あ つもり 鬼 滅 の 刃。 アニメで英語!:鬼滅の刃(Demon Slayer)英語吹替版予告編和訳

【鬼滅の刃】鬼滅ロスしている人が今すぐ読むべき漫画3作品

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アニメや舞台にもなった人気漫画『鬼滅の刃』の最終話が『週刊少年ジャンプ 2020年24号』(5月18日発売)に掲載された。 そのように多くの『鬼滅の刃』ファンが寂しさを滲ませるなか、歌手のLiSAが涙する絵文字だけを投稿してフォロワーをざわつかせた。 はアニメ『鬼滅の刃』の主題歌『紅蓮華』を歌っており、その大ヒットから昨年大晦日には『NHK紅白歌合戦』への出場を果たした。 それだけに原作漫画が最終回を迎えてなおさら寂しいものがあるだろう。 18日に涙する絵文字のみをツイートしたのはその感情の表れかと思いきや、それよりもショックな出来事があったようだ。 実は『鬼滅の刃』の作者・吾峠呼世晴さんを偽ったTwitterアカウントが5月18日に開設され「ツイッター?始めました。 吾峠呼世晴(ごとうげ こよはる)と申します。 週刊少年ジャンプにて『鬼滅の刃』を連載しております。 慣れないですがよろしくお願いします」、「本物ですよ~」、「SNS等初めてで何から発信したらいいのかも分からない状態です」、「連載が終わって一息ついてます」など怒涛の更新を続けていた。 ほどなくして『少年ジャンプ編集部』公式Twitterから「【ご注意下さい】ただいまTwitter上で『#鬼滅の刃』吾峠呼世晴先生を名乗るアカウントが見られますが、ご本人ではありませんので、ご注意下さい」と警告があり、偽アカウントだと発覚したのである。 LiSAが涙する絵文字をツイートしたタイミングは、.

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『鬼滅の刃』の完結と「終わるべきときに、終われる時代」(『鬼滅の刃』のネタバレなし)

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かつて、『』や『』などのを支えたマンガたちが、マンガ家側の意に反して、「人気があるから」という理由で、けっこう強引な形で連載を続けられ、結果的に尻すぼみというか、「読者にも飽きられて連載終了」となったのをみてきた僕としては、これだけ人気があって、『ジャンプ』の屋台骨を支えている作品が、よくこれで終わらせてもらえたなあ、と思うのです。 『』の作者たち(さんとさん)も、「編で終わるつもりだった」と仰っておられました。 僕がよく知っている30年くらい前の『』とは、出版社・編集者側の考え方が変わってきているのも事実なのでしょう。 これは、『』のさんと、nendoの佐藤オオキさんの対談本なのですが、松井さんは『』のクライマックスだったこの対談の時点で、「最終回までどういうふうに進めていくか、もうすべて決めている」と仰っています(この本の発売日は2016年5月)。 松井:たとえば『』で、暴力教師が現れて、生徒を一方的に殴る蹴るという話がありました。 その時、連載開始以来一番というぐらい(人気アンケートの)評が下がったんです。 そこで評が落ちないよう、暴力教師に生徒が軽く仕返しして、読者の溜飲を下げる手もあるんですよね。 でもそれをやると、ピークを持っていきたいとき、最大ジャンプ点が低くなります。 佐藤:そうなんですね。 ストレスをマックスに溜めないといけない。 一回しゃがまないと高く跳べないんですね。 松井:暴力教師が暴れる回が何のためにあるかといえば、その後、主人公が勝つコマで一番すっきりさせるため。 だから前フリになるところは、たとえアンケート票が落ちても、中途半端にしてはいけないんです。 覚悟をした上で抑えた方が、後で必ず跳ねるわけですから。 佐藤:何週か先を見越した上で、このあたりにピークがきて、ここは抑えどころで……とイメージして、数週間のプランを立てるんですか? 松井:それは完全にイメージできています。 正確に言えば、もう最初から、線の太さ、細さ、大体のメリハリはわかっているわけですね。 それに合わせて、計画的に上げていく。 ただこの方法の弱点は、最初から天井が決まっていて、それ以上には爆発しないこと。 逆に、やりたいことがあって感覚で取り組んでいる漫画家さんは、次の週がどうなるか、自分でもわからずに描いていたりするんですね。 そうすると、どんどん加速度的に盛りあがっていって、結果的にとんでもない高さに到達することがある。 それは羨ましいです。 マンガ家のなかには、とくにストーリーマンガと呼ばれるジャンルの場合には、ここまで計算して描いている人もいるのです。 (いちおう言及しておきますが、の場合には、常に新しいものをハイペースで生み出さなければならないため、作家側の消耗の激しさから長期連載は難しいとされています) あらためて思い返してみると、このような「終わりを計算して描かれており、人気があっても連載を引き延ばすよりも、作品としてきちんと着地することを優先した作品」が『』で一般化したのは、『』(2003年12月から2006年5月まで連載)からではないかと思います。 『』も「L」がいなくなってからはちょっと……という意見もあるのですが、それでも、「無理やり引き延ばされた感」は、『』に比べると乏しい。 そもそも「L」が欠けてしまうのは、『』のエアリスの受難と同じように「トラウマポイントではあるけれど、作品を記憶に残るものにしている」とも言えますし。 『』『』『』と、ストーリー系で「綺麗に終わらせる」ための期間は、だいたい4年前後がベスト、という、ある種のノウハウみたいなものが、のなかに蓄積されているのかもしれません。 ただ、『』の場合は、『』や『』とは異なり、ジャンプのである「バトルもの」であり、「次から次へと新たな敵を登場させる(真のラスボスは別にいた!)」ようにすれば、続けられないこともなかったわけです。 これだけの人気ですから、そういう選択肢も浮かんではいたはず。 でも、結果的にそうしなかった、そうしないことが許された、というのは、作品にとっては幸運なことだったのではないかと思います。 まあでも、長い目でみると、あれだけ「蛇足」だと言われてきた『』のカイオウ編とかも、パチンコ台などのコンテンツとして活かされていますし、いまあらためて全巻通して読んでみると、「当時思っていたほど、『後』もつまらなくはない」のです。 僕のなかでは、「7人の悪魔超人編」がピークで、「黄金のマスク編(悪魔六騎士編)」で終わってほしかった『』は、一度本誌で連載が終わったあと、『』で蘇り、40周年を迎えています。 『』は、『』という問題作を生み出し、今ではスピンオフ的な『今日から』という作品が人気になっているのです。 実際のところ、われわれは「マンネリ」と批判する一方で、その長さやベタさがあるを超えると「定番」とか「お約束の美学」的に、高く評価することも多いのです。 『笑っていいとも』とか、終わる10年前くらいから、みんな飽きていたはずなのに、番組が終わるとなると惜しみだした人が大勢いました。 『』にしても、『』にしても、『』にしても、長く続いているものは、長く続いているというだけで、それなりの価値を生み出すようになるのです。 そもそも、この3作品は、もともとの作者はすでに亡くなっており、後継者たちがその世界を引き継いでいます。 なんのかんの言っても、ゼロから新しいものを創り出すよりも、マンネリと言われていても、それなりにがあるほうが有利ではありますし。 さんが、『』という劇団を旗揚げしたときのことを振り返って、「劇団の人気がどんどん上がってきて、ピークに達したときには、すでに内部でのモチベーションはピークを過ぎて、下がってきていた」と仰っています。 さんも、「同じネタは演者のほうが飽きてしまいがちだけれど、お客さんが求めてくれる限りは、マンネリだと言われてもずっと続けたほうがいい」と著書に書いておられました。 作品的な完成と商業的なメリット、作家・編集者側と読者との温度差など、さまざまな要因があって、「終わるべきときに終わる」とか「人気絶頂で幕を引く」というのは、本当に難しいことなのです。 株取引って、他人の株だと、「このくらい上がったらもう十分だから、もう売って利益を確定したほうがいい」と冷静に判断できるのだけれど、自分でやっていると「上がっているときは、もう少し上がるんじゃないか、今売ったらもったいないのではないか」と思ってしまうし、下がっているときも「いやこれは一時的な安値で、本来の価値からいえば、値は戻るはずだ」と考えてしまう。 そういう意味では、今は「完璧」と思える『』の完結も、長い目でみれば、違う解釈がなされる可能性もあるのです。 『』がこのタイミングで、完結することを選んだのには、マンガというビジネスの収益構造の変化も大きいのかもしれません。 最近、『オタク経済圏創世記』という本を読んだのですが、そのなかで、著者は、コンテンツビジネスを行っていくうえで、最も重要なポイントとなるのは「アニメ化」だと指摘しています。 著者は現在の「キャタービジネス」における「アニメ化」の重要性をこう述べています。 マネタイズの決着点は「(ライセンス)」である。 作品の権利をもつプレイヤーはその作品がヒットしたときに、その人気をマネタイズして、収益配分にあずかることができる。 アニメにはキャター画像、声、動画、ストーリー、音楽などがすべて込められている。 マンガだとこうはいかない。 マンガを映画にする、アニメにする、ゲームにする、商品にするといったときに「決まっていないこと」が多すぎる。 背景を含めた世界はどうなっているのか、主人公はどんな声をしているのか、どんな音楽であればその世界に合うのか。 マンガはこうした情報密度の低さ(それゆえにマンガは制作がスピーディで普及が早いメリットもあるが)ゆえに、メディアミックスの起点としては物足りない。 ほとんどのキャターがアニメ化するのは、ライセンス展開してどんどん広げるための「その世界をとりまく情報」を一度固めることができるからだ。 だからライセンスのハブとなるのはアニメである。 僕はずっと疑問だったんですよ。 『』『ワンピース』は、長年キャタービジネスの王者として君臨しているけれど、まだマンガが連載中の『ワンピース』はともかく、『』は、ずっと前に連載は終わっているのに、なぜ今だにこんなに人気があるのか。 むしろ、マンガやアニメが終わって、しばらくは下火になっていた人気が、最近は高値安定になっているのはなぜなのか。 作品差が出ているのはゲーム化・商品化のライセンス収入である。 は国内/海外それぞれにおいて2014年で6億円/4億円だったものが18年に85億円/79億円と約20倍規模まで膨らんでいる。 同時期のワンピースにおいては14年に36億円/9億円だったものが18年に32億円/28億円で、海外は3倍に伸びてはいるものの国内は同規模。 ワンピースのライセンス収入はに比べるとほとんど成長していないといえる規模だ。 ちなみにワンピースの国内ライセンスが2010年の6億から11年の48億に急増したのも、のウェブゲームでのワンピースタイトルの成功によるものである。 いかにアニメ各社もモバイルゲームからの利益配分シェアが無視できないどころか事業の根幹となりつつあるかを示しており、の全社売上ベースで考えると、このワンピースとの2タイトルの海外映像・ライセンス収入だけで50%を超える依存度の高さとなっている。 今や、「主戦場」は、コミックスの売上げよりも、モバイルゲームをはじめとするキャタービジネスになりつつあるのです。 おそらく『』は、完結しても、長い間「稼げる」存在であり続けるはずです。 みんなに認知され、愛されているキャターであれば、連載を引き延ばして尻すぼみになったり、「つまらなくなった」と読者の好感度を下げるよりは、「人気絶頂で終わった作品」として伝説化されたほうが、今後のためになる(かもしれない)。 今後も、アニメの配信やモバイルゲームで、作品とキャターは露出し続けていくはずです。 おそらく、もこれまでの経験から自信はあるのでしょうけど、「今後のキャタービジネスを占うテストケース」と位置付けてもいるのではないでしょうか。 「終わるべきときに終わっても、稼ぎ続けられる時代」というのは、コンテンツにとっても観客にとっても、悪くはないと思います。 新しいものが大ヒットするのは難しくなっているなかで、『』が成し遂げたことは本当にすごかった。

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【エンタがビタミン♪】『鬼滅の刃』最終回巡る異変にLiSAが“涙の絵文字”ツイート 作者の偽アカウント発覚に「これは酷すぎる」

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TVアニメ『鬼滅の刃』より第6話以降に登場する鬼たちを演じるキャスト陣が発表された。 木村良平、関俊彦、福山潤、小松未可子と人気声優陣が揃っている。 『鬼滅の刃』は吾峠呼世晴が「週刊少年ジャンプ」にて連載中のマンガが原作だ。 物語の舞台は大正日本。 炭を売る心優しき少年・炭治郎の日常は、家族を鬼に皆殺しにされたことで一変してしまう。 唯一生き残ったが凶暴な鬼に変異した妹・禰豆子を元に戻すため、また家族を殺した鬼を討つために、炭治郎は旅立つ。 今回は新たに登場する鬼たちのキャスト陣が明らかになった。 鬼舞辻無惨は関俊彦、沼の鬼は木村良平、矢琶羽は福山潤、朱紗丸は小松未可子が演じる。 鬼舞辻無惨 沼の鬼 それぞれのキャストコメントも公開された。 まさかその鬼舞辻を演じさせてもらえるとは…!少しでも作品の本質に近づけるよう、取り組んで参ります」と意気込みを語った。 木村は「いよいよ放送も開始して、原作コミックに負けないくらい盛り上がっている頃かな? 三つ子の恐ろしい鬼…口の中の変なとこが痛くなるくらい頑張ったので、ぜひご覧になってください!!!!」と激しいアフレコが伝わってくるコメントだ。 矢琶羽 朱紗丸 福山は「花江君の熱演も素晴らしく、皆様に満足頂けるよう私もぶっ殺すつもりで演らせて頂きました(笑)」と語っており、主人公・竈門炭治郎役の花江夏樹とのバトルに期待が膨らんでいく。 小松は「朱紗丸を演じさせて頂くにあたって、作品の纏う空気感にある、狂気と儚さを大事にしようとアフレコに挑みました」と芝居について触れた。 曲者揃いの鬼たちの登場で物語はさらなる盛り上がりを見せる。 TVアニメ『鬼滅の刃』 (C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable 《高橋克則》.

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