さとうきび 漢字。 藷

わかる方!!果物、野菜、漢字で書けるもの出来るだけ教えて下さい。

さとうきび 漢字

「ペンギン」の漢字表記には、「企鵝」「人鳥」「片吟」があります。 ただ、現在の日本で用いられることは稀である、と言えるでしょう。 これは最も古くからある表記であり、1877年刊行の『具氏博物誌』に記載されたのが記録に残る最古の例とされています。 この字は、もともと中国語のものであるらしく、明治初期の日本の博物学者は、その慣習名に準じる姿勢をもって使用していたのでしょう。 「人鳥;じんちょう」の名の由来については、わざわざ言うまでも無いでしょうけれども、陸上で直立し歩きもするその姿から、「人間のような鳥」との意味合いで命名されています。 日本語としては、3つのなかでこれが一番お目に掛かりやすい漢字表記でしょう。 「片吟」は、「ぺんぎん」。 いわゆる当て字ですね。 そのまんまです。 1993年8月刊行の『南極探検私録南極土産片吟鳥の話/横田順彌 他』(ゆまに書房)が、用例として挙げられています。

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栄養学・食品学関係の資料の調べ方

さとうきび 漢字

イネ科(APG分類:イネ科)の熱帯生の多年草。 (甘蔗)ともいう。 温帯で栽培されるサトウダイコンと並んで、砂糖をとる植物としてもっとも重要な作物である。 高さ3~6メートルで、茎は根元で直径3~5センチメートルになる。 茎には10~20センチメートル置きに節があり、各節から長さ1メートル以上もの葉がつく。 葉は堅く、その両縁はかみそりのようで、皮膚を傷つける。 秋、茎頂に長さ50センチメートルもある大きい穂を出し、多数の小花をつけると、花穂が灰白色になり、巨大なススキの花のようになる。 種子は長さ1ミリメートルに満たない小粒で、発芽しにくい。 茎は堅い薄皮に包まれ、内部は白い柔組織が充満している。 穂が出る前、茎の柔組織細胞の汁液にショ糖が蓄えられ始め、成熟時には汁液の10~20%に達する。 発芽から10~15か月が収穫期で、鉈 なた で地際から茎を切り倒し、茎の頂部と葉を切り除いたのち、圧搾機で汁液を絞り取る。 収穫後の刈り株からふたたび芽を出させて栽培を続けるほか、新植には茎を2~3節の長さに切って横たえて植え付けると、節から芽と根が出る。 サトウキビは北回帰線(北緯23度27分)のやや北から南回帰線(南緯23度27分)あたりまでが栽培範囲で、現在はブラジル、インド、中国、タイ、パキスタン、メキシコが主産地であり、全世界で年産18億9066万トン(2016)ほどの茎が収穫される。 日本では沖縄県や奄美 あまみ 大島で栽培されるが、生産は少なく、157万トン(2016)程度で、外国から粗糖を輸入して需要の大部分をまかなっている。 [星川清親] 起源と伝播ニューギニアとその周辺が起源地で、紀元前1万5000~前8000年に栽培化されたとしているが、栽培化の根拠はない。 祖先種はボルネオ島からニュー・ヘブリデス諸島に自生するローバスタム種 S. robustum Brandes et Jeswiet(サトウキビ属の1種)である。 本種は広く東南アジアに分布するスポンタニウム種(和名はサトウキビ属のワセオバナ)とススキ属のトキワススキ Miscanthus floridulus Labill. Warb. との自然雑種によってニューギニアで成立した。 このローバスタム種から、糖分が多く繊維質が少ないノーブル・ケインと称する品種群がつくられた。 これが前500~後1000年に太平洋の島々に伝播 でんぱ した。 またこの品種群は前20世紀ころインドに伝播し、スポンタニウム種との自然雑種によってシネンセ種(カラサトウキビ) S. sinense Roxb. が、インド在来種として成立した。 これはシン・ケインとよばれ、インド北東部と中国南部で、モンスーンの季節によく繁茂し、砂糖生産の実をあげた。 このシン・ケインは前3世紀にヨーロッパへ、後7~8世紀に地中海沿岸地域へ伝播し、さらに10~15世紀に地中海沿岸からアフリカ東部および西海岸に伝播した。 アメリカ大陸へは、コロンブスが1494年に西インド諸島に導入し、その後16世紀以降、中南米地域に伝播した。 中国大陸へはインドから1世紀ころに、台湾へは17世紀のオランダ統治時代に、日本へは17世紀初めに奄美大島に入った。 19世紀に入って、ジャワのパスルアン試験場において、オランダ人によって、マレーシア先住民が栽培していたノーブル・ケイン系の品種群と野生種などとの交雑育種が進められ、その結果、優良品種群の作出に成功した。 現在これらの品種群が世界各地のサトウキビ栽培地域に再導入されている。 [田中正武] 文化史サトウキビは、野生のサトウキビの一種であるローバスタムと、トキワススキとの雑種起源という説が近年出されている。 1880年以降は、ワセオバナなど5種の相互交雑により品種が改良された。 中国ではカラサトウキビ(チュウゴクサトウキビ) S. sinensis Roxb. emend. jeswietを唐時代から栽培しており、その栽培技術や砂糖の製法は厳重な管理下に置かれていた。 これが日本へ伝えられたのは明 みん の時代で、一説によると、船が難破して福建省に漂着した奄美 あまみ 大島の直川智 すなおかわち という人物が、ひそかに製法を学び取り、1610年(慶長15)に3本の苗を隠して持ち帰ったのが最初と伝えられる。 奄美大島の大和 やまと 村には、直川智を祀 まつ る開饒 ひらとみ 神社がある。 また江戸後期、サトウキビは薩摩 さつま 藩の重要な財源となり、明治維新を裏で支えた。 [湯浅浩史].

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漢検 準1級配当漢字 許容字体表2 「漢字検定 完全征服への道」

さとうきび 漢字

イネ科(APG分類:イネ科)の熱帯生の多年草。 (甘蔗)ともいう。 温帯で栽培されるサトウダイコンと並んで、砂糖をとる植物としてもっとも重要な作物である。 高さ3~6メートルで、茎は根元で直径3~5センチメートルになる。 茎には10~20センチメートル置きに節があり、各節から長さ1メートル以上もの葉がつく。 葉は堅く、その両縁はかみそりのようで、皮膚を傷つける。 秋、茎頂に長さ50センチメートルもある大きい穂を出し、多数の小花をつけると、花穂が灰白色になり、巨大なススキの花のようになる。 種子は長さ1ミリメートルに満たない小粒で、発芽しにくい。 茎は堅い薄皮に包まれ、内部は白い柔組織が充満している。 穂が出る前、茎の柔組織細胞の汁液にショ糖が蓄えられ始め、成熟時には汁液の10~20%に達する。 発芽から10~15か月が収穫期で、鉈 なた で地際から茎を切り倒し、茎の頂部と葉を切り除いたのち、圧搾機で汁液を絞り取る。 収穫後の刈り株からふたたび芽を出させて栽培を続けるほか、新植には茎を2~3節の長さに切って横たえて植え付けると、節から芽と根が出る。 サトウキビは北回帰線(北緯23度27分)のやや北から南回帰線(南緯23度27分)あたりまでが栽培範囲で、現在はブラジル、インド、中国、タイ、パキスタン、メキシコが主産地であり、全世界で年産18億9066万トン(2016)ほどの茎が収穫される。 日本では沖縄県や奄美 あまみ 大島で栽培されるが、生産は少なく、157万トン(2016)程度で、外国から粗糖を輸入して需要の大部分をまかなっている。 [星川清親] 起源と伝播ニューギニアとその周辺が起源地で、紀元前1万5000~前8000年に栽培化されたとしているが、栽培化の根拠はない。 祖先種はボルネオ島からニュー・ヘブリデス諸島に自生するローバスタム種 S. robustum Brandes et Jeswiet(サトウキビ属の1種)である。 本種は広く東南アジアに分布するスポンタニウム種(和名はサトウキビ属のワセオバナ)とススキ属のトキワススキ Miscanthus floridulus Labill. Warb. との自然雑種によってニューギニアで成立した。 このローバスタム種から、糖分が多く繊維質が少ないノーブル・ケインと称する品種群がつくられた。 これが前500~後1000年に太平洋の島々に伝播 でんぱ した。 またこの品種群は前20世紀ころインドに伝播し、スポンタニウム種との自然雑種によってシネンセ種(カラサトウキビ) S. sinense Roxb. が、インド在来種として成立した。 これはシン・ケインとよばれ、インド北東部と中国南部で、モンスーンの季節によく繁茂し、砂糖生産の実をあげた。 このシン・ケインは前3世紀にヨーロッパへ、後7~8世紀に地中海沿岸地域へ伝播し、さらに10~15世紀に地中海沿岸からアフリカ東部および西海岸に伝播した。 アメリカ大陸へは、コロンブスが1494年に西インド諸島に導入し、その後16世紀以降、中南米地域に伝播した。 中国大陸へはインドから1世紀ころに、台湾へは17世紀のオランダ統治時代に、日本へは17世紀初めに奄美大島に入った。 19世紀に入って、ジャワのパスルアン試験場において、オランダ人によって、マレーシア先住民が栽培していたノーブル・ケイン系の品種群と野生種などとの交雑育種が進められ、その結果、優良品種群の作出に成功した。 現在これらの品種群が世界各地のサトウキビ栽培地域に再導入されている。 [田中正武] 文化史サトウキビは、野生のサトウキビの一種であるローバスタムと、トキワススキとの雑種起源という説が近年出されている。 1880年以降は、ワセオバナなど5種の相互交雑により品種が改良された。 中国ではカラサトウキビ(チュウゴクサトウキビ) S. sinensis Roxb. emend. jeswietを唐時代から栽培しており、その栽培技術や砂糖の製法は厳重な管理下に置かれていた。 これが日本へ伝えられたのは明 みん の時代で、一説によると、船が難破して福建省に漂着した奄美 あまみ 大島の直川智 すなおかわち という人物が、ひそかに製法を学び取り、1610年(慶長15)に3本の苗を隠して持ち帰ったのが最初と伝えられる。 奄美大島の大和 やまと 村には、直川智を祀 まつ る開饒 ひらとみ 神社がある。 また江戸後期、サトウキビは薩摩 さつま 藩の重要な財源となり、明治維新を裏で支えた。 [湯浅浩史].

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