やわ肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君。 短歌の解釈

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やわ肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君

片思いをしている時に共感できる古典和歌• 2015年6月21日• 片思いをしていると、楽しいことばかりではなく、辛いことや恥ずかしいこともたくさんあると思います。 「こんなに辛い思いをしてバカみたい」 「もしかして私だけがこんなに辛いのかなぁ」 なんて感じてしまうことがあるかもしれません。 でも、今も昔も片思いの気持ちはそんなに変わりません。 たとえば、日本の古典和歌にも、片思いの気持ちを書いているものがたくさんあるんですよ。 というわけで今回は、片思いの気持ちを詠んだ古典和歌をご紹介します。 万葉集の歌から 『万葉集』は現存の日本の古典和歌集としては最古のものです。 成立は759年頃とされていますので、なんと1256年も前のもの。 片思いについて詠まれた歌はたくさんありますが、今回はその中から二つほどご紹介します。 想ってみてもどうしようもないとも思うのに、片思いの切ない気持ちを止められないなんてことがあると思います。 そういった気持ちを詠んでいるのがこの歌。 現在の私達と、全く同じではないでしょうか。 この歌の作者は女性ですが、もちろん、片思いで苦しむのは男性も同じです。 自分自身では、たくましい男だと思っていたけれど、こんなにも片思いのせいでやつれてしまったということですね。 古今和歌集から 『古今和歌集』は905年に成立した和歌集です。 その中から小野小町の歌をご紹介します。 夢と知っていれば、起きないでいたのに」 片思いの人のことを想いながら寝て、その人が夢に出てくる……。 その人に会えてとっても嬉かったのに、起きてみれば夢だったとわかって、なんだか胸にぽっかりと穴が開いたような寂しい気分。 小野小町は美人で恋多き女性といったイメージが強いですが、そんな彼女もこういう気持ちを抱えていたなんて、親しみを感じますね。 私の想い人が、天から降ってくるわけでもないのに。 」 恋をしていると、いつの間にかぼーっとする時間が増えてしまうもの。 そうしてるからって、好きな人に会えるかというと違うのですが、それでも彼を想ってぼんやりしてしまうのです。 和泉式部は平安時代の歌人で、恋歌を多く残していますが、特にこの歌には彼女の実感が込められているように思いますね。 『もしかして、恋をしているんですか?』と人に尋ねられてしまうほどに。 」 隠していた気持ちだったのに、いつの間にかそれが出てしまう、なんてことありますよね。 恋の気持ちが強ければ強いほど、それって自然なことです。 たとえ片思いでも、人に「恋してるの?」尋ねられたら、笑顔で「うん!」と言える恋だといいですよね。 番外編:与謝野晶子 与謝野晶子は明治の歌人。 ですので彼女の歌は古典和歌ではないのですが、大胆で素敵なものが多いのでご紹介しておきます。 片思い中に、相手の男性の態度にやきもきしたことのある人もいるはず。 時には少し大胆になって、小悪魔みたいに振る舞うことも必要なのかもしれませんね。 最後に 今回は共感できそうな古典和歌をご紹介しましたが、いかがだったでしょうか。 古典というととっつきにくいイメージがありますよね。 でも、肩の力を抜いて読むと、今の私たちにも共感できる内容のものがとても多いということを、おわかりいただけたかと思います。 今回の内容に興味をもった人がいれば、まずは現代語訳の和歌を読むところからトライしてみてください。 そうしてると不思議なことに、「この人の歌って特に共感できるなぁ」なんて、お気に入りの歌人ができたりするものです。 そう、お気に入りのアーティストといっしょです。 「なんだ、この人も今の私と一緒だったんだ」と思えれば、自分の片思いに対しても力を抜いて頑張れるはずです。

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やわ肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君/与謝野晶子 意味と現代語訳

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なにとなく 君に待たるる ここちして 出でし花野の 夕月夜かな (読み方:なにとなく きみにまたるる ここちして いでしはなのの ゆうづきよかな) 作者と出典 この歌の作者は、 「与謝野晶子(よさの あきこ)」です。 彼女は女性の自由を歌った情熱の歌人として知られています。 75「なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな」與謝野晶子「臙脂紫」 なんとなく貴方が待っていてくれそうな気がして出てみた花咲く野の夕月夜です — 大塚 櫻 Parmenides515 鋭い自我意識に基づく斬新な歌風で、道徳観に縛られていた女性や少女たちから熱狂的な支持を受けました。 この歌の出典は、 1901年に刊行された 第一歌集『みだれ髪』です。 満 22歳という若き女性が歌う革新的な作品は、当時の歌壇に大きな衝撃を与えました。 現代語訳と意味 解釈 この歌を 現代語訳すると・・・ 「なんとなく恋しい人が待っていてくれるような気がして、花の咲く野原に出てみると、空には美しい夕暮れの月が浮かんでいることでした」 という意味になります。 夜の帳が下りる頃、理由もなく外にでてしまうという衝動的な行動から、女性の抑えきれない恋心が伝わってきます。 初々しい清純さと古典的な華やかさが調和する美しい歌です。 文法と語の解説• 「なにとなく」 「理由なく」「故由なく」を意味しています。 この歌では「ここちして」を修飾するために用いられていますが、具体的な心情ではなく、「なんとなく」と淡い印象を持って一首をはじめています。 「待たるる」 「待つ」の未然形「待た」+受身の助動詞「る」の連体形「るる」の形式です。 「(私が)待たれている」という受動的な表現になります。 「るる」の音の響きが美しく、この歌が持つ雅な雰囲気を引き立てています。 「出でし」 「出ず(いず)」の連用形「出で」+過去の助動詞「き」の連体形「し」が接続した形です。 「現れた」「出てきた」と訳します。 「花野」 花々が一面に咲いている野を表す言葉です。 古歌でもよく使われてきた言葉で、特に「秋の花」が咲き乱れる野という意味で使われてきました。 秋の花といえば萩や桔梗など繊細な花が多く、そんな清澄な美しさをイメージさせる言葉でもあります。 「夕月夜」 「ゆうづきよ」と読み、夕暮れに出ている月を表します。 月の出が早いことから、光は弱く夜半に没するので、儚い雰囲気があります。 そのため王朝貴族から愛され、歌に盛んに詠み継がれてきた言葉でもあります。 「かな」 詠嘆の助動詞で、体言・連体形に接続します。 「~だなぁ」「~ことよ」と余韻を持たせる効果があります。 「なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな」の句切れと表現技法 句切れ 句切れとは、 意味や内容、調子の切れ目を指します。 歌の中で、感動の中心を表す助動詞や助詞(かな、けり等)があるところ、句点「。 」が入るところに注目すると句切れが見つかります。 この歌では感動の中心を表す「かな」が最後にありますが、このように最後にある場合は 句切れなしとなります。 句切りなく詠むことで、幻想的な黄昏時を優雅な調べで歌い上げています。 倒置法 倒置法とは、 語や文の順序を逆にし、意味や印象を強める表現方法です。 短歌や俳句でもよく用いられる修辞技法のひとつです。 この歌でも本来の意味どおり文を構築すると・・・ 「なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな」が詠まれた背景 この歌が収録されている『みだれ髪』といえば、「やわ肌の あつき血汐に ふれも見で さびしからずや 道を説く君」のように、 女性の自我や官能を率直に歌い上げる歌が多くあります。 対してこの歌には、「やわ肌の」のように情熱的な表現はなく、 甘美な初々しさを漂わせています。 それだけに心惹きつけられる方も多い歌です。 「花野」という言葉は、歌の世界では古くから秋を表す季語として用いられてきました。 このことから、秋の草花が秋風に吹かれる物寂しげな趣きがあります。 その後に続く「夕月夜」からも秋の風情が感じられますが、実際に作者が詠んだ季節は 「春」でした。 『みだれ髪』に収録されているこの歌の注釈には、「花野」は花が咲き乱れる春の野のことで、作者の造語であると書かれています。 さらに晶子自身も「月明りの美しい宵に、私は花の咲き乱れた野へほれぼれと出て来た。 なんだか恋人が私を待つて居るやうな楽しい気分で出て来た」と述べています。 寒さが緩んできた春の宵、なんとなく心が弾むような季節に、 乙女の心情を典雅なしらべで柔らかく歌い上げています。 このように歌が詠まれた背景を理解すると、味わい方も違ってきますね。 「なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな」の鑑賞 夕暮れ時のまだ光が残るころ、空に上る月も野原一面に咲く花々の陰もおぼろげに見えています。 恋の甘い気分に誘われて、春の夜を満喫する女性。 可憐に揺れる花に囲まれて立つ、乙女の姿が目に浮かんできます。 「花野」「夕月夜」など古典的な言葉がちりばめられているこの歌には、作者が幼少の頃から親しんできた 王朝文学の優美さが感じられます。 「君」も古来の和歌集では、女性から男性に対して使われる語であり、恋い慕う相手を意味しています。 女性である作者のほのかな恋心が詠みとれますね。 相手に会いたい初々しい胸のときめきを、「待たるるここち」と受身で表現することで、この時代の女性らしさが出ています。 実際の晶子は行動的な女性として知られていて、相手に待たれるどころか、気持ちのまま会いに行こうとする歌もあります。 そんな彼女の歌の中では珍しく、 恋を知り初めた女性の胸の高鳴りをロマンチックな名画のように表現した一首です。 作者「与謝野晶子」を簡単にご紹介! (与謝野晶子 出典:Wikipedia) 与謝野晶子( 1878年~ 1942年)は、明治から昭和にかけて活躍した女流歌人です。 本名は与謝野(旧姓は鳳)志ようといい、ペンネームを晶子としました。 古典『新釈源氏物語』の現代語訳でも知られ、婦人運動の評論家として大正期の社会に大きな影響を与えています。 1878年、大阪府堺市の老舗和菓子屋の三女として生まれた晶子は、家業は没落しかけているものの、中流階級の家庭で育ったため、女学校にも通っています。 この頃から『源氏物語』など古典文学に親しみ、尾崎紅葉や樋口一葉など著名な文豪小説を読みふけりました。 こうした幼い頃の経験は、後の与謝野晶子としての執筆活動に生かされることとなります。 正岡子規の短歌に影響を受け、 20歳の頃から店番を手伝いながら和歌を投稿しはじめます。 1900年に開かれた歌会で歌人・与謝野鉄幹と不倫関係になり、鉄幹が創立した文学雑誌『明星』で短歌を発表します。 鉄幹の後を追い実家を飛び出した晶子は、上京の約 2ヵ月後に処女歌集『みだれ髪』を刊行、女性の官能をおおらかにに歌い上げました。 1901年、妻子と別れた鉄幹と結婚し、 34年間にわたる結婚生活でも彼一人だけを愛し続けました。 「恋する女」だけでなく「働く女」でもあった晶子は、 11人の子どもを育てながらも貧しい家計をささえるべく奮闘します。 作家として 5万首の歌を残し、作家や評論活動など他領域の仕事を成し遂げました。 「与謝野晶子」のそのほかの作品 (与謝野晶子の生家跡 出典:).

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【やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君】徹底解説!!意味や表現技法・句切れなど

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渡辺淳一も青くなる与謝野鉄幹と晶子の人生 【与謝野鉄幹】 鉄幹の女性問題については、話には聞いていたものの、そのプレイボーイ振りには度肝を抜かれました。 徳山女学校で国語の教師を4年間勤めるも、女子生徒(浅田信子)との間に問題を起こし、退職した。 このとき女の子が生まれたが、その子は間もなく死亡している。 教師の鉄幹が17歳で、信子は20歳という妙な二人の関係である。 次いで別の女子生徒、林滝野と同棲して一子、萃(あつむ)を儲けた。 彼女以外にも、弟子や生徒やら複数の女性との関係を続けていたようです。 晶子は浜寺公園の旅館で行なわれた歌会で鉄幹と不倫の関係になり、 翌年家を出て東京に移り結婚。 その後、与謝野晶子の親友・山川登美子と不倫関係に陥ってしまいます。 鉄幹はとても女グセが悪い・・・手の速きこと風のごとく、浮気すること山のごとし。 鉄幹は歌人・・・それも、情熱的な恋の歌がお得意なのですから、ある意味、芸のこやしとでも言いましょうか? 不倫は文化のような人生を送った鉄幹だが、 【新詩社】を創設し、機関誌「明星」創刊・主宰し、 高村光太郎,石川啄木,北原白秋ら多くの新人を育てた。 晩年は慶応義塾大学の教授を務めて、 その後は自ら東京御茶ノ水駿河台に文化学院(現:学校法人文化学院)を創設しています。 【与謝野晶子】 与謝野鉄幹・晶子夫妻は合計11人の子供達に恵まれました。 (正確には12人を出産しています。 ) 最初の子供は、結婚の翌年、明治35年(晶子24歳)11月に長男・光誕生。 明治37年(晶子26歳)の7月には次男・秀(しげる)が誕生。 明治40年(晶子29歳)の3月には長女・八峰(やつお)、次女・七瀬の双子が誕生。 明治42年(晶子31歳)3月には3男・麟を出産。 明治43年(晶子32歳)2月には3女・佐保子を出産。 明治44年(晶子33歳)2月には4女・宇智子を出産。 この年の11月には、夫鉄幹が渡欧しています。 翌、明治45年(晶子34歳)5月には、これらの子供たちを残して、 晶子も夫の後を追ってシベリア鉄道経由でパリに旅立ってしまいます。 ですが、子供恋しさから10月には単身、海路で帰国しています。 翌、大正2年(晶子35歳)1月に鉄幹が帰国。 大正2年4月に4男・アウギュストを出産します。 大正4年(晶子37歳)3月に5女・エレンヌを出産します。 大正5年(晶子38歳)3月に5男・健を出産します。 大正6年(明子39歳)、10月には6男、寸(そん)を出産しますが、 生後2日で死亡してしまいます。 大正8年(晶子41歳)3月には6女、藤子を出産します。 これで合計12人です。 明治34年(晶子23歳)10月に結婚・入籍、昭和17年(晶子64歳)1月に死去するが、 結婚生活約41年間の前半17年間は、殆ど毎年身籠っていたことになる。 しかし晩年には、評論活動とエネルギッシュな人生を送り、女性解放思想家としても巨大な足跡を残した。 鉄幹らとともにお茶の水駿河台に文化学院を創設する。 男女平等教育を唱え、日本で最初の男女共学を成立させる。

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