イラク 戦争。 湾岸戦争とイラク戦争の違いとは

イラク戦争の原因?大量破壊兵器だけでない裏の理由

イラク 戦争

今日、3月20日で、米国を中心とする有志連合が、国連安保理決議なしの先制攻撃をイラクに対して行った、イラク戦争の開戦から、15年となる。 長く独裁体制を敷いていたサダム・フセイン政権は崩壊したが、イラク情勢は今なお混迷を続け、その未来は依然、不透明だ。 〇死者29万人近く、国内避難民230万人 「イラクのフセイン政権が大量破壊兵器の開発を続けている」-米国のブッシュ政権(当時)は、イラクや同国から大量破壊兵器を提供されたアルカイダが米国への攻撃を行う可能性があるとして、世界各国が懸念を表明、国連の大量破壊兵器査察も完了していない中、イラク攻撃を強行した。 その後、イラクでの大量破壊兵器は見つからず、当の米国もその主張に重大な誤りがあったと認めたことは、本稿読者の皆さんもご存じのことだろう。 米軍の空爆で瀕死の重傷を負った子ども。 あれから、15年。 イラク戦争によって、一体どれだけの人々が殺されたのか、正確な統計は今なお無い。 イギリス・ロンドンに拠点を置くNGO「イラク・ボディー・カウント」が、報道された死者の数をまとめ続けているが、同団体によれば、 2003年3月から現在まで、約18~20万人のイラクの民間人が犠牲となったとしている。 イラク軍兵士や武装勢力など戦闘員も含めれば、犠牲者数は約28万8000人だという。 しかも、これらの数字はあくまで報道されたものの統計であり、報じられていない犠牲もあること、負傷が原因での死亡を考えれば、実際の犠牲者数はさらに多いのではとの指摘もある(慶應義塾大学・延近充教授など)。 イラクボディーカウントのサイトから、イラク民間人犠牲者数の推移。 www. iraqbodycount. org IS(いわゆる「イスラム国」)の脅威やIS掃討戦によるイラク国内の避難民は約半数が、避難前の地域に帰還したものの、 国連人道問題調整事務所(OCHA)のまとめによれば、約230万人がまだ帰還できないままだという。 その理由としては、IS残党の武装勢力や政府側の民兵組織の脅威や、仕掛け爆弾などが街中に残されたままであること、戦闘で街が破壊しつくされ、住居や電気・水道などの社会インフラが失われたままであること等があげられる。 OCHAによれば、国内避難民および、イラク周辺の難民への支援のため、5億7,800万ドルが必要だとされているが、集まっている資金はわずか4%に過ぎない。 イラク北部の国内避難民キャンプ 現地治安情勢の展望も不透明なままだ。 昨年7月、イラク第二の都市がISから解放されるなど、IS掃討戦でイラク政府軍は勝利を目前としている。 一方で、IS残党によるとみられる襲撃やテロは続いているのが、現状だ。 また、イラクでは今年5月、総選挙の実施が予定されていることも、不安定要素だと言える。 この間の実例から観ても、選挙に伴う暗殺やテロが相次ぐことは避けられないだろう。 イラクでは、米軍の占領政策やフセイン政権後の新体制のイラク政府の失敗により、宗派間・民族間の対立が極めて深刻なものとなっている。 ISがその支配領域を急速に広げたのも、イラク政府から迫害を受けていたり、復興から取り残されている層が強い不満を抱えていたことが、その背景にあった。 今年5月の総選挙でも、宗派・民族間の融和や、汚職追放などが最大の政治課題であろうが、残忍な拷問・殺害等の人権問題を引き起こしてきた民兵組織「ハシドシャービー」をイラク政府軍に正式に編入するとするイラク政府の方針は、強い反発を招いている。 〇破壊と死、絶望の15年 筆者は、イラク開戦直前の2002年12月以降、イラクでの現場取材を9回行い、現地の情勢を注視してきた。 開戦前、フセイン政権の支配下で、人々に言論の自由は無かったが、夜遅くでも出歩けるなど、治安は極めて良かった。 また、米軍のイラク占領の開始直後の状況も、現在のイラクの状況から考えれば、ある意味、牧歌的ですらあったとも言える。 かつてのイラクは、少なくとも、違う宗派であっても互いに隣人として仲良く暮らし、結婚することも珍しくなかった。 それが強い不信感を抱え互いにヘイトスピーチを繰り返し、実際に殺し合うようになってしまい、宗派が異なることを原因とした離婚も増えている。 フセイン政権崩壊直後、筆者がイラク首都バグダッドで取材した時のことを、今、改めて思い返す。 フセイン政権時の拷問で指を切断されたという男性が、その手を見せながら、こう言った。 「フセインが去ったことは、もちろん嬉しいよ。 でも、もっと厄介な奴ら(=米軍)が来てしまった」。 米軍は容疑も不十分なまま、次々と一般市民たちを収容所へ拘束した。 イラクで米軍がおこなってきた所業は、街ごと包囲しての無差別攻撃や、人々を不当拘束し拷問や虐待をくり返すなど、明確に戦争犯罪だった。 だが、 その後のイラク治安部隊や軍による人権侵害は「まだ米軍の方がマシだった」とイラクの人々に言わしめるほど、凄まじいものだった。 そして、イラク政府への憤りから、急速に勢力を伸ばしたISが行ってきた人々への抑圧、拷問と処刑も、特にヤジディ教徒やキリスト教徒に対するそれは、まさにこの世の地獄と言えるようなものだった。 そのISを掃討するための空爆で、ISとは関係ない民間人も殺され続けた。 イラク西部ファルージャからの国内避難民。 この15年の間、イラクの人々は常に、殺され、拷問され、その住まいを追われる、ということに直面し続けてきた。 筆者の友人の、あるイラク人男性は 「希望なんか、どこにもない。 そんなものを持つには、僕らが失ったものはあまりに大きすぎた」と全てに諦めきった表情で言う。 その彼が再び心からの笑顔を取り戻すような日がいつか来ることを、イラクに真の平和が訪れることを、願わずにはいられない。 〇日本も無関係ではない イラク南部サマワに派遣されていた陸上自衛隊 日本では、自衛隊の撤退以後、イラクへの人々の関心はほとんどなくなってしまったかのように、筆者には思える。 ただ、 イラク戦争を日本政府が支持したこと、航空自衛隊が米軍の人員や物資を輸送したこと、在日米軍がイラク戦争へと投入されたこと、その人権侵害の深刻さが指摘されていたイラク政府に経済的な支援を続けたこと等という、客観的事実から言っても、イラクの人々の15年の苦しみと、日本は無関係ではない。 イラク戦争15年という節目にあたり、筆者も呼びかけ人の一人であるイラク戦争の検証を求めるネットワークは、NGO関係者やジャーナリスト、平和運動家などのメッセージを公開している()。 一人でも多くの人々にご覧いただければ幸いだ。 (了) *本記事での写真は、全て筆者の撮影。 無断使用を厳しく禁じる。 迫害から逃れて来た難民や、日本に家族がいるなど、母国に帰るに帰れない事情を持つ在日外国人の人々。 そうした人々を個々の事情を十分に鑑みることなく、法務省・出入国在留管理庁が次々に収容施設に「収容」し、かつ被収容者に医療を受けさせないなど、重大な人権侵害を行っている。 そこで筆者は、在日外国人の人々に寄り添い、法務省・入管の問題に取り組み続けている織田朝日さんを招き、今年5月に勉強会を開催した。 本稿は、その内容をまとめたものである。 筆者と織田さんとのやり取りの書き起こしは2万字以上に及んだため、2,3回に分割して配信する。 本稿の主な内容は以下のようなもの。 ・国連から9回も改善勧告 ・オリンピックのための難民狩り ・難民認定審査の改悪 ・入管職員の罵詈雑言、虐待 ・「懲罰房」でのストレス ・まともな食事を与えない 以下、講演録より。 ジャーナリストの志葉玲でございます。 今日は、この間、問題になっている法務省および入管庁の、その人権問題について、この問題をずっと長いことやっていらっしゃる織田朝日さんを招いて勉強会をさせていただきます。 今回この勉強会をやろうかなと思った一つのきっかけは、昨年末にいわゆる改正入管法というようなことで、外国人研修生の問題が結構いろいろ議論されたわけなんですが、一方でそもそもの問題である、在日外国人に対しての、いわゆる難民を含めてなんですが、出入国在留管理庁、いわゆる入管の扱いというのがあまりにもひどいのではないかと。 そこら辺のことについては、残念ながら野党側も時間がなかったこともあり、あんまりというか、ほとんど議論にならなかったんですよね。 ただし、今回の呼び掛け文にも書いてあるように、実は日本の入管行政に関しては、国連の人権関連の委員会から過去9回も改善の勧告が出ているわけです。 そういった問題をいつまでほったらかしにしているのかというようなことはありますし、今年夏に参院選、場合によっては衆院選、衆参同日選挙というようなこともまことしやかにいわれていますけれども、やはり与党にしても野党にしても、そんな国連から9回も勧告を受けているような入管行政をこのままほっといていいのかと。 そのまま、入管行政をこのままにしておいてオリンピックを迎えると、そんなことが許されるのかというわけです。 筆者(左)と、織田さん。 撮影:藍沙 そういうようなこともありまして、今後私としては、織田さんもそうですし、関連のこういったことをやっている団体のかたがたとも相談しながら、与党および野党に対して、夏の参院選あるいは衆院選の一つのテーマとして、 オリンピックを迎えるに当たって、口先だけで外国人ようこそと言っているわけなんですけど、レイシズムなヘイト行政をやっているわけなんです。 ヘイトクライムとかヘイトスピーチとかよく言うんですけれども、法務省、入管自体が、あれがヘイトクライムじゃないかと。 ヘイト組織じゃないか、ヘイト行政じゃないかと、そういう問題があるわけです。 そういったことに関して、現場でいろいろ制度だとか法律とかあるわけなんですけれども、でも実際に重要なのは、それがどのように運用されているかということなんです。 そういったことは、恐らく私が知っている限り、最も日本で詳しい方の一人だと思うんですけれども、織田さんが長年やっぱり東京入管に通い詰めていらっしゃいまして、そういった現場で見聞きしたお話から、われわれが考えていくヒントがあるんじゃないかなと思います。 それでは、ちょっと前口上が長くなりましたが、織田さん、よろしくお願いします。 織田:よろしくお願いします。 どうも、皆さま、こんにちは。 織田朝日と申します。 よろしくお願いします。 ちょっと今緊張してて、始まりがいつも私駄目で。 志葉:エンジンかかってくるとマシンガントークになるんですよね。 織田:それでなんか、こんな感じなんですけれども、なんていうか、収容されている方の声をやっぱり届けることが自分の使命だと思っておりますので、それはどうしてもやっぱり伝えなければいけないので、ちょっと頑張ろうと思いますので、最後までお付き合いください。 志葉:最初にお伺いしたいんですけど、皆さん多分TwitterとかFacebookとか見ていらっしゃったかと思いますけど、東京入国管理局の収容所に、外国人のかたがたが拘束されている、大勢拘束されているということを割と基本情報としてご存じの人手挙げてください。 ほぼ全員ご存じですよね。 じゃあそういう前提で。 まず、今収容の問題がニュースでだんだん明るみに出ているんですよね。 それに対して、なぜこうなっていくのかということなんですけれども、入管の歴史って結構古いんですよね。 大村入管から始まって70年以上やっているんですけれども、そういう話はあんまり、割愛して、2015年あたりから、法務省が収容を強めようという通達を出したんです、入国管理局に。 それはなぜかというと、やはり東京オリンピックが決定したというのがきっかけなんですね。 もちろん大きく言えば東京オリンピックがたくさん、外国人狩りの理由ではあるんですけれども、オリンピックのせいなのか、オリンピックを言い訳としているのかというところまでは、ちょっと私にもはっきり分からないし、結構弁護士さんの方もそれはどっちなんだろうねという話ではあるんです。 ただやっぱり オリンピックが近づくと、大体外国人排除というのは始まるんですけれども、それによって2015年から、難民申請者はあまり収容されてない時期だったんです。 過去5年ぐらいは難民申請者は少なくとも収容は免れていたんですけれども、それで2015年から不当な外国人、外国人はどんどん捕まえて追い出そうみたいなことを言いだしてから、どんどん捕まる人が増えたんです。 そのやり方が割と強行だったりして、今まで例えば住所変更とか、申告が厳しくなかったです。 もちろん住所変更は入管に全部言っていかなければいけないんですけれども、自分はどこどこに引っ越しましたっていうのを言っていかなければいけないんですけれども、それは別にそんなに遅れたところで収容されることはまずなかったんです。 住所のことで。 だけども、それ以降は住所変更が遅れたっていう理由だけで、2年以上も収容されている人とかもいるんです。 あと、一時旅行許可といいまして。 そうだ、仮放免から言わなきゃいけなかったですよね。 仮放免っていう言葉をご存じの方いらっしゃいますか。 ありがとうございます。 結構知ってますね。 そんなにこまごま言わなくてもいいのかも分かんないんですけど、いわゆる入国管理局、ビザのない外国人です。 ビザのない外国人が入国管理局に1カ月なり2カ月なり、決められた日に行って、仮放免の延長手続きというのを大体行っているんです、ビザのないかたがたは。 それで、2カ月後に入管に行って、じゃあ次は2カ月ねって、そういう形でその人たちは外にいるわけなんですけれども、それが打ち切られれば入国管理局にある収容所、東京入管だと本当は収容施設って言うんですけれども、私とかは一貫して収容所って言っちゃっているんですけれども、それで収容されてしまう、突然収容されてしまうこともある。 その理由は、やっぱり難民申請却下しましたよとか、仮放免手続きの延長がもう終わりましたって言われて収容されてしまう。 それでだんだんその強まっていったのが、オリンピック決定以降強まっていったのが、住所変更が遅れましたよって言われて、最初の頃はそんな知らなかった人が多くて、結構それが原因で捕まった人も多かったんです。 あと、 一時旅行許可、仮放免の人は、埼玉県だったら無断で東京都に行ってはいけない、千葉県だったら無断で群馬県に行ってはいけないという強い縛りがあるんです。 それも入管に許可を取っていかなければいけないんですけれども、それもそんなには厳しくなかったんだけど、やっぱりそれもすごい規律きつくして、どこどこに子どもと遊びに行きたいんだと、隣の県に遊びに行きたいんだと、入管に許可を取りに行っても、そんな遊びの理由では駄目ですよって言われたり、なかなか認められなくなってしまった。 でも、大体埼玉とか千葉とか住んでいる人って、やっぱり東京とか出る用事とかっていっぱいあると思うんです。 皆さんだって隣の県に行くとか、用事であると思うんです。 急用とかでも。 それでも入管は事由配慮で駄目ですよって言ったり、どうしても宗教上の関係でモスクに行かなきゃいけないんだとか言ったらOKだったりするんですけれども、でもその線引きみたなのがすごい曖昧で、でも かなり何日に、何時に誰と会いに行くの、何時に解散なの、相手の住所は、その場所の住所は、電話番号はってすごい細かく聞かれるんです。 それによっても、それでも許可しませんよって言われてしまう。 そういう場合は、やっぱりわざわざそんな遠い東京入管まで、品川の東京入管まで許可取らないで勝手に行ってしまう人もいる。 そうすると、それがばれてしまった場合、警察なんかに声掛けられたりしてばれてしまった場合は、やっぱり収容の対象になってしまう。 そういう、割と厳しいんです。 難民申請もどんどん却下してしまう。 今までは、難民申請中は収容されなかったんですけど、難民申請中でも収容されてしまう。 それ理由なんですかって。 私難民申請中じゃないですかって言っても、理由も教えてくれないっていうことなんです。 やっぱり収容されたからには、自分の生活を一気に奪われてしまうわけなので、やっぱりそれなりの理由は教えてもらいたいと思うんですけれども、理由を教えてくれないんです。 それによって、もう何年も収容されてしまうんですけれども、それでも2016年ぐらいから収容はすごい増えていったんですけれども、 ついには、去年の2月の28日に、和田局長、入国管理局の総トップの方が、各入国管理局の収容所の各局長に、去年の2月から、もう外に出すなという通達をしたんです。 それまでは10カ月とか1年以内に出られた人もいたんですけど、収容されても、だけども去年から、もう帰るまで出すなっていう通達を出したんです。 よっぽどの病気じゃない限りは、帰るまで出すなという。 でも、もちろん帰ったらいいじゃないかって思う人ももちろんいるとは思うんです。 帰れるならひょっとしたら帰ったほうがいいかもしれない。 収容されていつ出られるか分からないわけだから。 それで、だけどもやっぱり難民の、自分は危ないと、帰ったら危ないと思っている方は帰れないんです。 あと、日本人の配偶者がいられる方とか、もしくは子どももいる方とかは帰れないんですよね。 それとか、よく私とかが言うんですけど、高度成長期の90年代とかバブルの時代とかからずっといてくださった方、ずっと10年、20年暮らしている。 帰っても何もないという人たちとかは帰れないで、帰れる人は早く帰るんですけれども、それでも帰れないという事情を抱えている方は何年でも出られずに、今も収容されているままになっています。 収容所の中の話というのは聞いたことある方いらっしゃるでしょうか。 収容所の中の話を、いいですか。 じゃあ志葉さんが。 今、難民申請中の方が収容されてしまうという問題があって、実はこれ、2018年の1月に、難民申請の厳格化、効率化というようなことが法務省で決まりまして、そのことが影響しているんじゃないかなというわけです。 実際のところどうなのかというと、難民認定申請を厳格化するという、強制退去の効率化というようなところがあって、これまでの難民認定申請って、一律、難民認定申請ということで受け付けていたわけなんですけど、4つの事案に振り分けて、それによって対応を変えるというような形にするわけです。 それがA案件というのが、保護の必要が強い案件と。 B案件、難民条約上の迫害事由に明らかに該当しない事情を必要としている案件。 C案件、再申請で正当な理由なく、全回と同様の主張を繰り返している案件。 D案件、上記以外の案件というようなことで、A案件以外、ほとんどもう強制退去手続きを進めてしまうということです。 つまりそうなってくると、収容される可能性も非常に高くなってくると。 そういう問題が昨年の1月から実は起こっていたということなんです。 実際のところ、保護の必要性が強い案件というふうに言っても、そう言っても基本的に日本の難民審査自体が非常に大問題でして、結局他の先進諸国なんかに比べて、いわゆるG7というような国々に比べて、日本は極端に難民の庇護(ひご)率、つまり難民申請に対して何人認定しますかという庇護率が極端に低いということは、 国連の「グローバルトレンツ」というのがあるんですが、これはUNHCR、国連難民高等弁務官事務所の年次報告ですよね。 この最新の年次報告の中で、日本は極めてそういった難民庇護率が低い国ということを名指しで批判されているわけです。 ですから、そもそもそこの部分を見直さないといけないのに、偉そうにA案件、B案件、C案件、D案件というようなことを、難民申請者に対して振り分けて、実際ほとんどの人はA案件にならないわけです。 ほとんどの人はB、C、Dというような形で、退去強制手続きが同時に進められている、ということは収容されてしまうという。 それが、織田さんが今おっしゃられていた意味なんです。 望遠レンズで見ると窓際に収容されている人々が 筆者撮影 さらに言うと、このC案件の、再申請で正当な理由なく前回と同様の主張を繰り返している案件というのは、これは、要するに再申請というのは1回難民認定申請をしたんだけど認められなくて、もう一回申請したということです。 先ほども申しましたように、 日本の難民認定の審査自体がおかしいわけであって、UNHCRのガイドブックに沿ったものではなくて、独自の謎ルールで審査やっているわけですよね。 ですからいろいろそういった審査の問題がある中で、やっぱり認定されなかったと。 だからもう一回申請したと。 だけどもう一回申請したことに関して、正当な理由なく前回と同様の主張を繰り返した案件みたいなことを言ってくるわけなんですけれども、実際どういうような人が認められなかったかというと、 例えば自国で反政府デモに参加したと。 それについて治安当局から狙われて、自分のお母さんが、あいつはどこにいるんだということで兵士たちに殴る、蹴るの暴行を受けた。 それだけ大変な状況で、捕まったらほとんど殺されてしまうような状況。 これはシリアの話なんですけど、シリアの人権状況はどうなのかというのは、ほとんど素人だって分かるような話じゃないですか。 そういうような案件が、実は認められていないわけです。 こんなの認められなかったら、誰が難民として認められるんだというような、そういうような案件を認めないような法務省および入管が、偉そうにこうやって振り分けているわけです。 すいませんでした。 どうぞ、お話続けてください。 収容所というのは、もちろん刑務所みたいなイメージで取っていただいても大丈夫なんですけれども、収容されている方が言うのは、刑務所よりもひどいだろうということです。 まず刑期がない。 仕事もできないからやることがない。 フリータイムとかも決まっているんですけれども、朝9時ぐらいに起きて、点呼して。 点呼してっていうのも、もちろん入管職員の中でも意地悪な人もいるから、ちゃんと座れとか、水飲むなという、点呼中はトイレ行くなよとか、そういう、すごく外国人の収容されている方に対して横柄な方も結構報告されているんですけれども。 最近Twitterに書いたんですけど、くそ外人とか、本当に。 もちろん、私は収容されている方のことしかもちろん聞いてないし、職員に言えば、言ってないってもちろん言います、もちろん。 だけども、みんなの話を、もちろんこれはちょっとっていうのは皆さんには話しません。 これはちょっと信ぴょう性ないなという話はしないんですけれども、その話はかなり信ぴょう性があって、やっぱり複数のお話があったり、その人がいかに本気で言っているかとかでも判断させていただいてはいるんですけれども、大体昔からそういうのはあるんです。 昔ニュースになったのが、外人いじめの面白いって、中国人の収容者をばかにしたっていうことでニュースになってしまったんですけれども、すごく罵倒されることもある。 そういう人たちばかりではないです、一応。 一応かばっているわけではないけど、普通にそんな意地悪も言わない職員だっているわけなんですけれども、やっぱりどうしても中には、そういう立場関係で気持ちが大きくなってしまう人もいるし、もちろん外国人を本当に快く思っていない人もいるから、どうしてもそういう言葉を投げ掛けてしまう人もいます。 「くそ外人、国に帰れ」とか言ったり、最近、入管の中にいるお医者さんですら「国に帰ったら」っていう。 お医者さんはそれを言っちゃ駄目だと思うんです。 そういうことを言うという証言も幾つか出ております。 そういうのも、言葉もひどいし、収容されているほうは返せないじゃないですか。 やっぱり立場が弱いし、できるだけ仮放免されたい、日本で生きていきたいと願っているので、できるだけ我慢する方がいる。 で もちょっとでも言い返したりすると、すぐ10人ぐらいばーってきて制圧されてしまう。 正式名称は保護室だけども、懲罰房と。 それは職員も懲罰房という言葉を使っているらしいんです。 使っていますね。 使っています。 それで、外国人の人たちも懲罰房という言葉を使っています。 その懲罰房というのが3畳ぐらいの部屋で、トイレとか。 トイレがなんか穴みたい、和式で穴みたいな感じなんですよね。 それでなんかちょっと水道みたいのがあって、それで監視カメラみたいな感じで、職員が気に入らないことをしてしまうと、そこに5日間ぐらい閉じ込められてしまうということがあります。 あと、医療面がすごい深刻で、これもたまにニュースになったりしているんですけれども、やっぱり入管からの言い分は、医療はちゃんとしていますよってもちろん言っているんですけれども、やっぱり中にいる人たちはそうではなくて、 やはり2カ月以上待たされてしまうとか、どうしても連れていってもらえないと。 結局連れてってもらえないっていうのと、中の人たちはそう言っているんですけれども、実際医療ネグレクトで、連れてってくれ、連れてってくれって言って何度も言っているにもかかわらず、連れてってもらえなくて、それで死んでしまったというケースもあります。 医療ネグレクトで、これですね、死んでしまったというケースがあります。 最近は弁護士が調べたっていうのかな、の話では、盲腸の方で、最終的には手術は受けられたんだけど、医者が言った退院日よりも早く退院させられて、さらに症状が悪くなってしまって、その後も、なんか傷口から液体が出るとか。 私も見せてもらったんですけども、アクリル板越しで、すごい痛いと。 耐えられないぐらい痛いって言っていて、それでも連れてってもらえなくて。 でも 「連れてけ、連れてけ」って騒ぐとすぐ懲罰房に連れていかれてしまうという。 それで弁護士が調べたところ、結局最終的には2カ月後に病院連れてったんですけれども、入管の中の職員の報告書には、3日前に痛いって言ったから連れていきましたっていう虚偽の報告書が分かったんです。 そういうことをやっていたということです。 歯が痛いとか、いっぱいあるんです。 それで、中で病気になる原因の中では、 収容が原因でPTSDにかかってしまう人もたくさんおりまして、それで統合失調症になってしまったとか、パニック障害にかかってしまった。 中にいたことでだんだんそういう拘禁症状が陥ってしまったという人もたくさんいます。 そういう方は解放されたとしても、解放された、よかったねという話ではなくて、いまだに病院通ったりトラウマに苦しめられる。 子どもたちの声がうるさくて怒鳴ってしまう。 そのお父さんは落ち着くまで、家族は30分ぐらい外に出ていなきゃいけないとか、あと、精神病院にまだ通っているよとか、頭がすごい痛いんだよねって、とにかく。 胃が治んなくてとか、病院を余儀なくされる。 治んない。 悪い夢をいまだに見るとか、一つの部屋にいれなくてコンビニにずっと居座ってしまうとか、そういう証言を聞いております。 どうぞ。 例えば、3日間、先は分からないで拘束されているのと、3週間後に出られるよと分かっていて拘束されたのでは、多分後者のほうが楽だと思うんです。 なぜそういうふうに言えるかというと、私は前、米軍の捕虜収容所に拘束されてたから、そのときもいつ出られるか分かんなくて、スパイ容疑で捕まったから、下手したらこれ何年か食らうかもしれねえなみたいなことで、 私、イラク取材しているときにそういって米軍に捕まったことがあるので、被収容者の気持ちが分かるわけなんですけれども。 実際にはたった8日間で出られたんです。 だから全然大したことなかったんですけれども、何年か食らうかもしれないなと思いながら8日間は本当につらかったです。 たった8日間でそれなんですから、これが数カ月だとか半年だとか1年とかになってくると尋常じゃないストレスですよね。 しかも入管の職員たちは非常に偉そうにしているし、ばかにしてくるし、おまえはここから出ることできないんだだとか、帰るしかないんだというようなことで、毎度毎度そういった嫌みだとかそういう恫喝(どうかつ)を受けたりだとかして、おまえの言っていることはうそに違いないとか、そういうような難民だって言っている人に対してうそに違いないとか言ったりだとか、そういうようなことを言ってくるわけで、ストレスが本当に半端ないわけです。 難民申請している人にとっては、自分が本当大変な思いをして日本にやっと逃げてきたのに、なんでこんな理不尽な目に遭わなきゃいけないんだということ自体がすごいストレスですよね。 ですからそういう中で、はさみとかで体を切ったりだとか、洗剤飲み込んじゃったりだとか、そういう自殺未遂をやるわけです。 普通そういう自殺未遂をしたら、精神的なケアとかをしないとって思うじゃないですか。 ところが入管でやっていることというのは、精神的ケアどころか、先ほどの懲罰房に、たった3畳ぐらいしかない、下手すると窓すらもないような部屋に閉じ込めて、ケアしないといけない人たちを、ケアするどころかよりひどい状況に追い込んでいくという、そういうことを繰り返しているわけですから、そりゃむしろなんのストレスやなんのPTSDもなくて、収容所から出られるほうがむしろおかしいんじゃないかって、そう思いますよね、織田さん。 引き続き、私ちょっとテンパっててすごい飛ぶかもしれないんですけれど、食事の話もしたいと思うんです。 食事がもともとおいしくない。 おいしくないっていうのは、本当に冷たいご飯とか出てきたり、魚が臭いとか、いろいろ証言を頂くんで 私とかも最初の頃は、10年前から面会はやってたりしているんですけども、最初に魚が臭いとか聞けば、ひょっとしたら文化が合わないからかもしれないとか、食事が合わないのかなとか思うところなんですけど、収容されている方って結構日本にいて長い人が多いので、割と日本の食文化は得意なんです。 大好きなんです。 それで、やっぱり面会何回もしてても、みんな同じ証言を、いろんな人が同じ証言をするんですよ。 魚が腐ってたとか、髪の毛が入ってたとか。 一時期は本当に、1日面会してて、いろんなブロックの人を面会してても、同じ日に一斉に、きのう髪の毛入ってたんだよって言われて、どうやってそんな大量の髪の毛入れられるんだろうって、もちろん私も思うんですけれども。 それで、鉄くずが入っていたとか虫が入っていたとか、 洗っていない容器でさらにご飯が盛ってあったとか、そういう証言が本当に後を絶たなくて、 ご飯が冷たい、やっぱり時には腐ってたっていう。 それも本当腐ってたって何回も聞くんですけれども。 確かに、職員の方に、これ腐ってたから取り換えてくれないかって言ったら、これ腐ってるねって本当に取り換えてくれてはいるらしいんです、中に。 ということは、職員も認めているということなんです。 それで、ただ今年2月からだったと思うんですけど、食事の量がさらに減ったという証言がありまして、食事が食べれない場合はコンビニで、買い物シートみたいのを紙をもらって、それに丸付けたりしていくんですけれども、おなかがすいた場合、カップラーメンを、給食だけじゃ駄目だからカップラーメンでと思ってもお金がかかるわけです。 そんなに買えるものもすごい限られてて、栄養価の高いものがそんなにないんです。 それで、カップラーメンとかは頼めたりはするんですけれども、それで食事の質で、すごい油ギッシュなコロッケなんだよってすごい言われるんですけど、みんなに。 本当に体によくないって本人たちは言っていて、それがやっぱきっかけなのか、すごく湿疹ができちゃう人が多くて。 大体これは多分食事のせいなんだよねとか、便秘になっちゃう人とかも多くて、これ多分食事のせいなんだよねって言うんですけれども、2月からさらに食事の質が悪くなって、それでなんでしたっけ、これもニュースになったんですけれども、おみそ汁が有料化したっていうんです。 それで、今までは一応おみそ汁はただで出てきて、おみそ汁が出てこなくなった。 欲しい人は買ってくださいっていうことです。 買わせなくていいじゃないですか。 別に残す人が多くいたとしても、欲しい人は出しますよでいいと思うんですけど、なんでそこでお金取るのかなって思って。 代わりに、おみそ汁の代わりにお茶が出るようになったらしいんですけれども。 あと、豚肉と牛の肉が出なくなった。 鶏だけ、出るとしたら鶏だけ。 これは宗教に配慮していますよって、それはないんじゃないかと思って。 ただでさえ少ないものが少なくなって、宗教上に配慮といっても、豚、牛食べれる人のほうが圧倒的に多いんです。 宗教的に配慮するんだったら、やっぱり作る段階で配慮しなきゃいけないもので、豚と牛を抜いたから宗教的配慮かと。 あとしょうゆも有料になったのかな。 あれはアルコール入っているから。 違う、醤油はなしになったのか。 アルコール入っているからという理由です。 おしょうゆで酔っぱらう方っていますか。 なんかちょっと理屈としてはおかしいですよね。 なんでそうなっちゃうのかなって私は思うんですけれども、これだとやっぱりどうしても兵糧攻めに見えてしょうがない。 牛久入管はまだ食事の差し入れができるんです。 でもそれも制限があって。 私、行ったことはないんですけど、長崎入管は一応もうある程度なんでも差し入れできるんです。 生野菜だろうがなんだろうが、ペットボトルだろうがなんだろうが、一応できるんです。 だからそこがいいっていうことはないんです。 もう収容所である限りはよくないんですけれども。 でも東京入管は食べ物の差し入れができないんです、どういうわけか。 毒を入れているからかもしれないとか言われたことがあるんですけれども、勘弁してくださいよっていう話で。 でも封をちゃんとしてあればいいじゃないですか。 でもそれは何回か言ったことはあるんですけれども、結局食事の質が落ちて少なくなって、コンビニとかで買うにもお金がかかってしまう。 みんな働いていないからお金なんかないし、それは親戚とかお友達とかがお金の差し入れはできるから、差し入れてくれるけどいつまでそれを続けるのか。 食べ物も差し入れもできない。 これはもう本当に兵糧攻めだなと思って、私はかなりこれはひどいと思うんです。 どうぞ。 志葉:入管法というか、より正確に言うと別の法律になるわけなんですが、とにかく私が言いたいのは、法律上人間を拘束している以上、行政機関がきちんとその人の健康管理をきちんとして、調子が悪くなったら病院連れていく、また食べ物を十分に与えないだとか、そういった健康を害するような行為をするということは、それ自体が基本的にやっぱり法律違反なんです。 違法行為なんです。 そういうようなことを入管っていうのは普通にやってくるというのが、やっぱり非常に大きな問題だなと思います。 あと、私このことを、 食事の問題を前に記事に書いたときに、入管に給食を作っている業者から文句を言われたことがあるんですけれども、私達はちゃんとまともにやっているということを言うわけです。 だとすると、業者がそういうふうに給食をちゃんと作っているんだとしたら、なぜ混入しているかというと、それは入管職員が混ぜるしかないですよねという話になってくるわけ。 織田:なんでここまでいろんなものが入っているのかというと、ちょっと疑わしい気持ちにはなってくる。 志葉:だけど、 外国人いじめるのが楽しいとかそういうようなことを言っている入管職員がいるわけですから、そして、彼らの仕事というのは、要するに外国人を自国に帰らせることなんです。 だから、 彼らとしてはいろいろいじめをやるのも一つ仕事のうちだと、絶対それは口に出しては言わないだろうけど、そうとしか思えないようなことをやっている節はいっぱいあるわけです。 そこはやっぱり気を付けないといけないんだろうなと。 だから業者のせいじゃなくて、入管職員がわざとそういう意地悪なことをやっていて、それが変な入管の文化みたいになっているんじゃないかと。 そういうふうに疑っちゃうんですけどね。 (次回配信へ続く).

次の

湾岸戦争終結後に起きた「イラク戦争」をわかりやすく解説

イラク 戦争

湾岸戦争とのつながり アメリカは1990年代の湾岸戦争に参加しています。 湾岸戦争はイランイラク戦争によって経済的に疲弊してしまったイラクが経済力を回復するため、隣の国であるクウェートに侵攻したことから始まります。 油田をめぐっての争いでしたが、イラクがクウェートに入り込んだ事は国際法にも違反している事でした。 そのためアメリカは国連軍として湾岸戦争に乗り込んだのです。 そして停戦協定を結ぶ時、イラクからすべての大量破壊兵器を廃絶するという決まりを設けましたが、その後の調査をイラクは嫌がりました。 そのため主要国家はイラクは大量破壊兵器を隠し持っているのではないかと考えるようになったのです。 そして2001年9月11日に同時多発テロが起こったため、ブッシュはやはりイラクが大量破壊兵器を持っているのではないかと強く疑ったのです。 また、湾岸戦争の時のアメリカ大統領はブッシュ大統領の父親でした。 同時多発テロの報復 確かにイラク戦争そのものはイラクが大量破壊兵器を隠し持っているのではないかというところから始まりました。 しかし、簡単に言えばイラク戦争は同時多発テロの報復だったと考えられます。 もともと本土攻撃をされたことがないアメリカにとって、アメリカの中心地とも言えるニューヨークを攻撃されたというのは非常に衝撃的な出来事となりました。 そして、アメリカはテロリストたちはフセイン政権と関連しているのではないかと考えるようになったのです。 つまり、イラク戦争は同時多発テロの報復とも言えるのです。 アメリカの力を見せつける さらになぜアメリカがイラク戦争始めたのかというと、やはりブッシュ大統領が率いる強いアメリカの力を見せつけることが背景にあったとも言えるでしょう。 日本は日本国憲法第9条により、二度と戦争はしないと決めています。 しかしアメリカにとってはそうではありません。 必要によって戦争をします。 そのためイラク戦争がなぜ起こったのかというとアメリカがアメリカの力を見せつけようとしたとも言えるのです。 報復と似ていますが、アメリカに手を出せばそれ以上の仕返しを受ける、アメリカにはそれだけの力がある、ということを知らせようとしたのです。 まとめ いかがでしょうか。 なぜアメリカがイラク戦争始めたのかというと公式にはイラクには大量破壊兵器があるかもしれないから、ということでした。 しかし、実際は大量破壊兵器など存在せず、アメリカはフセイン政権を倒して終わったのです。

次の

イラク戦争開戦から15年「希望なんかどこにもない」―続く苦難、見放された避難民たち(志葉玲)

イラク 戦争

「イギリス軍は、アメリカ軍およびオーストラリア軍と協働して、2003年3月20日にイラクにおいて軍事行動を開始したことを報告する・・・。 軍事行動は継続中である。 この行動は、イラクによる国連大量破壊兵器廃棄特別委員会(UNSCOM)、国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)および国際原子力機関(IAEA)に対する長年にわたる非協力、ならびに安保理がイラクに課した軍縮の義務をイラクが履行していないという安保理の認定(決議678 1990 、687 1991 および1441 2002 を含む)の結果によるものである。 決議1441 2002 において、安保理は、イラクによる大量破壊兵器の保有は国際の平和と安全に対する脅威であること、イラクが軍縮を行わないことで義務に明確に違反していること、その結果イラクは1991年の停戦の際に安保理が決議687 1991 で課した停戦条件の深刻に違反していることを繰り返し述べた。 軍事行動は、イラクによる決議遵守を確保するために他に残された手段がないことが明らかになって始めて開始された。 この行動の目的は、安保理が課した軍縮の義務をイラクが遵守することを確保することにある。 すべての軍事行動はこの目的を達成するために必要な最低限の措置に限定される。 作戦は、国際武力紛争法に則って実施される。 攻撃目標は文民の被害を避けるために慎重に選定される。 ・・・」 「多国籍軍(Coalition forces)は、イラクに置いて軍事行動を開始した。 この作戦はイラクが決議1441 2002 を含むいくつかの安保理決議により課された軍縮の義務に深刻に違反し続けていることから必要となった。 作戦は大規模なものであり、これによりイラクの義務履行を確保することができるだろう。 作戦遂行に当たって、われわれは文民の被害を避けるために全ての合理的な予防措置をとる。 この行動は、既存の安保理決議(決議678 1990 および687 1991 を含む)によって許可されたものだ。 決議687 1991 は、イラクにいくつかの義務を課したが、その中でも最も重要なものが徹底的な軍縮の義務である。 これは停戦の条件だった。 一貫して認められ理解されている見解によると、イラクのこれらの義務に対する深刻な違反は、停戦の根拠を失わせ、決議678 1990 の武力行使の権限を復活させる。 これが多国籍軍による過去の武力行使の根拠になってきたし、安保理もこれを認めてきた。 例えば、イラクによる決議687 1991 の深刻な違反をうけて、事務総長は1993年1月の公式声明で、多国籍軍は決議678 1990 によって武力行使の権限を与えられたと認めている。 イラクは、決議1441 2002 で安保理が認めたように、決議687 1991 の下での軍縮の義務に深刻に違反し続けている。 国連憲章第7章の下で行動し、安保理は全会一致で、イラクが義務に深刻に違反してきたこと、および違反し続けていることを決定し、イラクに対するこのような義務違反を続けることにより重大な結果に直面するであろうという繰り返しなされた警告を想起している。 さらに決議1441 2002 は、イラクに義務に従う「最後の機会」を与えた。 しかし、大量破壊兵器計画の全ての側面について正確、全面的かつ完全な開示を行い、決議に従いまたは決議の実施に全面的に協力するべき同決議の下での義務にイラクが違反することは、さらなる深刻な違反に該当することを、決議1441 2002 は明確に認めている。 イラク政府は決議1441 2002 による最後の機会を利用しないと決定し、明らかにさらなる違反を行っている。 イラクの深刻な違反を踏まえると、停戦の前提が失われ、決議678 1990 の下で武力行使は許可される。 イラクは、長期間にわたって、イラクが軍縮し、大量破壊兵器とそれに関連する計画に対する全面的査察を認める義務を遂行するよう促す外交交渉または経済制裁などの平和的手段に応じるのを拒否してきた。 多国籍軍の今回の行動は、これに対する適切な対応である。 こうした措置は、イラクの及ぼす脅威から米国および国際社会を防衛し、地域の国際平和と安全を回復するために必要なのである。 これ以上対応を遅らせても、違法で脅威となる振る舞いをイラクが続けるのを許すに過ぎなかったであろう。 ・・・」 1. 米英の法的正当化根拠は「安保理決議678 1990 で許可されている」というもの 国内向けの説明では、イラクとテロリストとの関係も持ち出されていたが、安保理での公式の釈明では、武力行使は決議678 1990 により許可されているという点に限定されている。 したがって「さらなるテロの危険」を根拠にした「先制的」自衛が法的に許容されるかという問題はひとまず検討する必要はない。 決議1441 2002 の読み方に焦点が集まったが、武力行使のそもそもの根拠は決議678 1990 にあるとされた。 余談であるが、イギリス政府の公式見解に大きな影響を及ぼしたLSEのグリーンウッド教授は、決議1441 2002 採択「前」の2002年10月末にロンドンで行われた講演会で、すでにこの決議678 1990 根拠説を唱えていた(筆者聴取)。 決議1441 2002 は、決議687 1991 の大量破壊兵器廃棄義務をイラクが果たしていないことを認めているが、英米の考え方では、この決議が「義務に深刻に違反している」と強い言葉で認定したことのみで、決議678 1990 と687 1991 に基づく武力行使の合法性が客観的に確認されたことになり、決議1441 2002 13項の「イラクが義務に引き続き違反すると重大な結果に直面するであろう」という文言が武力行使の許可であるのかどうかは重要な問題ではないことになる。 決議678の射程 こうした12年前の決議を援用することには疑義が生じうる。 例えば、決議678 1990 は、1991年の多国籍軍の武力行使に関する授権決議であり、決議687 1991 によりもたらされた停戦によって授権の効果は終了したという批判がある(松田竹男「イラク戦争と国連・国際法」 Interjurist 143号, )。 より詳しく、多国籍軍による一ヵ月半に及ぶ攻撃を経て、イラクがそれまでの安保理決議を受諾すると発表して戦闘が停止された直後、これを確認するため採択された決議686 1991 の効果も重要である。 この決議の2,3項は、抑留したクウェート市民および捕虜となった多国籍軍兵士の解放、現地の軍司令官同士の技術的協定の締結、敷設地雷の報告、没収財産の返還など、停戦に伴う当面の「処理」をイラクに要請し、続く4項は「上記 2,3項の要請にイラクが従うまでの間、決議678 1990 の2項の規定(多国籍軍への授権決議)は効力を引き続き有する」と述べている。 ここから当然、この決議の一ヵ月後に決議687 1991 が採択され「正式の停戦」をもたらされたことにより、(期間延長されていた)多国籍軍の武力行使権限は終了し、それ以降の武力行使は、別に授権決議が必要になるとの主張がある(Lowe, ICLQ Vol 52 2003 pp. 865-866)。 しかし他方で、決議678 1990)に基づく権限の停止に明示的に言及した決議がないことも事実である。 そもそも決議678 1990 は「イラクのクウェートからの撤退」を確保するために多国籍軍に武力行使を認めたにすぎないとの批判もある(松田「前掲論文」)。 これに対して先のグリーンウッド教授は、決議678 1990 が、武力行使を授権した第2項において、イラクのクウェートからの撤退を求めたそれまでの安保理決議の遵守を確保するのみならず、「地域の国際平和と安全の回復」もまた武力行使の目的としていたと強調している。 さらに、停戦条件を定めた決議687 1991 も「地域の国際平和と安全の回復」のため(前文)に大量破壊兵器の廃棄を求めている。 ここから教授は(そして彼が強い影響を及ぼしたイギリス大法官意見書は)、停戦後も地域の国際平和と安全の回復のための武力行使は引き続き許可されており、イラクが大量破壊兵器廃棄義務に従わないことはそうした平和と安全回復に支障を及ぼすので、多国籍軍は武力行使が可能であると結論づける。 以上のような決議678 1990 と687 1991 を併せて読む解釈には若干無理があるようにも見えるが、アメリカの国連大使の書簡はこの解釈がこれまでのイラク空爆の根拠となってきたと主張する。 確かに、これまでにもイラクが査察への協力を拒否してきた結果何度か英米による武力行使が、安保理による個別的授権なく行われたが、その際に、英米両国が法的根拠として援用したのは、決議678 1990 と687 1991 であった。 今回の主張は、従来の議論の繰り返しなのである。 しかし肝心なことは、こうした英米の立場に対しては、当時から安保理内で強い批判があったということである。 フランス、ロシア、中国の常任理事国は一貫して、決議678 1990 による授権は決議687 1991 によって効力を停止したと主張してきた。 すなわち今回おこったような、イラクに決議を遵守させるために明確な個別的授権がないまま行われる(英米の)武力行使の合法性に関する法的論争は、解決されることなく続いてきたのである。 したがって、少なくとも、決議687 1991 以降も決議678 1990 に基づいて武力行使が許可される実行が「定着している」とは言えないように思われる(例えばを参照)。

次の