ルース ベネディクト。 文化の定義/文化概念の検討:ルース・ベネディクト:粘土でできたコップ

レイシズム 講談社学術文庫 : ルース・ベネディクト

ルース ベネディクト

・日本人ってどんな人? ・外国人からどのように見られているのだろうか? ・日本人の評判っていいの? 日本人は自分たちのことを知りたがる人間です。 書店に行くと日本人論を説くものが多い。 これまで様々な 日本論や 日本人論が提唱されてきましたが、その古典と言われるものがです。 は 学校の教科書にもでてくる書籍ですが、ちゃんと読んだことがない人は結構多いのではないのではないでしょうか? 知っていたとしても、 アメリカ文化を 「罪の文化」と言い、 日本文化を 「恥の文化」と提唱したというくらいの認識しかないと思います。 私も、本書を読むまではそのような認識でした。 しかし、を読めば、 なぜルース・ベネディクトが日本を 「恥の文化」と言ったのかがよくわかります。 そう呼ぶまでの論理過程が個人的には重要だと思いました。 そして、単なる 日本人論ではなく、 実は結構現代にも関係している内容がたくさんあります。 そしてルース・ベネディクトは日本というものをよく勉強しているなと感心させられました。 本記事では以下のことが学べます。 本書の冒頭で次のように述べています。 日本人はアメリカがこれまでに国をあげて戦った敵の仲で、最も気心の知れない敵であった。 大国を敵とする戦いで、これほどはなはだしく異なった行動と思想の習慣を考慮の中に置く必要に迫られたことは今までにないことであった。 そして 日本人の性格は矛盾していると言っています。 日本人は最高度に、喧嘩好きであると共におとなしく、軍国主義的であると共に耽美的であり、不遜であると共に礼儀正しく、頑固であると共に順応性に富み、従順であると共にうるさくこづき回されることを憤り、忠実であると共に不忠実であり、勇敢であると共に臆病であり、保守的であると共に新しいものを喜んで迎え入れる。 彼らは自分の行動を他人がどう思うのだろうか、ということを恐ろしく気にかけると同時に、他人に自分の不行跡がしられない時には罪の誘惑に負かされる。 このように、ルース・ベネディクトの混乱ぶりが表れています。 日本人には、アメリカ人などのように 一貫した行動指針がないように思えたのです。 そこで、 ルース・ベネディクトは、「日本人の生活のどこかに、そのような異様さを生みいだす、何かあるごく当たりまえの条件が存在するに違いないと考え」ました。 これが、日本人研究の発端となりました。 ちなみに、研究対象としては、 「市井の人」あるいは「平凡人」を選び、日本人の行動を徹底して 文化人類学的に調べたのです。 ちなみに、この 階層的秩序は後述する特徴の根底ともなる概念です。 かなり重要視しています。 日本は階層的秩序 ハイアラキー を樹立するために闘わねばならない。 この秩序の指導者はーそれはむろん日本である。 何となれば、日本は上から下まで真に階層的に組織されている唯一の国であり、従っておのおのがその「所」を得ることの必要性を最もよく理解しているからである。 最も重要なものの一つは、その階層制度に対する信仰と信頼である。 それは平等を愛するわれわれアメリカとは相容れないものであるが、しかしそれにもかかわらず、われわれは、階層制度ということによって日本は何を意味していたのか、またこの制度にどういう長所があると考えてきたのかということを理解する必要がある。 ルース・ベネディクトにとって、 日本人の階層的秩序意識はとても大きなものだったのでしょう。 この 階層的秩序意識は、 会社の上下関係や年齢の若老だけではありません。 昔ながらの家族の中での上下関係や世間との間の上下関係、国と自分との関係性などあらゆるものに自分の階層的位置関係を見てとることです。 ルース・ベネディクトの述べる階層的秩序とはかなり意味が広いのです。 日本は必ず精神力で物質力に勝つ、と呼んでいた。 なるほどアメリカは大国である、軍備もまさっている、しかしそれがどうしたというのだ、そんなことは皆はじめから予想されていたことであり、われわれははじめから問題にしていないのだ、と彼らは言っていた。 アメリカが終始一貫して物量の増大に専念していたように、日本は非物質的手段を利用する点において完全に首尾一貫していた。 日本もアメリカと同じように、生産増強運動を起こさねばならなかったが、その運動は日本独特の前提の上にもとづいていた。 彼らの言によれば、精神が一切であり、永久不滅のものであった。 物質的な事物もむろん重要ではあるが、それらは二の次のもので長続きはしない。 日本人の精神論は筋がね入りのものだと思います。 敗戦ですら精神論を持ち出すほど、日本人の精神論信仰は根強かったのです。 ルース・ベネディクトがこのような結論を出したのは、 捕虜兵士への聞き取り調査からです。 しかし、その日本兵士だけではなく国民すらも精神論で戦争を見ていたのです。 驚きですが、今でもあまり笑えない事実ですね。 日本人は、自分がどのような立場であるのか、自分が他と比べてどの位置にいるのかを強く意識するのです。 いやしくも日本人を理解しようとするに当たって、まず取り上げねばならないのは、「各人が自分にふさわしい位置を占める」ということの意味について、日本人はどう考えているかということである。 彼らの秩序と階層制度に対する信頼と、われわれの自由平等に対する信仰とは、極端に異なった態度であって、われわれには階層制度を一つの可能な社会機構として正しく理解することは困難である。 日本の階層制度に対する信頼こそ、人間相互の関係、ならびに人間と国家との関係に関して日本人の抱いている観念全体の基礎をなすものであって、家族、国家、宗教生活および経済生活などの如き、彼らの国民的制度を記述することによってはじめて、われわれは彼らの人生観を理解することができる。 日本人の階層秩序意識から生まれる 「自分の立ち位置」を理解することが日本人を理解する上でとても重要なのです。 この 自分の立ち位置を階層的に理解する方法は、 国際関係を考える時にも採用していたと述べています。 この理解が反映されている現象として、 「言葉使い」をルース・ベネディクトは挙げています。 日本は近年いちじるしく西欧化されたにもかかわらず、依然として貴族主義的な社会である。 人と挨拶をし、人と接触する時には必ず、お互いの社会的間隔の性質と度合いとを指示せねばならない。 日本人は他人に向かって、Eat 食え とか、Sit down 座れ とか言うたびごとに、相手が親しい人間であるか、目下の者であるか、あるいはまた目上の者であるかによって別な言葉を使う。 この階層的秩序意識からの自己の立ち位置の理解は、個人の行動にまで浸透しているのです。 日本人は他のいかなる主権国にもまして、行動が末の末まで、あたかも地図のように精密にあらかじめ規定されており、めいめいの社会的地位が定まっている世界の中で生活するように条件づけられてきた。 法と秩序とがそのような世界の中で武力によって維持されていた二百年の間に、日本人はこの綿密に企図された階層制度をただちに安全ならびに保証と同一視することを学んだ。 では、 なぜここまで日本人は自分の立ち位置を意識して行動していたのでしょうか? 理由は単純で、単に 安全や保証 を得たいからだとルース・ベネディクトは述べます。 日本人が綿密な行動の「地図」を好みかつ信頼したのには、一つのもっともな理由があった。 その「地図」は人が規則に従う限り必ず保証を与えてくれた。 確かに、それぞれの立ち位置からそれぞれの行動が導きだされると安心や保証はあります。 しかし、 かなり窮屈な生活ですよね。 日本人の柔軟性に欠けるところや変化に弱いところがこの性質に反映されているようです。 その背景にはどういう意識があるのでしょうか? それが、日本人の 負い目だとルース・ベネディクトは結論します。 彼らは過去に負目を負うものである。 西欧人が祖先崇拝と名づけているものの大部分は実は崇拝ではなく、また祖先にだけ向けられているのでもない。 それは人間が過去一切の事物に対して負っている大きな債務を認める儀式である。 さらに彼が負債を負っているのは、過去に対してだけではない。 他人との日々の接触のことごとくが、現在におけるかれの債務を増大する。 彼の日ごとの意志決定と行動とはこの負債から生じてこなくてはならない。 このような債務の倫理が円滑に行われるためには、各人がそれぞれ、彼が負わされている義務を履行するに当たって大した不快を感じることなしに、自分を大きな負目を負うものと考えるようになっていなければならない。 われわれはすでに、日本において階級制度がいかに徹底的に組織されているかということを見てきた。 この階層制度に付随する幾多の習慣が忠実に守られているいるために、日本人はその道徳的債務を西欧人には思いもよらなぬ程度にまで尊重することができるのである。 こうして、世間や外界に対しての 負い目が日本人の行動を規定しています その顕著な例として、 「忠」や「孝」そして、「義理」などの繊細な概念を持ち出します。 これらの分析が日本人顔負けの分析なのですが、今回は割愛します。 この 負い目が果たされなかったり、礼儀等が守られず、自分の名が汚されたりすることを極端に避ける日本人は、 恥を嫌う民族とも言えるでしょう。 こうして、ルース・ベネディクトの有名な言葉が出てきます。 日本人は罪の重大さよりも恥の重大さに重きを置いているのである。 そして 日本を「恥を基調とする文化」とし、アメリカを「罪を基調とする文化」としたのです。 まとめると以下のようになります。 日本人はアメリカ人からすると他の民族と比べて特殊• 日本人の根底には階層的秩序意識がある。 精神論を重んじる。 過去や世間に対する負い目が階層的秩序意識の基盤となっている。 日本は「恥の文化」、アメリカは「罪の文化」 日本は「恥の文化」だという意味の根底には、階層的秩序意識からの自分の立ち位置の自覚があるように思われます。 単に「恥の文化」だと言われても、なぜなのかがわかりません。 ここまで読んでようやく「恥の文化」の意味が分かります。 以前古典を読む意味について書いたことがあります。 「」 この記事ですが、古典を読む意義として古典を読むことでしか得られないものを得るためということを挙げました。 は、そのことが如実に現れている書籍のような気がします。 What i do not realize is in fact how you are not actually a lot more smartly-appreciated than you might be right now. You're very intelligent. You recognize therefore significantly when it comes to this matter, made me in my opinion imagine it from numerous numerous angles. Its like men and women don't seem to be involved until it's one thing to accomplish with Woman gaga! Your personal stuffs excellent. Always handle it up!

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「日本も人種差別に向き合うべきです」 ルース・ベネディクト「レイシズム」訳者の思い

ルース ベネディクト

「ベネディクト16世」は教皇名で、さすがに本名だと思っている人はいないだろう。 就任時に選ぶこの教皇名は、代々の法王の想いが込められていて、興味深い。 聖人であるから、もちろん、ヘンな名前はタブーだ。 教皇の歴史年表をみていると、おおよそパターンがみえてくる。 そもそも、「ベネディクト」はラテン語で「 祝福されたもの」を意味する。 どこか深~ぃ感じもする。 ということで、聖なる「ベネディクト」のルーツを追ってみることにした。 ルース ベネディクトの母親は宣教師で敬虔なクリスチャンだったが、ルース本人はそれを毛嫌いしていたフシがあるので、「聖なる名」とは関係なさそうだ。 そもそも、ベネディクトは、彼女の結婚相手の生化学者スタンレー ベネディクトからきている。 ルース ベネディクトを有名たらしめた「菊と刀」は、第二次世界大戦中に、彼女がアメリカ政府から日本文化の研究を依頼されたことに始まる。 当時、アメリカ軍は南太平洋で日本軍と戦っていたが、 「敵を知り、己を知れば、百戦して危うからず」 つまり日本人を知るためであった。 彼女は、第二次世界大戦後、コロンビア大学を休職してまで「菊と刀」の執筆に没頭した。 そして、1946年ついに出版にこぎつける。 結果、この種の本としては、異例の大成功となった。 その後、ルース ベネディクトは 日本研究の大プロジェクトを計画したが、日本の土を踏むことなく、61歳で病死している。 「菊と刀」で最も有名なのが、 日本人は恥の文化で、西洋人は罪の文化というくだり。 「恥の文化」は、人前で恥ずかしいことはしないが、誰も見ていなければやる。 対して「罪の文化」では、罪を決める神はいつでもどこでも見ているから、人が見ていなくてもやらない。 なるほど・・・ 「菊と刀」は、適当につまみ食いしても、似非教養が身につく。 それに、ちまたでは、「菊と刀」は日本文化論の最高の書と評判が高い。 これなら、インテリ仲間の飲み会のネタにもなりそうだ。 では、ちょっと一読してみるか。 しかし ・・・ 「菊と刀」は難解である。 たいていの書は線の文だが、 「菊と刀」は面の文である。 400ページにもおよぶ長大な文字列は、互いに面を構成し、互いにからみ合っている。 このからみをイメージしながら読み進まないと、面白さは半減する。 長大な思考の連鎖が求められるわけで、読んでいてつらい。 とはいえ、「菊と刀」を読めば、ルース ベネディクトの 強靱な思考力が体験できる。 それだけでも読む価値はあるというものだ。 彼女は日本に一度も訪れることなく「菊と刀」を書き上げたが、一方で、アメリカ国内であらゆる調査を行っている。 日本に関する様々な文献、カリフォルニアの日本人移民や日本人捕虜の話、日本で製作された映画なども調べつくしている。 すさまじい集中力と執念である。 余談だが、天は彼女に二物を与えたようだ。 ルース ベネディクトはすごい美人である。 かの大女優エリザベス テーラーを少し上品にした感じ?インターネットでも見ることができるので、一見の価値あり。 「ベネディクトゥス(Benedictus)」はラテン語で、その英語バージョンが「ベネディクト(Benedict)」となる。 そして、この聖ベネディクトゥスこそ、西欧世界では 「ヨーロッパの父」と言われるほどのビッグネームなのだ。 聖ベネディクトゥスは、歴史上の聖人の中でもとくに有名で、聖具も一つメダイにも刻まれている。 「 聖ベネディクトのメダイ」と呼ばれるこのメダルは、カトリック教徒が身につけるもので、古くから伝染病、毒、嵐に効果があるとされる。 表面には、聖ベネディクトの姿が刻まれ、裏面には、十字架といくつかの文が刻まれている。 その一つが、 「サタンよ去れ。 汝の虚偽をわれに語ることなかれ」 このメダイは悪魔払いにも使われるそうである。 聖ベネディクトゥスは、480年頃、ローマに近いヌルシアで貴族の子として生まれた。 その後、長じてローマに留学し、ローマの退廃ぶりに絶望したという。 どういう意味の退廃か分からないが、ローマ帝国の歴史と関係がありそうだ。 この頃、ローマ帝国は滅亡の混乱の中にあったからである。 教科書的にいえば、476年、ゲルマンの傭兵隊長オドアケルがローマ皇帝ロムルスを廃位に追い込み、西ローマ帝国を滅亡させた。 傭兵隊長といえば、せいぜい300人程度の大隊長を思い浮かべてしまう。 かつてのローマ帝国は偉大だった。 歴史に燦然と輝く名将ハンニバル率いるカルタゴ軍を破り、数十万もの軍兵を擁する広大なガリアも征服した。 そんな世界帝国が、一傭兵隊長によって歴史から退場させられた?歴史とは 無数のパラメータに無数の力学が働く複雑な物語なのだ。 この修道会は、いくつかの修道院からなり、 祈りと労働をモットーとした。 信者からの「ほどこし」や「おふせ」でなく、「自給自足」というのが立派だ。 穀物畑やブドウ畑、さらに道具を制作する作業所も備えていたらしい。 何のためのブドウ畑かというと、これがワインを作るためだった。 作ったワインで村人と物々交換したり、村人にワインの醸造法も教えたらしい。 今の日本、葬式や初七日で、ビールを飲み干す坊さんをよく見かけるが、この時代、 修道院とアルコール醸造を結びつけるのは難しい(イスラム教は酒は御法度なのに)。 ところが、中世イギリスを描いたTVドラマ「 修道士カドフェル」を観ていると、修道院は、領主や村人と共にあり、という感じで、けっこう俗っぽい。 ちなみにこのドラマでは、修道士カドフェルが、お得意の推理で、村に起こる様々な怪事件を解決していく。 カドフェルはいちおう修道士なのだが、実はインテリで、宗教的奇跡など歯牙にもかけないという設定。 かなりはまるドラマだ。 主人公のカドフェルは、イギリスの名優デレク・ジャコビが演じていた。 彼は映画「グラディエータ」にも出演していたが、なかなか味のある役者だ。 ベネディクト修道会に話をもどそう。 その後も、ベネディクト修道会はヨーロッパ中に修道院を創設していった。 そして、修道院の労働の中に、 写本の作成を義務づけるのである。 むろん、宗教書(新約聖書)が優先されたが、古代エジプト、古代ローマ、古代ギリシャの古典も書き写された。 その中には、かのローマ皇帝カエサルの名著「ガリア戦記」も含まれていた。 言葉に飾りがなく、明快で、どっしりとした文体には心底感動したものだが、それも修道院のおかげというわけだ。 こうして、修道士たちが写本に精を出してくれたおかげで、「ヨーロッパの知」は複数の場所に保存されていった。 世界中のインターネット サーバーにバックアップするようなものである。 「知の保存」という点では、修道会システムは現代のインターネットに匹敵する。 コピーし分散せよ ・・・ やがて、それが役立つ時がやってきた。 彼らは急増する人口に対処するため、狩猟採集経済や農耕牧畜経済ではなく、「略奪経済」を選んだのである。 彼らには時間がなかったのだ。 そういう事情は一考もされず、ヴァイキングは映画やTVでは恐怖の略奪者だ。 長大な角がそそり立つ恐ろしげなヘルメットをかぶり、大刀を振り回し、村や町を襲っては、やりたい放題。 もちろん、主人公がヴァイキングというのは聞いたことがない。 この「略奪経済」に大きく貢献したのが ヴァイキング船である。 喫水が浅く、河川も航行可能なので、内陸まで侵入することができた。 さらに、堅いカシの木を用いたので、丈夫で耐久性に優れていた。 彼らは、この船をたくみに操り、ヨーロッパの内陸部まで侵入し、各地を略奪、破壊したのである。 その範囲は、遠くロシアにまで及んだ。 この神出鬼没の軍団には、遠く離れた首都の国王軍では間に合わず、各地の領主が対処するしかなかった。 その結果、国王は力を失い、地方の領主が台頭し、中央集権から封建制へと移り変わっていった。 ヴァイキングは、ヨーロッパの国家の体制まで変えたのである。 こうして、ヨーロッパ世界は大損害をこうむったが、聖職者の拠点も例外ではなかった。 当時のヴァイキングはキリスト教徒ではないので、聖域などなかったのだ。 一方、略奪は河川周辺に限られたので、 山奥の修道院は難を逃れることができた。 こうして、修道院に分散コピーされたヨーロッパの知識と文化は、300年にわたるヴァイキングの破壊をしのいだのである。 聖ベネディクトが創設したベネディクト修道会は、 地球の歴史の公文書館だったのである。 新ローマ法王ベネディクト16世にも、そんな想いがあったのだろうか? by R.B•

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ルース・ベネディクト おすすめランキング (49作品)

ルース ベネディクト

「ベネディクト16世」は教皇名で、さすがに本名だと思っている人はいないだろう。 就任時に選ぶこの教皇名は、代々の法王の想いが込められていて、興味深い。 聖人であるから、もちろん、ヘンな名前はタブーだ。 教皇の歴史年表をみていると、おおよそパターンがみえてくる。 そもそも、「ベネディクト」はラテン語で「 祝福されたもの」を意味する。 どこか深~ぃ感じもする。 ということで、聖なる「ベネディクト」のルーツを追ってみることにした。 ルース ベネディクトの母親は宣教師で敬虔なクリスチャンだったが、ルース本人はそれを毛嫌いしていたフシがあるので、「聖なる名」とは関係なさそうだ。 そもそも、ベネディクトは、彼女の結婚相手の生化学者スタンレー ベネディクトからきている。 ルース ベネディクトを有名たらしめた「菊と刀」は、第二次世界大戦中に、彼女がアメリカ政府から日本文化の研究を依頼されたことに始まる。 当時、アメリカ軍は南太平洋で日本軍と戦っていたが、 「敵を知り、己を知れば、百戦して危うからず」 つまり日本人を知るためであった。 彼女は、第二次世界大戦後、コロンビア大学を休職してまで「菊と刀」の執筆に没頭した。 そして、1946年ついに出版にこぎつける。 結果、この種の本としては、異例の大成功となった。 その後、ルース ベネディクトは 日本研究の大プロジェクトを計画したが、日本の土を踏むことなく、61歳で病死している。 「菊と刀」で最も有名なのが、 日本人は恥の文化で、西洋人は罪の文化というくだり。 「恥の文化」は、人前で恥ずかしいことはしないが、誰も見ていなければやる。 対して「罪の文化」では、罪を決める神はいつでもどこでも見ているから、人が見ていなくてもやらない。 なるほど・・・ 「菊と刀」は、適当につまみ食いしても、似非教養が身につく。 それに、ちまたでは、「菊と刀」は日本文化論の最高の書と評判が高い。 これなら、インテリ仲間の飲み会のネタにもなりそうだ。 では、ちょっと一読してみるか。 しかし ・・・ 「菊と刀」は難解である。 たいていの書は線の文だが、 「菊と刀」は面の文である。 400ページにもおよぶ長大な文字列は、互いに面を構成し、互いにからみ合っている。 このからみをイメージしながら読み進まないと、面白さは半減する。 長大な思考の連鎖が求められるわけで、読んでいてつらい。 とはいえ、「菊と刀」を読めば、ルース ベネディクトの 強靱な思考力が体験できる。 それだけでも読む価値はあるというものだ。 彼女は日本に一度も訪れることなく「菊と刀」を書き上げたが、一方で、アメリカ国内であらゆる調査を行っている。 日本に関する様々な文献、カリフォルニアの日本人移民や日本人捕虜の話、日本で製作された映画なども調べつくしている。 すさまじい集中力と執念である。 余談だが、天は彼女に二物を与えたようだ。 ルース ベネディクトはすごい美人である。 かの大女優エリザベス テーラーを少し上品にした感じ?インターネットでも見ることができるので、一見の価値あり。 「ベネディクトゥス(Benedictus)」はラテン語で、その英語バージョンが「ベネディクト(Benedict)」となる。 そして、この聖ベネディクトゥスこそ、西欧世界では 「ヨーロッパの父」と言われるほどのビッグネームなのだ。 聖ベネディクトゥスは、歴史上の聖人の中でもとくに有名で、聖具も一つメダイにも刻まれている。 「 聖ベネディクトのメダイ」と呼ばれるこのメダルは、カトリック教徒が身につけるもので、古くから伝染病、毒、嵐に効果があるとされる。 表面には、聖ベネディクトの姿が刻まれ、裏面には、十字架といくつかの文が刻まれている。 その一つが、 「サタンよ去れ。 汝の虚偽をわれに語ることなかれ」 このメダイは悪魔払いにも使われるそうである。 聖ベネディクトゥスは、480年頃、ローマに近いヌルシアで貴族の子として生まれた。 その後、長じてローマに留学し、ローマの退廃ぶりに絶望したという。 どういう意味の退廃か分からないが、ローマ帝国の歴史と関係がありそうだ。 この頃、ローマ帝国は滅亡の混乱の中にあったからである。 教科書的にいえば、476年、ゲルマンの傭兵隊長オドアケルがローマ皇帝ロムルスを廃位に追い込み、西ローマ帝国を滅亡させた。 傭兵隊長といえば、せいぜい300人程度の大隊長を思い浮かべてしまう。 かつてのローマ帝国は偉大だった。 歴史に燦然と輝く名将ハンニバル率いるカルタゴ軍を破り、数十万もの軍兵を擁する広大なガリアも征服した。 そんな世界帝国が、一傭兵隊長によって歴史から退場させられた?歴史とは 無数のパラメータに無数の力学が働く複雑な物語なのだ。 この修道会は、いくつかの修道院からなり、 祈りと労働をモットーとした。 信者からの「ほどこし」や「おふせ」でなく、「自給自足」というのが立派だ。 穀物畑やブドウ畑、さらに道具を制作する作業所も備えていたらしい。 何のためのブドウ畑かというと、これがワインを作るためだった。 作ったワインで村人と物々交換したり、村人にワインの醸造法も教えたらしい。 今の日本、葬式や初七日で、ビールを飲み干す坊さんをよく見かけるが、この時代、 修道院とアルコール醸造を結びつけるのは難しい(イスラム教は酒は御法度なのに)。 ところが、中世イギリスを描いたTVドラマ「 修道士カドフェル」を観ていると、修道院は、領主や村人と共にあり、という感じで、けっこう俗っぽい。 ちなみにこのドラマでは、修道士カドフェルが、お得意の推理で、村に起こる様々な怪事件を解決していく。 カドフェルはいちおう修道士なのだが、実はインテリで、宗教的奇跡など歯牙にもかけないという設定。 かなりはまるドラマだ。 主人公のカドフェルは、イギリスの名優デレク・ジャコビが演じていた。 彼は映画「グラディエータ」にも出演していたが、なかなか味のある役者だ。 ベネディクト修道会に話をもどそう。 その後も、ベネディクト修道会はヨーロッパ中に修道院を創設していった。 そして、修道院の労働の中に、 写本の作成を義務づけるのである。 むろん、宗教書(新約聖書)が優先されたが、古代エジプト、古代ローマ、古代ギリシャの古典も書き写された。 その中には、かのローマ皇帝カエサルの名著「ガリア戦記」も含まれていた。 言葉に飾りがなく、明快で、どっしりとした文体には心底感動したものだが、それも修道院のおかげというわけだ。 こうして、修道士たちが写本に精を出してくれたおかげで、「ヨーロッパの知」は複数の場所に保存されていった。 世界中のインターネット サーバーにバックアップするようなものである。 「知の保存」という点では、修道会システムは現代のインターネットに匹敵する。 コピーし分散せよ ・・・ やがて、それが役立つ時がやってきた。 彼らは急増する人口に対処するため、狩猟採集経済や農耕牧畜経済ではなく、「略奪経済」を選んだのである。 彼らには時間がなかったのだ。 そういう事情は一考もされず、ヴァイキングは映画やTVでは恐怖の略奪者だ。 長大な角がそそり立つ恐ろしげなヘルメットをかぶり、大刀を振り回し、村や町を襲っては、やりたい放題。 もちろん、主人公がヴァイキングというのは聞いたことがない。 この「略奪経済」に大きく貢献したのが ヴァイキング船である。 喫水が浅く、河川も航行可能なので、内陸まで侵入することができた。 さらに、堅いカシの木を用いたので、丈夫で耐久性に優れていた。 彼らは、この船をたくみに操り、ヨーロッパの内陸部まで侵入し、各地を略奪、破壊したのである。 その範囲は、遠くロシアにまで及んだ。 この神出鬼没の軍団には、遠く離れた首都の国王軍では間に合わず、各地の領主が対処するしかなかった。 その結果、国王は力を失い、地方の領主が台頭し、中央集権から封建制へと移り変わっていった。 ヴァイキングは、ヨーロッパの国家の体制まで変えたのである。 こうして、ヨーロッパ世界は大損害をこうむったが、聖職者の拠点も例外ではなかった。 当時のヴァイキングはキリスト教徒ではないので、聖域などなかったのだ。 一方、略奪は河川周辺に限られたので、 山奥の修道院は難を逃れることができた。 こうして、修道院に分散コピーされたヨーロッパの知識と文化は、300年にわたるヴァイキングの破壊をしのいだのである。 聖ベネディクトが創設したベネディクト修道会は、 地球の歴史の公文書館だったのである。 新ローマ法王ベネディクト16世にも、そんな想いがあったのだろうか? by R.B•

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