悟り 言葉。 悟り(さとり)とは(52種類)

悟りを開くとは?開くとどうなる?悟りを開いた人の10の特徴

悟り 言葉

今回「終活ねっと」では、ブッダの教えについて以下の点を中心にして解説します。 ブッダについて• ブッダの教え• ブッダが得た本当の悟りとは• 弟子に伝えた教え ブッダが伝えたかった教えについて詳しく解説しています。 ぜひ最後までご覧ください。 ブッダの生きた時代 当時のインドでは、今以上にカースト制度が厳しく、生きる事が生きていくことが苦しいと人々が思っていたと文献は伝えています。 ブッダの出家と釈迦一族 何を求めて出家する事を決めたのか、お言葉としては善を求めて出家したと語っています。 善という言い方は、あまりにも抽象的な言い方ではないかと思います。 老人と出会い、病人、死者と出会い人として悩み修行僧に会い感銘を受けたことから出家した。 自身のあまりにも恵まれた環境と、二度と生まれ変わって来たくないと思うくらい苦しい生活をしている民との生活環境の差が根底にあるのではないでしょうか。 弟子の中には、釈迦族から実子や従兄弟達が帰依し教えに従っています。 ブッダの教え 人が成仏するためには、三十七の修行方法が有ると大般若経などの経典では説いています。 それは一言で云えばとても簡単で、実践するにはとても難解な修行方法です。 日本では、弘法大師空海が、密かに自分だけ行ったと記載されている文献が有るそうです。 縁起思想 縁起思想とは、因が有って縁が生じ結果がでる因果応報と言う言葉に象徴されていると思います。 この世の全ての事に偶然は無く、全て必然であると言うこと全ての物事は縁で繋がっていると言う思想です。 例えば、水を因と考えると氷ると言う縁を得てはじめて氷になりまた火と言う縁がなければお湯にはなれないのです。 ブッダの教えの中では、一番分りやすく納得できる教えではないでしょうか。 釈迦族の滅亡 ブッダは自分自身の故国が、先祖の作った因縁に由りいずれ滅亡する事を知るのです。 ブッダは三年街道に座り退けたが、入滅すると次の年に攻め滅ぼされました。 今の、インドやネパールにかけて釈迦の故国は有ったと云います。 ブッダであっても、祖国の因縁を切る事は難しく因縁が動けば止める事はできないと言う事です。 現代でも争いは有り、争いが無くなる事は難しいと痛感させられます。 ブッダが得た本当の悟りとは 悟りには大まかに二通りの物が有ると思います。 何かに気づく、と言う悟り日々誰にでも起こりうる事です。 他方ブッダが得た究極の悟り、成仏して涅槃に入ると言う最も人が切望しても手に入りにくい事が有ります。 苦行の果てに得た悟り ブッダは苦行をこのまま行っても、悟は得られないと言うことをこの時悟ったと云います。 本当に悟りを得たのは、この直後だと言われているのです。 生きるための欲 全ての欲と煩悩を捨てると言う事は、人が生きていくうえで必要悪も有ると思いますから無理です。 最低限度生きていく為の欲は、何時の時代でも必要な事ではないでしょうか。 弟子に伝えた教え ブッダの教えは、言葉を書き留めるのではなく出家の弟子や在家の弟子への口伝のみです。 全ての弟子たちは、一度だけ集まりその後二度と集まる事はありませんでした。 ブッダの死後 ブッダ釈尊が入滅なさり、インド全土に仏教の布教のために散っていた弟子たちが一度だけ集まり釈迦からの教えを纏めた物が今に残っているお経です。 在家の信者と出家の信者 ブッダが入滅してから500年後、上座部(出家者)と下座部(在家者)の信者間で争い事が起こります。 出家信者は、ブッダの教えであるお経を在家信者に対して教える事をやめてしまったのです。 在家信者は困り、この争いから独自にお経を作ることになり分裂してしまったのです。 上座部の信者は、何故このような事をおこなったのでしょうか? ブッダの教え、三悪の一つ妬みから組織が衰退し滅んでいく事が現代でもあります。 ブッダの教えは、弟子であっても実行することは修行をしても難しいことなのかもしれません。 無と空 当時のインドの民で、文字が読める人間がどのくらいいたのでしょうか。 そんな在家信者にも分りやすく、教えを無と空の二文字に集約させて大般若波羅蜜多経を作ったのです。 大般若波羅蜜多経は、無を超えたところに空があると説いています。 一般的には、般若心経の短いお経がよく使われています。 ブッダの教えについてのまとめ.

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悟り(さとり)とは何? Weblio辞書

悟り 言葉

からの引用です。 毎日いい日が続いてけっこうなことだ、という浅い意味ではない。 一般に私達凡人が、今日はよい日だと思う場合を考えてみよう。 天気が良かった・お金が儲かった・良いことがあったなど、そんな基準で日々を判断するであろう。 しかし、これでは優劣・損得・是非に囚われすぎた考え方。 ある日幸運が訪ずれても、その後に来る不運に脅えなければならぬ。 日々是好日とは、そんな拘りや囚われをさっぱりと捨て切って、その日一日を只ありのままに生きる楚々とした境地のこと。 何か大切なものを失った日であろうとも、ただひたすらに生きれば、全てが好日の意味。 「悟りの境地」とは、「悟りの精神状態」のことで、「言語道断」とか、「言詮不倒」とされるとおり、ブッダ自身、「言葉で説きえないもの」と表現しました。 が、私の知る限りでは、下記の通り、一か所だけ、「悟りの境地」を説いた経典があります。 ただし、重要なことは、ブッダが、伝道に行く弟子たちに、「始めもよく、終わりもよく、中もよい、理路と表現を備えた法を説け(増谷文雄訳・筑摩書房刊・「阿含経典」)」とし、また、「ことがらをはっきりと伝える真実のことばを発し(中村元訳・岩波文庫・「真理のことば・感興のことば」)」等とした通り、「悟りに至る手段」は、論理的かつ分かりやすく説いた点です。 あなたも、「悟りの境地」という抽象的なものを追い求めず、ブッダが明瞭に説き、「悟りの境地」に至ることも可能とする、「悟りに至る手段」を究明・実践されたい。 「そこには、すでに有ったものが存在せず、虚空も無く、識別作用も無く、太陽も存在せず、月も存在しないところのその境地を、わたくしはよく知っている。 来ることも無く、行くことも無く、生ずることも無く、没することも無い。 住してとどまることも無く、依拠することも無い。 そこでは月も照らさず、太陽も輝かない。 聖者はその境地についての自己の沈黙をみずから知るがままに、かたちからも、かたち無きものからも、一切の苦しみから全く解脱する(中村元訳・岩波文庫・「真理のことば・感興のことば」)」.

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悟りを開くとは?開くとどうなる?悟りを開いた人の10の特徴

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禅のことば5選 言葉よりも行動が大切、『不立文字』 写真提供: 不立文字(ふりゅうもんじ)とは、 「(お釈迦さまの教えは、)文字で伝わるものではない」 という意味です。 「文字で伝わるものではない」という意味をもう少し詳しく説明すると、 お経の言葉から離れて、お釈迦さまのようにひたすら座禅をし、 からだで 体験することで悟りを実感しなさい、ということです。 また、 悟りの境地は言葉で説明することができない、 という意味も込められています。 不立文字は、達磨大師(だるまだいし)の教えである、 禅をする上で、四つの大切な心得の一つです。 考えこんでしまい、手も足も出なくなること、ありませんか? そんなときには 言葉でなく、身体で実践することが大切、ということですね。 『身心脱落』で悟りを開いた道元 写真提供:さん 身心脱落(しんじんだつらく)とは、 曹洞宗(そうとうしゅう)を開いた道元(どうげん)が 悟りを開いたきっかけになった言葉で、 「身体も精神も束縛から解き放たれること」 という意味です。 道元が中国へ禅を学びに渡っていたとき、 師匠が、座禅中に寝ていたお坊さんをしかりました。 「座禅をするのは身心脱落のためである。 居眠りしていては悟りを得られないぞ」 この師匠の言葉を聞いたときに、 突然ひらめいた道元は、悟りを開きました。 そして道元は師匠に 「悟りました」と伝えるために、 「身心脱落」と言ったと伝えられています。 ちなみに、道元は 只管打坐(しかんたざ)という言葉を残しています。 これは、 「ただひたすらに座ること」 という座禅の心得を表した言葉です。 一番有名な禅問答、『狗子仏性』 写真提供:さん 狗子仏性(くしぶっしょう)は、 昔、 趙州(じょうしゅう)というお坊さんが弟子と対話したエピソードです。 早速、どんなエピソードか見てみましょう。 ある弟子が趙州に質問をしました。 弟子 「犬は悟りを開く可能性を持っているでしょうか?」 趙州 「 あります。 」 弟子 「犬は悟りを開く可能性があるのに、なぜ人間ではなく犬の姿をしているのでしょうか?」 趙州 「犬は悟りを開く可能性を持っていると自分で知っています。 あえて犬の姿をしているのです。 」 また別の弟子が趙州に質問をしました。 弟子 「犬は悟りを開く可能性を持っているでしょうか?」 趙州 「 ないです。 」 弟子 「全ての生き物には悟りを開く可能性があると、お経に書かれています。 どうして犬には悟りの可能性がないのでしょうか?」 趙州 「犬には積み上げられてきた迷いの心があるからです。 」 同じ質問でも、趙州の答えはまったく反対のものでした。 不思議ですね。 こうした 禅の修行で大切にされているエピソードのことを、 公案(こうあん)といいます。 なかでも狗子仏性は、 一番有名な公案として語り継がれてきました。 また、こうした師匠と弟子の対話は、 禅問答(ぜんもんどう)と呼ばれています。 曹洞宗のひたすら座りつづける座禅とは異なり、 臨済宗では、悟りを開くために、師匠から出された公案を考えながら座禅を組みます。 『日々是好日』で毎日を大切に 日々是好日(にちにちこれこうにち)とは、 「過ぎたことを忘れ、一瞬一瞬を大切にして精一杯生き、よい一日にしなさい」 という意味です。 この言葉にも、元となるエピソードが伝わっています。 昔、中国に雲門というお坊さんがいました。 雲門は、修行している若いお坊さんに言いました。 雲門 「ここまでの15日間のことはお前に聞いたりしません。 その代わり、 これからの15日間をどうするか一言で言ってみなさい。 」 しかし、若いお坊さんは 何も答えませんでした。 そこで雲門は 自分の問いに自分で答えます。 雲門 「 日日是好日」 今までの15日間のことは忘れ、次の15日間をいいものにしていこう、 そういう雲門の気持ちが、日々是好日という言葉にあらわれています。 私たちの日常では、良いことも悪いことも起こります。 一つのことにくよくよするのではなく、過ぎ去ったことは忘れ、 今を大切に生きていこう、ということですね。 大切なものは目の前に、『祖師西来意』 写真提供:さん 祖師西来意(そしせいらいい)は直訳すると、 「インドから中国に禅を伝えた達磨大師は、なぜ中国に来たのか」 という 仏教における大切なできごとを指します。 そこから転じて、 「禅の一番大切なものとは、なにか?」 という意味になりました。 先ほど狗子仏性(くしぶっしょう)で出てきた趙州(じょうしゅう)は、 弟子から祖師西来意についても聞かれたことがありました。 そこで趙州は「 庭前柏樹子(ていぜんはくじゅし)」と答えます。 庭先にあるような木と同じように、 禅の極意は目の前にある、ということです。 大きな問いにぶつかったとき、私たちは難しく考えすぎてしまうことがあります。 そんなとき、 大切なものは目の前にあるのかもしれませんね。 おわりに さいごまで読んでいただきありがとうございます。 いかがでしたか? 人生の役に立つヒントが隠されている禅語を紹介しました。 初めは難しいようですが、 次第に私たちのこころをスッキリさせてくれます。 気になった言葉がある方は、ぜひ繰り返し読んで味わってみてください。 禅の雰囲気にひたった後は、そのまま座禅を組んでみませんか? ホトカミでは、座禅のやり方や座禅体験のできるお寺を紹介しています。

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