いと あはれ。 大鏡『鶯宿梅』(いとをかしうあはれにはべりしことは〜)の品詞分解 / 古文 by 走るメロス

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「もののあはれ」の発見 [ ] 「もののあはれ」は、後期のが、著作『』や『』などにおいて提唱し、その頂点が『』であると規定した。 江戸時代には、の保護、奨励した儒教思想に少なからず影響を受けた「」の概念が浸透し、過去の平安時代の文学に対しても、その儒教的概念や政治理念を前提にして評価され、語られた時期があったが、この本居宣長の「もののあはれ」の発見はそういった介入を否定し、文学作品の芸術的自律性という新しい視点を生み出した。 宣長は、それまで一般的な他の文学作品同様に『源氏物語』が時代時代の思想風土、政治風土に影響されて、その作品の内在的な美的要素からではなく、外在的な価値観や目的意識から読まれてきたことを排し、歌・物語をその内在的な価値で見ようとし 、「文芸の自律性」という以来の新しい文芸観に基づいて、『源氏物語』における「もののあはれ」を論じた。 宣長は『源氏物語』の本質を、「もののあはれをしる」という一語に集約し、個々の字句・表現を厳密に注釈しつつ、物語全体の美的価値を一つの概念に凝縮させ、「もののあはれをしる」ことは同時に人の心をしることであると説き、人間の心への深い洞察力を求めた。 それは広い意味で、人間と、人間の住むこのとの関連の意味を問いかけ、「もののあはれをしる」心そのものに、宣長は美を見出した。 解釈の一例 [ ] ドイツ初期の基本的心的態度を、「無限なるものへのあこがれ」と特徴づけ、や研究者として知られるは、の説いた「もののあはれ」論に触れて、「もののあはれをしる」という観的な哀愁の中には、「永遠の根源的な思慕」あるいは「への依属の感情」が本質的に含まれているとも解釈している。 これは西行が、自身が都に住んでいた時に、月を見て、「あはれ」と思ったのは、すさび=でしかなかったと詠じ、旅路での情景への感動を詠んだ歌である。 また、「飽かずのみ 都にて見し 影よりも 旅こそ月は あはれなりけれ」〈飽きることなくいつも都で仰いでいた月よりも、 旅の空でながめる月影こそは、あわれ深く思われる〉という歌もある。 月に「あはれ」を見た西行は、の境地を拓き、東洋的な「」、を表現していた。 西行と歌の贈答をし、歌物語をしていたは、西行が物語った言として次のように述べている。 西行法師常に来りて言はく、我が歌を読むは遥かに尋常に異なり。 花、、月、雪、すべて万物の興に向ひても、およそあらゆる相これ虚妄なること、眼に遮り、耳に満てり。 また読み出すところの言句は皆これ真言にあらずや。 花を読むとも実に花と思ふことなく、月を詠ずれども実に月とも思はず。 ただこの如くして、縁に随ひ、興に随ひ、読みおくところなり。 紅たなびけば虚空色どれるに似たり。 白日かがやけば虚空明かなるに似たり。 しかれども、虚空は本明らかなるものにあらず。 また、色どれるにもあらず。 我またこの虚空の如くなる心の上において、種々の風情を色どるといへども更に蹤跡なし。 この歌即ち是れ如来の真の形体なり。 — 「明恵伝」 脚注 [ ]• 『日本人の心』(、1969年2月)• 改版1971年)• 『』(、1969年3月16日)• 『明恵伝』 参考文献 [ ]• 中井千之, 「」『上智大学ドイツ文学論集』 中井千之教授還暦記念号, 26号 p. 9-20 1998年, ,• , 「」 紀要論文『続 河の音』 p. 32-34, 王朝文学の会,• 『』(、1926年。 改版1971年)• 『』(、1969年3月16日)• 2013年に受賞。 関連項目 [ ]•

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「あうむ、いとあはれなり。人の言ふらむことをまねぶらむよ」何で「らむ」...

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「あはれ」な『源氏物語』と「をかし」な『枕草子』 紫式部と 清少納言。 平安時代を代表する2大女流作家といっても過言ではありません。 そして、なにかといってライバルとして語られることが多いのもこの2人です。 西暦1000年頃に清少納言が『枕草子』で文壇に立てば、少し遅れて1008年頃に紫式部が『源氏物語』を完成させて脚光を浴びます。 さらに、紫式部が仕える中宮彰子と、清少納言が仕える中宮定子、ひいては藤原道長と藤原道隆の骨肉の権力争いが2人の立場を決定的なものにします。 そして何より、『紫式部日記』に書き連ねられた紫式部から清少納言に対する辛辣な評価を見ると、二人が火花を散らす様子を伺い知ることができます 原文: 清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。 さばかりさかしだち、真名書きちらしてはべるほども、よく見れば、まだいとたらぬこと多かり。 口語訳: 清少納言は実に得意顔をして偉そうにしていた人です。 あれほど利口ぶって漢字を書きちらしております程度も、よく見ればまだひどく足りない点がたくさんあります。 (紫式部日記『新編日本古典文学全集』小学館 p201 より引用) 現代に燦然と輝く名作を残した才能ある2人だったからこそ、互いに譲れない部分も多くあったのでしょう。 さて、2人の代表作である 『源氏物語』と 『枕草子』。 この2作も対比して語られることが多くあります。 『源氏物語』は「あはれ」の文学で、 『枕草子』は「をかし」の文学であるとよく言われます。 国語の文学史でそう習った記憶がある方もいらっしゃるのではないでしょうか。 『源氏物語』では「あはれ」という語が多用され、一方の『枕草子』では「をかし」が多用されていると言われています。 「あはれ」「をかし」という語は、現代語ではどちらも「情趣」とか「風情」といったように訳される言葉です。 しかし、厳密にいうと、この2語は少し異なる意味を持ちます。 「あはれ」…心の底から湧き出てくるしみじみとした感情や感動を表す 「をかし」…はっとした気づきから来る機知にあふれた感動を表す 「あはれ」の文学と言われる『源氏物語』では、光源氏を中心とした登場人物たちの緻密な心情描写や、そこからあらわれるしみじみとした情趣が描かれています。 また、「をかし」の文学と言われる『枕草子』は、若い清少納言のウィットに富んだ気づきから来る、はっとおどろかされるような感動が作品の魅力となっています。 私はこの話を高校時代の国語の先生から聞いて、「はえー、そうなんだ、すごいなぁ」と納得していました。 しかし、最近、古典に触れる機会が増えた結果、「あのときの先生の話は本当なのか」と自分の目で確かめなくては、いてもたってもいられなくなってしまったのです。 というわけで、前置きが長くなりましたが、『源氏物語』『枕草子』に登場する「あはれ」と「をかし」の数を数えてみちゃいました。 結果発表 舌の根の乾かぬ内にすみません。 結局、数えませんでした。 というのも、初めは、語彙索引やJapanknowledgeの検索機能を使って一つずつ調べていっていたのですが、なにせ時間がかかる。 徹夜と人海戦術を駆使し、手作業で調べていた先人のみなさまには申し訳なく思いますが、なにか良い資料はないかと大学の本棚を探していると、見つけました。 これは、『源氏物語』『枕草子』を始めとして、『方丈記』『大鏡』『更級日記』『紫式部日記』『蜻蛉日記』『後撰和歌集』『土佐日記』『古今和歌集』『伊勢物語』『竹取物語』『万葉集』、計13作品に含まれる語の数を、それぞれ表として提示しているというものです。 すごい! これを使えば一目でわかる! ということで、この『古典対照語い表』を用いて今回は調査を進めました。 ) あれ? 「あはれ」「をかし」のどちらも、『源氏物語』の方が多いぞ……? 実はこれにはちゃんとわけがあります。 それは 、『源氏物語』と『枕草子』の分量の差です。 今回の調査対象を両作品とも収録している小学館の『新編日本古典文学全集』では、『枕草子』が1巻で収まっているのに対し、『源氏物語』は6巻分にも及んでいます。 単純に数だけを比較すれば、『源氏物語』がどうしても多くなってしまうのです。 そこで、『古典対照語い表』の巻末に載っていた、『源氏物語』と『枕草子』ののべ語数を使うことにしました。 結果がこれです。 源氏物語(のべ語数:207808) 枕草子(のべ語数:32906) あはれ 944(0. ) 割合を見ると、たしかに、『源氏物語』は「あはれ」が多く、『枕草子』は「をかし」が多いという結果になりました。 高校の先生が言っていたことは間違っていなかった! それにしても、目を引くのは『枕草子』の「をかし」の多さです。 驚異の1%越え! それもそのはず、『古典対照語い表』の巻末資料によると、『枕草子』における『をかし』の割合は全語の内、上位8位に食い込んでいます。 1位~7位までを「あり」「いふ」「いと」「人」「す」「もの」「こと」といった、上位にいて納得のラインナップが占める中、唐突な「をかし」なので、清少納言のこだわりが感じられます。 『源氏物語』を超える「あはれ」な作品 余談ですが、『古典対照語い表』に掲載されていた他作品も調べてみたところ、「あはれ」の割合が『源氏物語』を超える作品を見つけました。 それが『 更級日記(さらしなにっき)』です。 『源氏物語』が0. 45%だったのに対し、『更級日記』は 0. 61%とそれを上回っています。 『更級日記』は平安時代中期に 菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)によって書かれた日記文学の名作の1つです。 物語に憧れた無邪気な少女時代から、身内の死去、結婚などを経て、次第に現実の厳しさを知り老いていくまでの約40年間が綴られています。 注目したいのは、 菅原孝標女が特に恋い焦がれていた物語が『源氏物語』だということです。 国語の教科書にも「源氏五十余巻」として掲載される『更級日記』の一節では、叔母である藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)からもらい受けた『源氏物語』を喜々として読む姿が描かれています。 こうした菅原孝標女の強いあこがれを見ると、『源氏物語』から影響を受けた結果、『源氏物語』を上回るほど「あはれ」を多用してしまったんじゃないかと考えてしまいます。 おわりに 調べた結果、『源氏物語』は「あはれ」が多く使われていて、『枕草子』は「をかし」が多く使われており、『源氏物語』は「あはれ」の文学、『枕草子』は「をかし」の文学、という言説に間違いはなさそうだという結論に至りました。 そして、真偽は定かではありませんが、『源氏物語』の「あはれ」の精神は『更級日記』にも受け継がれているようです。 みなさんも、好きな作家、憧れの作家がいたら、その人の文体を徹底的に真似してみることで後世に伝わる名作を書ける……かもしれません。

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清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた 『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。 『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。 紫式部が『源氏物語』で書いた情緒的な深みのある 『もののあはれ』の世界観に対し、清少納言は『枕草子』の中で明るい知性を活かして、 『をかし』の美しい世界観を表現したと言われます。 参考文献(ページ末尾のAmazonアソシエイトからご購入頂けます) 石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫) [古文・原文] 38段 鳥は、異所(ことところ)のものなれど、鸚鵡(おうむ)、いとあはれなり。 人の言ふらむことをまねぶらむよ。 郭公(ほととぎす)。 水鶏(くひな)。 ひたき。 山鳥、友を恋ひて、鏡を見すれば慰むらむ、心若う、いとあはれなり。 谷隔てたるほどなど、心苦し。 鶴は、いとこちたきさまなれど、鳴く声の雲居(くもい)まで聞ゆる、いとめでたし。 頭赤き雀。 斑鳩の雄鳥(いかるがのおどり)。 巧鳥(たくみどり)。 鷺(さぎ)は、いと見目も見苦し。 眼居(まなこゐ)なども、うたて萬(よろづ)になつかしからねど、ゆるぎの森にひとりは寝じとあらそふらむ、をかし。 水鳥、鴛鴦(をし)いとあはれなり。 かたみに居かはりて、羽の上の霜払ふらむほどなど。 千鳥、いとをかし。 鶯(うぐいす)は、詩(ふみ)などにもめでたきものに作り、声よりはじめて、様かたちも、さばかり貴(あて)に美しきほどよりは、九重(ここのえ)の内に鳴かぬぞ、いとわろき。 人の「さなむある」と言ひしを、さしもあらじと思ひしに、十年ばかり侍ひて聞きしに、まことに更に音せざりき。 さるは、竹近き紅梅も、いとよく通ひぬべきたよりなりかし。 まかでて聞けば、あやしき家の見所もなき梅の木などには、かしかましきまでぞ鳴く。 夜鳴かぬも、寝(い)ぎたなき心地すれども、今はいかがせむ。 夏、秋の末まで、老い声に鳴きて、虫食ひなど、ようもあらぬ者は名をつけかへて言ふぞ、口惜しくくすしき心地する。 それもただ雀などのやうに常にある鳥ならば、さもおぼゆまじ。 春鳴くゆゑこそはあらめ。 [現代語訳] 38段 鳥は異国のものだけれど、オウムはとてもかわいらしい。 人の話す言葉を真似するというではないか。 ひたき。 山鳥は仲間を恋しがって、鏡を見せると自分の姿を仲間かと思って安心するが、その純粋さがとても哀れである。 また、雌雄が谷を隔てて夜に眠るというのも、心苦しいことだ。 鶴はとてもいかつい(怖そうな)外見をしているが、鳴く声が天まで届くというのは、とても素晴らしい。 頭の赤い雀。 斑鳩の雄鳥。 たくみ鳥。 鷺は、見た目がとても見苦しい。 あのぎょろりとした眼つきなども嫌な感じで、すべてが可愛げのない鳥であるが、「ゆるぎの森に独りでは寝ない」と言って妻を争っているのは面白い。 水鳥では、鴛鴦がとても味わいのある鳥だ。 夜に雌雄がお互いに代わり合って、羽の上に白く置いている霜を払っているところなど。 千鳥もとても趣きのある鳥だ。 鶯は、詩などにも素晴らしい鳥として歌われており、鳴き声をはじめとして、姿形はあんなに高貴・上品で美しいのに、宮中の中に来ても鳴いてくれないのは、とても残念で悪い。 ある人が「宮中では鳴かない」と言ったのを、私はまさかそんなことはないと思ったけれど、宮中に10年ばかりいて聞いていたが、本当に鶯は鳴くことがなかった。 しかし、竹の近くに紅梅があったりして、鶯にとっては通ってきて鳴くのに都合が良い場所のように思われるのだが。 宮中を退出して聞くと、貧しい家の何の見所もない梅の木では、うるさいほどに鶯が鳴いている。 夜に鳴かないのも、眠たいような感じがするが、生まれつきなので今更どうしようもないだろう。 夏・秋の終わり頃まで、年寄り臭い声で鳴いていて、虫食いなどと人にいつもと違う名前で言われているのは、とても悔しくて残念な気持ちがする。 それもただの雀などのように、いつもその辺にいる鳥であればそうも思われないだろう。 鶯が春に鳴く鳥だからである。 [古文・原文] 38段(終わり) 「年たちかへる」など、をかしきことに歌にも詩(ふみ)にも作るなるは。 なほ春のうち鳴かましかば、いかにをかしからまし。 人をも、人げなう、世のおぼえあなづらはしうなりそめにたるを、謗り(そしり)やはする。 鳶(とび)、烏(からす)などの上は、見入れ聞き入れなどする人、世になしかし。 されば、いみじかるべきものとなりたれば、と思ふに、心ゆかぬ心地するなり、祭の帰さ見るとて、雲林院(うりんいん)、知足院(ちそくいん)などの前に車を立てたれば、郭公(ほととぎす)も忍ばぬにやあらむ、鳴くに、いとようまねび似せて、木高き木どもの中に、諸声(もろこえ)に鳴きたるこそ、さすがにをかしけれ。 郭公はなほ、更に言ふべきかたなし。 いつしか、したり顔にも聞えたるに、卯の花、花橘(はなたちばな)などに宿りをして、はた隠れたるも、ねたげなる心ばへなり。 五月雨(さみだれ)の短き夜に寝覚(ねざめ)をして、いかで人よりさきに聞かむと待たれて、夜深くうち出でたる声の、らうらうじう愛敬(あいぎょう)づきたる、いみじう心あくがれ、せむかたなし。 六月になりぬれば、音もせずなりぬる、すべて言ふもおろかなり。 夜鳴くもの、何も何もめでたし。 ちごどものみぞ、さしもなき。 [現代語訳] 38段(終わり) 「年が立ち返る新年の朝から鶯の声が待ち遠しい」などと、風情のある面白い鳥として、歌にも詩にも歌われている鳥である。 春のうちだけ鳴くのであれば、鶯はどんなに素敵な鳥だろう。 人間であっても、落ちぶれてしまって、世間の評価が低下し始めた人を、改めて誹謗することがあるだろうか。 (はじめから評価の低い)鳶とか烏とかであれば、それに見入ったり論評し合ったりする人は、世の中にいないではないか。 だから、鶯は素晴らしい鳥だと世間の評価が決まっているので、夏・秋の終わり頃に評判が落ちてしまうのは、納得のいかない気持ちがするのだ。 祭りの帰さの見物で、雲林院や知足院などの前に車を立てかけて待っていると、ホトトギスのこの時期にはもう我慢できないといった感じで鳴いている。 すると鶯がそのホトトギスの声を真似て、あの辺の小高い木立の茂みの中で声を揃えて鳴くのは、さすがに素晴らしい情趣がある。 ホトトギスの風情は、今更言うまでもない。 いつの間にか、得意顔で鳴いているようにも聞こえるが、卯の花や花橘などに好んで止まり、その姿が見え隠れするのも、憎らしいほどの風情がある。 五月雨の時期の短い夜に、目を覚まして何とか人より先にその声を聞こうと待っていると、明け方の夜に鳴いたその鳴き声の堂々としていて可愛らしいこと、その声に非常に心を惹かれて憧れてしまうのも無理はない。 六月になると全く鳴かなくなるが、すべてが語り尽くせないほどの魅力である。 夜に鳴くものは、どれでも何でも素晴らしいものだ。 赤ん坊が泣いているのだけは、そうでもないが。

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