長1位獲得アーティスト」(64歳6ヶ月)となった。 10月、映画「最高の人生の見つけ方」(犬童一心監督・吉永小百合・天海祐希共演)主題歌「旅のつづき」を書き下ろし、シングル・リリースする。 11月、第61回 輝く!日本レコード大賞にて「特別賞」受賞。 1月1日発売の「いのちの歌」(スペシャル・エディション)が13日付オリコン週間シングルランキングで1位獲得。 64歳10ヶ月での1位獲得は歴代最年長記録。 「カムフラージュ」以来、21年1ヶ月ぶりの1位インターバル記録を樹立した。 公演は3番目のトリとして出演。 約1時間半の公演時間で、14曲を歌唱した。 山下達郎もバックメンバーとして参加し 、最後には二人のデュエット曲「」も披露している。 この模様は『Souvenir〜Mariya Takeuchi Live』としてアルバム化された。 これ以降も、2007年10月13日に開催された、などが出演した野外ライブ『風に吹かれて』で、シークレットゲストとしてサプライズ登場し、「」を、などの出演者とともに披露し 、また、長年の音楽仲間であるセンチメンタル・シティ・ロマンスのコンサートのサプライズゲストで持ち歌を披露するなど、必ずしもライブに否定的ではなく、またまりや本人も以降のライブ活動に対して意欲を見せていた(11月27日のNHK『』でのインタビューにて)。 また12月5日に厚木市民文化会館で行われた、夫・山下達郎のコンサートで、「まりやのコンサートもこのメンバーでやる」との発言があり、ライブへの本格復帰が期待されていたが、2010年8月29日にゲスト出演した『』と公式サイトにおいて、10年ぶりの本格的なライブである『souvenir again』を12月3日・4日に日本武道館で、12月21・22日に大阪城ホールで開催することを発表した。 その後、このコンサートのライブ音源の一部は2011年2月27日の同番組内で「夫婦放談番外編」として放送された。 2014年には11月22日から12月21日にかけて、33年ぶりとなる全国ツアー『souvenir 2014』を全国6都市、9公演開催した。 2018年には、デビュー40周年を記念して過去3度に渡って開催されたコンサートの模様を期間限定で『souvenir the movie~Mariya Takeuchi Theater Live~』と題し、映画館での上映が決定した。 (共演:)、(共演:松たか子、コブクロ、、)を披露した。 ゲスト出演 作曲家35周年記念 スペシャルサンクスコンサート ~Hit Song File 1ヶ所、1公演 林哲司の記念コンサートに、シークレットゲストとして出演。 林が作曲した、を披露した。 2008年- ゲスト出演 山下達郎 PERFORMANCE 2008-2009 2ヶ所、2公演 2008年 2009年 山下達郎のフェスティバルホール解体前の最終公演に「私も、フェスティバルホールに、さよならを言わせて欲しい」との意向で、アンコールにゲスト出演。 、、ダブルアンコールでは、山下と共にを披露した。 またツアー最終公演となる中野公演では、アンコールにを披露した。 ジョイントライブ 1ヶ所、2公演 ・ 日本武道館 10月31日に出演することが発表され、「元気を出して」、「人生の扉」を披露。 30日は山下達郎とサプライズ出演し、「レット・イット・ビー・ミー」を披露した。 ゲスト出演 山下達郎 PERFORMANCE 2013 1ヶ所、1公演 中野サンプラザ 山下達郎のライブアンコールに、サプライズ出演。 山下と共に「レット・イット・ビー・ミー」を披露した。 ゲスト出演 SPACE SHOWER TV 25TH ANNIVERSARY SPACE SHOWER SWEET LOVE SHOWER 2014 1ヶ所、1公演 山中湖交流プラザきらら 山下達郎が出演した夏フェス「SWEET LOVE SHOWER 2014」に、サプライズ出演し、「プラスティック・ラブ」を披露した。 ファンミーティング MARIYA TAKEUCHI ファンミーティング(プレミアム・ミニライブ&トーク) 2ヶ所、3公演 竹内まりやデビュー40周年を記念し、シングル「」と、シアターライブ「souvenir the movie 〜 MARIYA TAKEUCHI Theater Live〜」のムビチケカードの両方を購入した応募者の中から、抽選で2,500人を招待した初のファンミーティング。 人物 [ ]• 作曲の際はまたはを使う。 音楽的な原点は、のやなどの欧米ポップスの作品をや、など日本人歌手が訳詞して歌っていた。 だが、人生で最も大きな影響を与えた存在はビートルズ。 アルバム「ヴァラエティ」の中の「マージービートで唄わせて」は、彼らへの想いを表したオマージュ・ソングである。 尚、大学時代はジェイムズ・テイラーなどのシンガーソングライター、ウェストコーストサウンド、ザ・バンド、ニール・ヤングなどを好んで聴いていた。 エピソード [ ] 時代に『』()に出演して、大口コンテストで一般人の口の中に大量のを押し出す役をさせられたとき、「私はいったい何をやっているんだろう?」と悩み、以後テレビの出演を結婚までに段階的に縮小した。 達郎とのなれそめについては、元々、達郎の音楽のファンであったが、同じレコード会社の先輩後輩という関係となり、「芸能人運動会みたいな番組に出て悩んで行き詰まったときに、いろいろと相談に乗ってくれたのが、結婚に至ったきっかけ」と話している。 結婚に際して、山下からのプロポーズの言葉はなく「結婚しようか」くらいだったという。 ちなみに山下が一番好きな曲は「」。 基本的に竹内がライブをやらない理由は、「子育てや家庭を優先するため」と語っており、夫・山下から制限を受けたり、遠慮・気遣いではない、と明言している。 実際、子育てが落ち着いた2000年以降には、「souvenir」(2000年 東京・大阪)「souvenir again」(2010年 東京・大阪)「souvenir 2014」(2014年@東京・大阪・札幌・仙台・広島・福岡)と銘打ったライブを行っている。 2013年のインタビューでは、ステージで歌うよりも、スタジオで緻密に音楽作りをするほうが好きだと述べている。 通称である「シンガーソング専業主婦」は山下が命名したものであり、竹内自身は「専業」ではなく「兼業」であると突っ込みを入れている。 前述の実家の老舗旅館が経営難に陥った際、両親や兄弟への感謝の思いもあり、廃業や売却から救うために改装費用を含めたリニューアルの資金を出して事実上のオーナーとなった。 1~フィーチャーリング・フィメール・ヴォーカリスツ」 8分音符の詩(作詞:/作曲:/編曲:) Various Artists「ロフト・セッションズ VOL. 『グランデーヌ ルクサージュ』CMソング たそがれダイアリー テレビ朝日系ドラマ『』主題歌 Dear Angie〜あなたは負けない TBS系『』エンディングテーマ(2013年度 - ) Your Eyes TBS系ドラマ『』主題歌 静かな伝説(レジェンド) フジテレビ系『』エンディングテーマ アロハ式恋愛指南 映画『』主題歌 プラスティック・ラブ 開局15周年記念特別ドラマ『』主題歌 Let It Be Me フジテレビ系ドラマ『』劇中歌 今日の想い 系『(WBS)』エンディングテーマ 小さな願い 映画『』主題歌 今を生きよう Seize the Day NHK『』主題歌 旅のつづき 映画『』主題歌 受賞歴 [ ]• 1998年 第19回 主題歌賞(『カムフラージュ』、ドラマ『』主題歌)• 2015年• 第7回CDショップ大賞「マエストロ賞」• 特別功労者として出雲市より表彰• 第6回岩谷時子賞• 2019年• 第69回芸術選奨 文部科学大臣賞(大衆芸能部門• 「みんなのハッピーバースデイ」• 「」(作詞のみ)• アンジュネッツ「LOVE GAME」• 「パジャマ・パーティ」• ・・「うわさのSUPER GIRL」(作詞のみ)• 「恋人たち」• 愛しきわが出雲市民合唱団、岩谷ホタル「愛しきわが出雲」• 「My Darling」(作曲のみ)• KINYA「涙のデイト」「夏の記憶」• 「Sweet Rain」「Heart Beat」• 「イブの告白」(作詞のみ)• 「目抜き通りの6月」(作詞のみ)• JIVE「Smile Again」(作曲のみ)• 「僕達の日々」(作詞のみ)• 「Guilty」(作詞のみ)「Misty Mauve」(作詞のみ)• 「」(日本語詞)• 「今夜だけナルシスト」(作詞のみ)• 「You&I」(作詞のみ)• 「浮気なルナ」• 「」「新しい朝」• 「」「公園通りの日曜日」「遥か1000マイルの彼方」(作詞のみ)• 「らせん階段」「55ページの悲しみ」• 「Subject: さようなら」• 「5月生まれ」「AFTER SCHOOL」• 「Whisky Boy」(作詞のみ)「想いは風に」(補作詞)「幻影(イリュージョン)」(作詞のみ)「ニコニコ・ワイン」(作詞のみ)「SEE YOU AGAIN」(作詞のみ)• 「月夜のタンゴ」(作詞のみ)「残り香」(作詞のみ)• 「寒い夏」(作詞のみ)「Mighty Smile(魔法の微笑み)」(作詞のみ)「忘れないで」(作詞のみ) メディア出演 [ ] デビュー直後は多くの音楽番組へ出演したが、1981年に活動を一時休止した後はメディア露出が非常に少ない。 ただ夫のと異なり、テレビ番組やでは顔を見せている。 ラジオ [ ]• 『Pom Pop White Pop』(文化放送• 『竹内まりやのおしゃれフロック』(文化放送:1981年まで約1年間)平日深夜24時代に帯番組で放送。 『』(系列):毎年8月・12月の後半に2週連続で出演。 「夫婦放談」と称し、夫婦ならではの喋りを披露している。 現時点で唯一のレギュラー出演番組といえる。 テレビ [ ]• 『』(1978年12月11日・1979年9月3日・1980年1月28日・3月3日・7月28日 ・1980年9月1日・1980年12月8日、)• 『』(1979年1月22日、)• 『』(1979年2月22日・1979年9月6日・11月29日・1980年3月27日、)• 『』(1979年6月17日・11月11日・1980年3月9日、NHK総合)• 『』(1979年9月3日、)• 『』(1979年9月25日、)• 『』(1979年10月8日)• 『』(1979年10月11日)• 『』(1979年10月24日)• 『第10回』(1979年11月23日、)• 『』(1979年11月29日、フジテレビ)• 『第8回』(1979年12月18日、フジテレビ)• 『』(1979年12月26日、NHK総合)• 『』(1979年12月31日、TBS)• 『スーパージャム'79-'80』(1979年12月31日、フジテレビ)• 『』(1980年3月20日 - 5月15日・1989年9月28日(電話の声のみ出演)、TBS)• 『なつかしのヒットポップス』(1980年6月7日、NHK総合)• 『』(1980年10月4日 - 1981年3月27日、フジテレビ) - と司会を担当。 『』(1980年6月17日・1980年9月16日・1981年2月17日・1981年10月15日・2019年8月17日、フジテレビ) - ・・・・と共演。 『』(1981年4月2日、NHK総合)• 『』(1993年12月31日(電話の声のみ出演。 同時にアルバム『』がこの年のベストアルバム賞を受賞し、この日のために制作された「」の歌唱シーンをフルサイズで収録したビデオクリップが放送された。 このビデオクリップがフルサイズで放送されたのは、この時ただ一度だけである。 『』第1回 ・第42回(2007年4月11日・2008年4月2日、NHK総合)• 『』(2008年6月20日、TBS) - 最終回ゲスト• 『』(2008年9月29日 - 2009年3月28日、NHK総合) - ナレーション• (2019年5月12日、テレビ朝日) - スチール写真のみ出演。 (番組独占インタビューを行い、インタビュー時のスチール写真に合わせて、テレビ朝日アナウンサーのがインタビュー内容を話すという形で出演した。 (2019年12月31日、NHK総合) - 特別企画で初出場 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 公式HPの「ロビー」の項に「実家」であることが明記されている。 同期留学生には後に国際となるがいた。 慶應大文学部の同期には歌手・の長男でタレント・俳優のがいる。 豊和は一時期歌手活動も行っており、竹内とも共演している。 夫・山下達郎は三波春夫ファンで、洋楽の傍ら「」もよく歌っているという。 この時の名義は、「竹内マリヤ」。 のちにもに同曲を歌った。 それ以前にも縁故のあるミュージシャンのライブのサプライズゲストに登場し、数曲洋楽カヴァーを歌うことはあった。 『』での「」の曲解説によれば、「本人はあくまでもアンチ不倫派」であるとのこと。 投票結果は『』を参照。 山下はライブ会場としての日本武道館に否定的な考えがあるので、自身のライブでは使用することはない。 詳しくはの項を参照。 竹内の野外ライブへの出演は27年ぶりのことで、このライブの模様は、2008年4月9日にで放送された『』にてフルサイズで放送された。 1989年9月10日CDシングル化再発。 1999年6月2日再発。 1989年9月10日CDシングル化再発。 6枚目のアルバム『』からのシングルカットで、リミックスした2曲を収録した12インチ・シングル仕様。 その内の1曲「PLASTIC LOVE Extended club mix は1989年に再発されたシングル「夢の続き」(「夢の続き '89 Remix 」)のカップリング曲として収録された。 1989年9月10日CDシングル化再発。 1989年9月10日CDシングル化再発。 1989年9月10日シングルとしての「夢の続き」は再発だがミックスとカップリングを変更。 再発盤のタイトルは「夢の続き('89 Remix)」。 アマチュア時代の音源を「竹内マリヤ」名義にて収録。 アマチュア時代の音源を「竹内マリヤ」名義にて収録。 この出演時にとの交際を正式に公表した。 出典 [ ]• 2018年6月21日 9時0分• 2013年7月30日閲覧。 西日本のすてきな宿「高枕」. 2013年8月21日閲覧。 インプレッションズ. reddit. 2020年1月21日閲覧。 三波豊和の『こんな話あんな話』 2011年3月2日. 2013年12月24日閲覧。 2010年12月5日村松崇継オフィシャルブログ『作曲家 ピアニスト 村松崇継の独り言』• 2010年12月5日三倉佳奈オフィシャルブログ『三倉さんちの次女ブログ』• スポーツ報知 報知新聞社. 2013年9月24日. 2013年10月6日閲覧。 2015年5月27日. 2015年5月27日閲覧。 2017年5月30日. 2018年8月22日閲覧。 2018年12月25日閲覧。 東京都・CT102スタジオからの歌唱• 音楽ナタリー. 2007年8月8日. 2017年11月13日閲覧。 ORICON STYLE. 2018年6月16日閲覧。 チケットぴあ. 2010年8月30日. 2017年11月13日閲覧。 音楽ナタリー. 2012年9月2日. 2018年6月16日閲覧。 NwesWalker. 2014年9月3日. 2018年6月16日閲覧。 2017年11月13日閲覧。 MUSICMAN-NET. エフ・ビー・コミュニケーションズ 2018年11月19日. 2019年3月20日閲覧。 竹内まりや スペシャルサイト. 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