恋す て ふわ が 名 は まだき 立ち に けり 人知れず こそ 思 ひそめ しか。 ちょっと差がつく百人一首講座

沙石集の現代語訳を教えてください。(本文)天徳の御歌合の時、兼...

恋す て ふわ が 名 は まだき 立ち に けり 人知れず こそ 思 ひそめ しか

Premature name as one in love Stood out in the way of love to be won. What fun is there in having it known To anyone else than you I've held so secretly dear? 『小倉百人一首』041 こひすてふ わがなはまだき たちにけり ひとしれずこそ おもひそめしか 壬生忠見(みぶのただみ) 男性 歌合せ参加記録あり=960 『拾遺集』恋一・六二一 「あの人、恋してるんだって」と、 私の 噂がもう立ってしまったよ・・・ 誰にも知られず、ひっそりと、 あの人を想い始めたばかりだというのに。 【文法・修辞法】係り結び... com 2009 解題 『 小倉百人一首』でも隣り合っている(「忍ぶれど色に出にけりわが恋はものや思ふと人のとふまで」 平兼盛)と対抗した、『 天徳四年 内裏歌合』 960年4月28日 に於ける「忍ぶる恋」の題詠歌で、こちらは 壬生忠見の作。 「恋すてふ」は「恋す+と+言ふ」の音便形。 「まだき」は「未だ機は熟していないのに、早くも」の意味。 「思ひそめしか」は「思ふ+ 初む+き= 愛しい人への 恋慕を始めたのであった」の意味で、末尾の過去助動詞「き」が「しか」と 已然形になっているのは、前部にある係助詞「こそ」と呼応した係り結び・・・であると同時に、それが 已然形「しか」であるだけに、後続部に( 已然形接続の)逆接の接続助詞「ども」を感じさせ、「人知れずこそ思ひそめしか(ども)=人知れず抱き始めたあなたへの恋心だった・・・というのに」の 余韻を漂わせているのが(恐らく、作り手としては快心の)技巧上の訴求点であろう。 已然形が、逆接接続助詞を伴うことなしに「逆接=・・・だというのに」の意味を表わすのは、文中にあって一旦文章の流れを打ち切り、一息入れて後続部へと続く際の用法。 文末では接続助詞「ども」や「ど」の助けを借りねば成立しない筈の「・・・だというのに」の意味を、しかし、この歌の末尾「思ひそめしか」は、そこはかとなく漂わせているのだ。 因みに、現代的感性から見ると、「思ひそめし+が」の解釈もまた成立するようにも思われるが、逆接の接続助詞としての「が」が成立するのは中古末期のこと(鎌倉前期の『平家物語』には 頻出する)。 960年に 詠まれたこの歌を以てその 嚆矢とする訳にも行かないので、 後代には許容される「思ひそめし+が」の解釈も、この歌の時代には(文献学的には)通じないことを書き添えておこう。 こうして 眺めてみても、この歌の見所はやはり「こそ・・・思ひそめしか(ども)」という末尾の 余韻にあろう。 それを実感するためには、ゲスト出演しているように感じられる(見えない逆接接続助詞)「ども」の意味を、末尾に添えた解釈と、中央に盛り込んだ解釈とを、二つ並べてみればよい: 中央逆接接続)「恋する男」という評判が、早くも立ってしまったなあ・・・けど、私は、人知れずあの人のことを思い始めたのだった。 末尾逆接添加)「恋する男」という評判が、早くも立ってしまったなあ・・・私は、人知れずあの人のことを思い始めたのだったけど。 ・・・結局、これは詩興で人を魅了する歌ではなく、構造の 妙で勝負する歌だった訳である。 個人的にもしこの筆者が「 判者」なら、一も二もなく、この歌の対抗歌「忍ぶれど色に出にけりわが恋はものや思ふと人のとふまで」の 初々しい詩情に「勝」を付けるであろう。 技巧の輝きは人工の美でしかないが、詩情の 息吹は天の配剤、前者は後者を 凌げない:人為は神意に劣るのだ。 技巧を見抜く力量がそこそこ以上あれば、そこに過度の敬意を注ぐ必要性も覚えなくなるもので、この 壬生忠見の歌と先の 平兼盛の歌との優劣判定に迷っているようでは、自分自身の「技巧歌」の作り込みが足りない( 歌詠みでない人の場合は、読み込みの 修行が足りない)ということである。 伝説の伝えるところによれば、この『 天徳四年 内裏歌合』の「 判者」左大臣藤原 実頼は、これら両歌の判定に大いに迷い、「 持」(=引き分け)にしようと思ったのだが、会の主宰者村上天皇が「勝負を付けよ」と催促するので、困ってしまって判定補佐の大納言 源高明の判断を仰いだが、彼も黙って 俯くばかり・・・そんな中、ふと見れば、帝はさっきから何かもごもご口ずさんでおられる・・・よくよく聞けばそれは「忍ぶれど・・・」の歌・・・帝ご自身がそちらを気に入っておいでなら、 兼盛の歌の勝ちとするのがよかろう、ということで、 忠見の歌は哀れ敗退、ということになったという。 どこまで真実かわからぬものの、かなり具体的な話が出たついでに、もう少し詳しくこの「 歌合せ」の状況を紹介しておこう。 歌を詠み上げる役の「 講師」は、 左方が 源延光、 右方は 源博雅、「 方人(=味方)」として付いた宮中の女房達は、「 左方」は赤色/「 右方」は青色の衣裳をまとって、この催しに彩りを添えたという。 準備に手間取ったために開始時間は夕刻までずれ込み、勝負は夜通し行なわれて、20題 40首 で争った結果は「 左方」の「10勝」「5負」「5 持」と5首分の勝ち越し。 勝負の後の管弦の 宴が終わった頃には、翌朝になっていたという・・・平安の 宮人は 夜更かし好きなのだ・・・夜明かしの時間帯はともかくとして、「 兼題」提示から本番まで一ヶ月もの時間を置いたり、会場に 絢爛たる趣向を凝らしたりというこの時の周到なる 式次第は、 後代まで語り継がれる「 歌合せの理想型」として仰がれたという。 さて、そんな「伝説の 歌合せ」に参加したこの歌の作者 壬生忠見(あの『 古今集』編者の技巧派歌人 壬生忠岑の息子)は、 卑官ながら名高き 歌詠みの息子としての歌の才を買われ、自らの面目を施す「 面歌」を披露せんと 虎視眈々であったに違いない。 が、結果は「1勝・1持・2負」と負け越し。 特に、「忍ぶる恋」を巡る 平兼盛への敗残は痛恨で、あまりの落胆に、その後食事も 喉を通らなくなり、そのまま病死してしまった・・・と、例の調子で 大袈裟に、平安後期の『 袋草子』 1158頃 は書き立てている。 日本に於けるこの種の物語の無責任な虚構性は、この解題集の中でも幾度となく紹介・論証してきたところであるから、この話の 信憑性の判断は読者の賢察に 委ねるが、まぁ、ジャパネスクな悲劇の題材としては、これら二首は「格好の好敵手」だった、ということであろう(先述の通り、この筆者にとっては「役者が違う」のだが)。 ともあれ、「 壬生忠見」の名は、この「 歌合せ」を巡る逸話以外では 殆ど世に知られず、官職についても、その2年前に「 摂津大目」というささやかな役職に任ぜられて以降は不詳・・・つまりは、この「 歌合せ」が彼の栄達に寄与しなかった、という事だけは、どうやら事実のようである。 壬生忠見がたった一首の歌を「負」と判定されたから悔しさのあまり「 不食の病」になって死んだ、との印象を与えたままでこの解題を終えるのは、事実性への敬意を欠く行為であるから、同じ「 歌合せ」に於ける彼の( 既述の第20番勝負「恋」以外の)全成績と対戦相手とを、 簡便な解釈ともども、以下に記載してこの話の結びとしよう。 ・・・これを見れば、 忠見の「理屈っぽく、技巧に頼る」詠みぶりの特性が、もう少しよくお判りいただけると思う。 第12番勝負:題「 卯花」 左: 壬生忠見(負) 道遠み人も 通はぬ奥山に咲ける 卯の花たれとをらまし ・・・遠い 彼方にあるために人も通わぬ山奥に咲いた 卯の花を、誰と一緒に折り取ればよいのだろうか?誰がこんな道を通るだろうか?(「道遠み」の"み"は理由を表わす)(「たれとをらまし」は「誰と(一緒に)折らまし/誰(がこんな山奥の道を)通らまし」の 掛詞) 右: 平兼盛(勝) 嵐のみ寒きみやまの 卯の花は消えせぬ雪とあやまたれつつ ・・・初夏なのに寒い嵐が吹き荒れる深い山奥に咲く 卯の花は、その嵐に舞い飛ぶ様子が、消えずに残る残雪と 見紛うばかりである。 (「白い色をした花・ 浪」と「雪」との視覚的錯覚は古来よくある趣向で、末尾の同時進行性接続助詞「つつ」の添加も、『 古今集』で多用され、後の『 新古今集』あたりでまた乱発された"詠嘆演出用小道具"の定番だが、全体としては"技巧"より"趣向"を好む 兼盛の詠歌上の特性がよく出ている歌ではあろう) 14番勝負:題「 郭公」 左: 壬生忠見(持) 小夜ふけて寝覚めざりせば 郭公人づてにこそ聞くべかりけれ ・・・夜が 更けてもし私が寝込んでしまっていたすきに、ホトトギスが鳴いてしまっていたならば、その声を、寝覚め損ねて聞き損なった私は、仕方がないから、その声を聞いた人の口から、「どんな声だったかい?」と聞かねばならないところだったなぁ・・・あぁ、よかった、すんでのところで目覚めることができて。 多少手が込んだ歌ならよいが、あまりに手を掛けすぎたややこしい 代物に世間が付ける評価は、当人評価を 遙かに下回るのが通例であり、このやりすぎ芸を「負」ならぬ「 持」にとどめてくれたのは、判者の同情票と見るべきであろう。 技巧派を以て任ずる 壬生忠見、「 策士策に溺れる」の図である) 右: 藤原元真(持) 人ならば 待ててふべきを 郭公ふたこゑとだに聞かですぎぬる ・・・相手が人間ならば「待ってくれ」とも言えるのに、ホトトギスときたら、二声と聞かぬうちに飛び去ってしまったことよ。 (この下草狩りで準備を整えた後で、例年、黒木の 伐採が行なわれるのであろうから、「 大原木の森の下草が刈り取られる」は「 盛夏~晩夏」の風物詩なのであろう)(「下草なべて人かる」は「下草 並べて人刈る=おしなべて下草全部を人が刈り取る」の意と共に、「下草 並べて人 離る=刈り取った下草をずらり地面に並べたその後は、もぅ暑くてたまらんとばかり、作業員はその場を離れ、どこかに消える」の意味にもなる。 深まる夏の情趣に加えて言葉遊びも織り込んだつもりの 兼盛であろうが、結果的には「技巧」が売り物の 壬生忠見の得意な 土俵上での力比べに自ら踏み込んでしまった形で、 兼盛の「負」。 自らの得意技以外にも 色気を出すと、結果的には良くないことが多い、という見本のような勝負であった).

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【百人一首講座】恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか─壬生忠見 京都せんべい おかき専門店【長岡京小倉山荘】

恋す て ふわ が 名 は まだき 立ち に けり 人知れず こそ 思 ひそめ しか

【巻数】二十巻 【歌数】1351首(新編国歌大観による) 【勅宣】 【成立】不明。 寛弘二、三年 1005〜06 頃とする説が有力。 【撰者】不明。 花山院親撰とするのがほぼ定説。 ・らが関与したとの説もある。 【主な歌人と収録歌数】 113首 104首 62首 48首 39首 【性格】第三勅撰和歌集。 「三代集」の最後。 「拾遺和歌集」という名は、・両集に遺漏した歌を拾う、という意味を持たせものに違いない。 実際、この集においては、貫之・躬恒ら古今集の主要歌人の歌がさらに補われ、また後撰集の編者たちの歌が初めて大々的に採用されている。 前二集にくらべ、目立った特色は、人麿の歌が極めて多いことである(貫之に次ぎ、104首)。 もっとも、人麿の真作とみとめられる歌はわずかに過ぎず、大半は万葉集の作者不詳歌の異伝か、または平安朝に成立した『人麿(人丸)集』に収められた古歌なのであるが。 ともあれ、拾遺集における人麿評価は、万葉集を理想と仰いだ古今集の初志の再確認と共に、和歌史に対する関心の広がりを示している。 屏風歌など、晴の歌の多さでは、古今集を凌ぎ、後撰集と好対照をなす。 また、恋歌に秀歌が多いことは定評がある(『定家八代抄』でも恋歌が多く採られている)。 まま詞そのものへの強すぎる執着や凝りすぎた趣向を見せる古今集の歌々に比べると、拾遺集の歌は詞も姿も穏やかな佇まいを見せ、「平淡優美」な歌風とも称される。 親しみやすい反面、古今集の歌に見られた鋭敏な感覚性や調子の高さを欠く憾みがある。 その背景として、宮廷生活の成熟と洗練があることは、既に多く指摘されているところである。 【定家八代抄に漏れた主な名歌】 桜ちる木の下風はさむからで空にしられぬ雪ぞふりける(紀貫之) ゆきやらで山路くらしつほととぎす今ひと声の聞かまほしさに(源公忠) いづ方になきてゆくらむほととぎす淀のわたりのまだ夜ぶかきに(壬生忠見) 朝まだき嵐の山の寒ければ紅葉の錦着ぬ人ぞなき(藤原公任) 【底本】『八代集 二』(奥村恒哉校注 東洋文庫) 【参照】『拾遺和歌集』(小町谷照彦校注 岩波新日本古典文學大系) 以下、新大系本と略称。 0056 ふる郷の霞とびわけゆく雁は旅の空にや春をくらさむ (0083) 0074 春霞たちわかれ行く山道は花こそ 幣 ぬさ と散りまがひけれ (0187) 延喜御時、春宮御屏風に 0076 風吹けば方もさだめず散る花をいづ方へゆく春とかはみむ (0188) 巻第二(夏) 7首 屏風に 0080 我が宿の垣根や春をへだつらん夏来にけりとみゆる卯の花 (0199) 冷泉院の東宮におはしましける時、百首歌たてまつれとおほせられければ 源重之 0081 花の色にそめし袂の惜しければ衣かへ憂き今日にもあるかな (0196) 天暦御時歌合に 0101 み山いでて夜半にや来つる時鳥あかつきかけて声の聞こゆる (0211) 題しらず 0111 足引の山時鳥けふとてやあやめの草のねにたてて鳴く (0217) 註:作者は醍醐天皇。 よみ人しらず 0125 時鳥なくや五月のみじか夜も独りし 寝 ぬ れば明かしかねつも (0219) 延喜御時、月次御屏風に 貫之 0127 五月山 木 こ の下闇にともす火は鹿のたちどのしるべなりけり (0233) 延喜御時御屏風に 0130 夏山の影を繁みや玉ほこの道行き人も立ちどまるらん (0232) 巻第三(秋) 10首 秋のはじめによみ侍りける 0137 夏衣まだひとへなるうたた寝に心して吹け秋のはつ風 (0273) 河原院にて「荒れたる宿に秋来」といふ心を人々よみ侍りけるに 0140 やへむぐら繁れる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり (0274)* 題しらず 0141 秋立ちて 幾日 いくか もあらねどこの寝ぬる朝けの風は袂すずしも (0276) 廉義公家にて「草むらの夜の虫」といふ題をよみ侍りける 0178 おぼつかないづこなるらむ虫の 音 ね をたづねば草の露や乱れん (0349) 三条の 后 きさい の宮の 裳着 もぎ 侍りける屏風に、九月九日の所 0184 我が宿の菊の白露けふごとに幾世つもりて淵となるらん (0425) 題しらず 0185 長月の 九日 ここぬか ごとにつむ菊の花もかひなく老いにけるかな (0426) 三百六十首の中に 0188 神なびのみむろの山をけふ見れば下草かけて色づきにけり (0444) 題しらず 大中臣能宣 0190 紅葉せぬ常盤の山にすむ鹿はおのれ鳴きてや秋を知るらん (0419) よみ人しらず 0191 秋風のうち吹くごとに高砂の尾上の鹿の鳴かぬ日ぞなき (0416) 0202 河霧の麓をこめてたちぬれば空にぞ秋の山は見えける (0391) 巻第四(冬) 8首 散り残りたる紅葉を見侍りて 0220 唐錦枝に一むら残れるは秋の形見を絶たぬなるべし (0490) 註:新大系本、第五句「たゝぬなりけり」。 百首歌の中に 源重之 0223 葦の葉に隠れて住みし津の国のこやもあらはに冬は来にけり (0509) 題しらず 貫之 0224 思ひかね妹がりゆけば冬の夜の川風寒み千鳥鳴くなり (0532) 0230 霜おかぬ袖だにさゆる冬の夜は鴨のうは毛を思ひこそやれ (0525) 註:新大系本、第三句「冬の夜に」。 恒徳公家の屏風に 元輔 0237 高砂の松にすむ鶴冬来れば尾上の霜や置きまさるらむ (0521) 月をみてよめる 恵慶法師 0242 あまの原空さへ冴えやわたるらむ氷と見ゆる冬の夜の月 (0545)* 入道摂政の家の屏風に 兼盛 0250 見わたせば松の葉しろき吉野山いく世つもれる雪にかあるらん (0556) 斎院の御屏風に、十二月つごもりの夜 0261 数ふれば我が身につもる年月をおくりむかふと何いそぐらん (0580) 巻第五(賀) 11首 天暦御時、斎宮くだり侍りける時、長奉送使にてまかりかへらむとて 0263 万世 よろづよ のはじめと今日を祈りおきていさ行末は神ぞ知るらん (0600) 註:新大系本、第四句「今行末は」。 はじめて平野祭に男使たてし時、歌ふべき歌よませしに 大中臣能宣 0264 ちはやぶる平野の松の枝しげみ千世も八千世も色はかはらじ (0599) 贈皇后宮の御産屋の七夜に、兵部卿致平の 親王 みこ の雉の 形 かた を作りて、誰ともなくて歌をつけて侍りける 清原元輔 0266 朝まだき 桐生 きりふ の岡にたつ雉は千代の日つぎの始めなりけり (0612) 藤氏の産屋にまかりて 0267 ふた葉よりたのもしきかな春日山 木高 こだか き松の種ぞと思へば (0604) 承平四年、中宮の賀し侍りける時の屏風に 斎宮内侍 0275 色かへぬ松と竹との末の世をいづれ久しと君のみぞ見ん (0605) 一条摂政、中将に侍りける時、父の大臣の五十賀し侍りける屏風に 小野 好古 よしふる 朝臣 0282 吹く風によその紅葉は散りくれど君がときはの影ぞのどけき (0606) 権中納言敦忠、母の賀し侍りけるに 0283 万代もなほこそ 飽 あ かね君がため思ふ心のかぎりなければ (0607) 五条内侍のかみの賀、民部卿清貫し侍りける時、屏風に 0284 大空にむれたる 鶴 たづ のさしながら思ふ心のありげなるかな (0608) 天徳三年、内裏に花宴せさせ給ひけるに 九条右大臣 0286 桜花こよひかざしにさしながらかくて千年の春をこそ経め (0617) 註:作者は藤原 師輔 もろすけ。 題しらず よみ人しらず 0287 かつ見つつ千年の春はすぐすともいつかは花の色に飽くべき (0618) 註:新大系本、第二句「千とせの春を」。 0299 君が代は天の羽衣まれにきて撫づとも尽きぬ巌ならなん (0586) 巻第六(別) 10首 題しらず よみ人しらず 0306 忘るなよ別れ 路 ぢ におふる 葛 くず の葉の秋風吹かば今かへり来ん (0733) 0312 別れては逢はん逢はじぞ定めなきこの夕暮や限りなるらん (0734) 天暦御時、御 乳母 めのと 肥前が 出羽 いでは の国に下り侍りけるに、 餞 せん たまひけるに、藤壺より 装束 さうぞく 給ひけるに、添へられたりける 0321 ゆく人をとどめがたみの唐衣たつより袖のつゆけかるらん (0735) 註:新大系本は詞書の「肥前」を「肥後」とする。 同じ御乳母の餞に、殿上の 男 をのこ ども、女房など別れ惜しみ侍りけるに 御 乳母 めのと 少納言 0322 惜しむともかたしや別れ心なる涙をだにもえやはとどむる (0736) 肥後守にて清原元輔くだり侍りけるに、源満仲、餞し侍りけるに、かはらけ取りて 元輔 0333 いかばかり思ふらんとか思ふらむ老いて別るる遠き別れを (0737) 返し 源満仲朝臣 0334 君はよし行末遠しとまる身の待つほどいかがあらんとすらむ (0738) 筑紫へまかりける人のもとに、言ひつかはしける 橘 倚平 よりひら 0337 昔見し 生 いき の松原こと問はば忘れぬ人もありと答へよ (0751) 題しらず よみ人しらず 0346 君をのみ恋ひつつ旅の草まくら露しげからぬ暁ぞなき (0809) 流され侍りて後、言ひおこせて侍りける 0351 君がすむ宿の梢のゆくゆくと隠るるまでにかへり見しはや (0806) 笠金岡が 唐 もろこし にわたりて侍りける時、 妻 め の 長歌 ながうた よみて侍りける返し 金岡 0352 浪のうへに見えし小島の島隠れ行くそらもなし君に別れて (0807) 註:底本には作者名の下に小字で脚注「金岡仁明天皇御時人也承和四年九月五日図御所絵」とある。 巻第七(物名) 0首 巻第八(雑上) 13首 妻 め におくれて侍りける頃、月を見侍りて 大江為基 0434 ながむるに物思ふことの慰むは月は憂き世のほかよりや行く (1597) 法師にならむと思ひたち侍りける頃、月を見侍りて 藤原高光 0435 かくばかり 経 へ がたく見ゆる世の中にうらやましくもすめる月かな (1598) 冷泉院の東宮におはしましける時、月を待つ心の歌、 男 をのこ どものよみ侍りけるに 0436 有明の月のひかりを待つほどに我が世のいたくふけにけるかな (1599) 同じ御時、大井に行幸ありて、人々に歌よませさせ給ひけるに 貫之 0455 大井川かはべの松に言問はんかかるみゆきやありし昔を (1450) 註:新大系本、第五句「ありし昔も」。 詞書の「同じ御時」は延喜御時(醍醐天皇代)。 河原院の古松をよみ侍りける 源道済 0461 行末のしるしばかりに残るべき松さへいたく老いにけるかな (1688) 題しらず よみ人しらず 0465 藻刈舟いまぞ渚に来寄すなる 汀 みぎは の 鶴 たづ も声さわぐなり (1666) 橘の 忠幹 ただもと が、人のむすめにしのびて物言ひ侍りける頃、遠き所にまかり侍るとて、この女のもとに言ひつかはしける 0470 忘るなよ程は雲居になりぬとも空行く月のめぐり逢ふまで (0732) かうぶりし侍りける夜、のよみ侍りける 0473 久方の月の桂も折るばかり家の風をも吹かせてしがな (1489) 流され侍りける道にてよみ侍りける 0479 天つ星道も宿りもありながら空にうきても思ほゆるかな (0782) 浮木 うきぎ といふ心を 0480 流れ木も 三年 みとせ ありてはあひ見てん世の憂き事ぞかへらざりける (0783) 大津の宮の荒れて侍りけるを見て 人麿 0483 さざなみや 近江 あふみ の宮は名のみして霞たなびき 宮木守 みやぎもり なし (1678) 初瀬へ 詣 ま でける 途 みち に、佐保山のわたりに宿りて侍りけるに、千鳥の鳴くを聞きて 能宣 0484 暁の寝覚の千鳥誰がためか佐保の川原にをちかへり鳴く (0537) 註:新大系本、詞書の冒頭「初瀬へまで侍ける…」。 詠葉 人麿 0491 いにしへにありけむ人も我がごとや三輪の桧原にかざし折りけん (1644) 巻第九(雑下) 1首 これが御 返 かへり 、ただ「稲舟の」とおほせられたりければ、又御返し 東三条太政大臣 0575 いかにせん我が身くだれる 稲舟 いなぶね のしばしばかりの命堪へずは (1490) 註:東三条太政大臣(兼家)の長歌に対し、円融天皇が「稲舟の(否にはあらずこの月ばかり)」と御返答したのに対し、兼家が再び歌でお返事したもの。 巻第十(神楽歌) 4首 0576 榊葉にゆふしでかけて誰が世にか神の 御前 みまへ にいはひそめけん (1757) 0577 榊葉の香をかぐはしみ尋め来れば 八十氏人 やそうぢびと ぞ 円居 まとゐ せりける (1758) 0587 住吉のきしもせざらむ物ゆゑにねたくや人に松と言はれん (1759) ある人のいはく、住吉明神の託宣とぞ。 住吉に詣でて 安法法師 0589 天 あま くだる 現人神 あらひとがみ の相生を思へば久し住吉の松 (1760) 巻第十一(恋一) 22首 天暦御時歌合 0621 恋すてふ我が名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか (0883) 平兼盛 0622 忍ぶれど色に出にけり我が恋は物や思ふと人の問ふまで (0884) 題しらず よみ人しらず 0625 歎きあまりつひに色にぞ出でぬべき言はぬを人の知らばこそあらめ (0983) 0626 逢ふ事を松にて年の経ぬるかな身は住の江に生ひぬものゆゑ (0886) 0627 音に聞く人に心をつくば 嶺 ね のみねど恋しき君にもあるかな (0840) の 御息所 みやすどころ を見てつかはしける 小野宮太政大臣 0636 あな恋しはつかに人をみづの泡の消えかへるとも知らせてしがな (0845) 註:「小野宮太政大臣」は藤原実頼。 返し 0637 長からじと思ふ心は水の泡によそふる人の頼まれぬかな (0846) 題しらず よみ人しらず 0639 大井河くだす筏の 水馴棹 みなれさほ みなれぬ人も恋しかりけり (0944) 人麿 0640 水底におふる玉藻のうちなびき心をよせて恋ふる頃かな (0945) 註:新大系本、第五句「恋ふるこの頃」。 よみ人しらず 0646 いかにしてしばし忘れん命だにあらば逢ふ夜のありもこそすれ (1020)* 九条右大臣 0650 沢にのみ年は経ぬれど 葦鶴 あしたづ の心は雲の上にのみこそ (1025) 註:作者は藤原師輔。 後撰集0753番に小異歌があり、「女四の 親王 みこ におくりける」の詞書がある。 人麿 0661 奥山の岩垣沼のみごもりに恋ひやわたらむ逢ふよしをなみ (0946) 大嘗会の御禊に、物見侍りける所に、 童 わらは の侍りけるを見て、又の日つかはしける 寛祐法師 0662 あまた見し 豊 とよ の 禊 みそぎ のもろ人の君しも物を思はするかな (0878) 題しらず よみ人しらず 0666 玉江漕ぐ 菰刈舟 こもかりぶね のさしはへて波間もあらば寄らむとぞ思ふ (0915) 柿本人麿 0668 み熊野の浦の浜木綿 百重 ももへ なる心は思へどただに逢はぬかも (0916) 懸想し侍りける女の、さらに返り事し侍らざりければ 藤原 実方 さねかた 朝臣 0670 我がためはたな井の清水ぬるけれど猶かきやらむさてはすむやと (0920) 返し よみ人しらず 0671 かきやらば濁りこそせめ浅き瀬の 水屑 みくづ は誰かすませても見ん (0921) 女のもとにつかはしける 小野宮太政大臣 0673 人知れぬ思ひは年も経にけれど我のみ知るはかひなかりけり (0876) 題しらず よみ人しらず 0677 恋といへば同じ名にこそ思ふらめいかで我が身を人に知らせん (0877) 天暦御時歌合に 中納言朝忠 0678 逢ふ事の絶えてしなくは中々に人をも身をも怨みざらまし (1116) 題しらず 0685 恋ひ死なむ後は何せん生ける日のためこそ人は見まくほしけれ (1029) 人麿 0695 恋ひつつも今日は暮らしつ霞たつ明日の春日をいかで暮らさん (1250) 巻第十二(恋二) 18首 題しらず 人麿 0700 無き名のみたつの市とはさわげどもいさまた人をうるよしもなし (0950) 0702 竹の葉に置きゐる露のまろび合ひて 寝 ぬ るとはなしに立つ我が名かな (0951) よみ人しらず 0706 木幡 こはた 川こは 誰 た が言ひし言の葉ぞ無き名すすがん滝つ瀬もなし (0949) 0710 逢ひ見ての後の心にくらぶれば昔は物を思はざりけり (1072) はじめて女のもとにまかりて、あしたにつかはしける 能宣 0714 逢ふ事を待ちし月日のほどよりも今日の暮こそ久しかりけれ (1037) 題しらず 貫之 0724 百羽 ももは がき羽かく 鴫 しぎ も我がごとく 朝 あした 侘びしき数はまさらじ (1066) 女につかはしける よみ人しらず 0730 身をつめば露をあはれと思ふかな暁ごとにいかでおくらむ (1046) 0731 憂しと思ふものから人の恋しきはいづこを偲ぶ心なるらん (1389) 註:この歌は恋五・0944番に重出。 『定家八代抄』にも重出。 0733 夢よりもはかなき物はかげろふのほのかに見えし影にぞありける (1229) 題しらず 人麿 0746 杉板もて葺ける板間の合はざらばいかにせんとか我が寝 初 そ めけん (1090) よみ人しらず 0749 恋ひ侘びぬ 音 ね をだに泣かん声たてていづこなるらん音無の滝 (0942) 註:新大系本、第五句「音無の里」。 忍びて懸想し侍りける女のもとにつかはしける 元輔 0750 音無の河とぞつひに流れ出づる言はで物思ふ人の涙は (0943) 註:新大系本、第三句「流れける」。 題しらず よみ人しらず 0751 風さむみ声よわりゆく虫よりも言はで物思ふ我ぞまされる (1006) 0752 志賀 しか のあまの釣にともせるいざり火のほのかに妹を見るよしもがな (0903) 註:この歌は恋五・0968番歌と重出。 侍従に侍りける時、村上の先帝の御乳母に、しのびて物のたうびけるに、「付きなき事なり」とてさらに逢はず侍りければ 一条摂政 0758 隠れ 沼 ぬ のそこの心ぞうらめしきいかにせよとてつれなかるらん (0863) 註:一条摂政は藤原 伊尹 これまさ。 題しらず 大伴 方見 かたみ 0765 石上 いそのかみ ふるとも雨にさはらめや逢はんと妹に言ひてしものを (1202) 五月五日、ある女のもとにつかはしける よみ人しらず 0767 いつかとも思はぬ沢のあやめ草ただつくづくと 音 ね こそ泣かるれ (0990) 題しらず 0771 思ひきや我が待つ人はよそながらたなばたつめの逢ふを見んとは (0958) 巻第十三(恋三) 27首 題しらず 人麿 0778 足引の山鳥の尾のしだり尾の長々し夜を独りかも寝ん (1121)* よみ人しらず 0779 足引の 葛木山 かづらきやま にゐる雲のたちてもゐても君をこそ思へ (1352) 0780 足引の山の山菅やまずのみ見ねば恋しき君にもあるかな (1135) 旅の思ひを述ぶといふことを 0781 足引の山越え暮れて宿借らば妹立ち待ちて 寝 い ねざらむかも (1136) 題しらず 人麿 0782 足引の山より出づる月待つと人には言ひて君をこそ待て (1375) 0783 みか月のさやかに見えず雲がくれ見まくぞほしきうたてこの頃 (1377) よみ人しらず 0784 逢ふ事はかたわれ月の雲がくれおぼろげにやは人の恋しき (1378) 月のあかかりける夜、女のもとにつかはしける 0787 恋しさは同じ心にあらずとも今宵の月を君見ざらめや (1379) 返し 0788 さやかにも見るべき月を我はただ涙にくもる折ぞおほかる (1380) 万葉集和せる歌 順 0794 ひとり寝る宿には月の見えざらば恋しきことの数はまさらじ (1360) 題しらず 人麿 0795 長月の有明の月のありつつも君し来まさば我恋ひめやも (1381) 月のあかき夜、人を待ち侍りて 0796 ことならば闇にぞあらまし秋の夜のなぞ月影の人頼めなる (1382) 題しらず 春宮左近 0797 ふらぬ夜の心を知らで大空の雨をつらしと思ひけるかな (1099) 今は 訪 と はじと言ひ侍りける女のもとにつかはしける よみ人しらず 0800 忘れなむ今は 訪 と はじと思ひつつ 寝 ぬ る夜しもこそ夢に見えけれ (1412) 註:『拾遺抄』と『定家八代抄』、作者を源巨城とする。 題しらず 0802 むば玉の妹が黒髪こよひもや我が無き床になびき出でぬらん (1413) 人麿 0807 夕け問ふ 占 うら にもよくあり今宵だに来ざらむ君をいつか待つべき (1081) 0808 夢をだにいかで形見に見てしがな逢はで 寝 ぬ る夜のなぐさめにせん (1220) よみ人しらず 0816 巻向 まきもく の桧原の霞たちかへりかくこそは見めあかぬ君かな (1161) 冬より 比叡 ひえ の山にのぼりて、春まで音せぬ人のもとに 藤原 清正 きよただ が 女 むすめ 0817 ながめやる山辺はいとど霞みつつおぼつかなさのまさる春かな (1251) 題しらず 山辺赤人 0819 我が背子をならしの岡の呼子鳥君呼びかへせ夜のふけぬ時 (1253) よみ人しらず 0822 叩くとて宿の妻戸をあけたれば人もこずゑの 水鶏 くひな なりけり (1254) 0829 夏草のしげみに 生 お ふるまろこ菅まろがまろ寝よ幾夜経ぬらん (1258) 天暦御時、 広幡 ひろはた の御息所ひさしく参らざりければ、御文つかはしける 御製 0830 山がつの垣ほに生ふる撫子に思ひよそへぬ時のまぞなき (1174) 註:御製。 三百六十首歌のなかに 曾禰好忠 0833 我が背子が来まさぬ宵の秋風は来ぬ人よりもうらめしきかな (1266) 題しらず 赤人 0837 恋しくは形見にせんと我が宿に植ゑし秋萩今さかりなり (1279) 馬内侍 むまのないし 0840 うつろふを下葉ばかりと見しほどにやがても秋になりにけるかな (1283) 人麿 0845 我が背子を我が恋ひをれば我が宿の草さへ思ひうら枯れにけり (1285) 巻第十四(恋四) 21首 題しらず 人麿 0849 朝寝髪われはけづらじうつくしき人の手枕ふれてしものを (1414) 元輔が婿になりて、あしたに 藤原実方朝臣 0850 時のまも心は空になるものをいかで過ぐしし昔なるらん (1166) 題しらず 人麿 0853 湊入りの蘆わけ 小舟 をぶね さはりおほみ我が思ふ人に逢はぬ頃かな (1201) よみ人しらず 0856 波間より見ゆる小島の浜ひさ木久しくなりぬ君に逢はずて (1317) 人麿 0857 ます鏡手に取り持ちて朝な朝な見れども君にあく時ぞなき (1164) よみ人しらず 0859 伊香保のや伊香保の沼のいかにして恋しき人を今ひとめ見ん (1427) 0860 玉川にさらす手づくりさらさらに昔の人の恋しきやなぞ (1428) 0870 忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな (1418)* 女をうらみて「さらにまうで来じ」と誓ひて後につかはしける 実方朝臣 0871 何せんに命をかけて誓ひけむいかばやと思ふ折もありけり (1419) 題しらず 人麿 0874 かくばかり恋しきものと知らませばよそに見るべくありけるものを (1420) 女のもとにつかはしける 藤原 惟成 これなり 0878 人知れず落つる涙のつもりつつ数かくばかりなりにけるかな (1028) 題しらず よみ人しらず 0880 さ 牡鹿 をしか の爪だにひちぬ山川のあさましきまで訪はぬ君かな (1426) 人麿 0887 難波人あし火たく屋は 煤 すす たれど己が妻こそ 常 とこ めづらなれ (1165) よみ人しらず 0889 八百日 やほか 行く浜の真砂と我が恋といづれまされり沖つ島守 (1199) 屏風にみ熊野の 形 かた かきたる所 兼盛 0890 さしながら人の心をみ熊野の浦の 浜木綿 はまゆふ いくへなるらん (1200) 題しらず よみ人しらず 0893 葦根はふ 泥 うき は上こそつれなけれ下はえならず思ふ心を (0862) 人麿 0895 たらちねの親の飼ふ 蚕 こ の繭ごもりいぶせくもあるか妹に逢はずて (1190) 註:新大系本、第五句「妹に逢はずして」。 よみ人しらず 0897 たらちねの親のいさめしうたた寝は物思ふ時のわざにぞありける (1191) 道をまかりてよみ侍りける 人麿 0910 よそにありて雲居に見ゆる妹が家に早くいたらむ歩め黒駒 (1203) 入道摂政まかりたりけるに、門を遅く明けければ 0912 歎きつつ独り 寝 ぬ る夜の明くるまはいかに久しき物とかは知る (1086) 註:新大系本の詞書、「明けければ」の後に「立ちわづらひぬと言ひ入れて侍ければ」が続く。 題しらず 柿本人麿 0924 ちはやぶる神の 斎垣 いがき も越えぬべし今は我が身の惜しけくもなし (1243) 巻第十五(恋五) 21首 善祐法師ながされて侍りける時、母の言ひつかはしける 0925 泣く涙世はみな海となりななん同じ渚に流れよるべく (1331) 題しらず 人麿 0926 住吉の岸にむかへる淡路島あはれと君をいはぬ日ぞなき (1169) よみ人しらず 0931 ありへんと思ひもかけぬ世の中はなかなか身をぞ嘆かざりける (1539) 0933 世の中の憂きもつらきも忍ぶれば思ひ知らずと人や見るらむ (1540) 人麿 0937 恋ひ死なば恋ひも死ねとや玉ほこの道行人にことづてもなき (1388) よみ人しらず 0948 心をばつらき物ぞと言ひ置きて変はらじと思ふ顔ぞ恋しき (1390) 物いひ侍りける女の、後につれなく侍りて、さらに逢はず侍りければ 一条摂政 0950 哀れとも言ふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな (1407)* 題しらず 伊勢 0951 さもこそは逢ひ見んことのかたからめ忘れずとだに言ふ人のなき (1387) 貫之 0953 おほかたの我が身ひとつの憂きからになべての世をも恨みつるかな (1538) 人麿 0954 荒ち 男 を の狩る矢の先に立つ鹿もいと我ばかり物は思はじ (1408) 0955 あら磯のほか行く波のほか心我は思はじ恋ひは死ぬとも (1170) 女のもとにまかりけるを、もとの 妻 め の 制 せい し侍りければ 源景明 0963 風をいたみ思はぬかたに泊りするあまの小舟もかくや侘ぶらん (1321) 題知らず 0966 黒髪にしろ髪まじり 生 お ふるまでかかる恋にはまだ逢はざるに (1416) 註:新大系本、第五句「いまだ逢はざるに」。 0967 潮満てば入りぬる磯の草なれや見らく少なく恋ふらくの多き (1197) 0969 岩根ふみかさなる山はなけれども逢はぬ日数を恋ひやわたらん (1137) よみ人しらず 0973 思はずはつれなき事もつらからじ頼めば人をうらみつるかな (1182) 0985 恨みてののちさへ人のつらからばいかに言ひてか 音 ね をも泣かまし (1340) 小野宮 大臣 おほいまうちぎみ につかはしける 閑院大君 0986 君をなほ恨みつるかな海士のかる藻にすむ虫の名を忘れつつ (1339) 題しらず 人麿 0990 とにかくに物は思はず飛騨 匠 たくみ 打つ墨縄のただ一すぢに (1179) 女のもとにつかはしける 平忠依 0992 逢ふ事は心にもあらで程 経 ふ ともさやは契りし忘れ果てねと (1314) 題しらず よみ人しらず 0996 あやしくも厭ふにはゆる心かないかにしてかは思ひ絶ゆべき (1177) 巻第十六(雑春) 5首 流され侍りけるとき、家の梅の花を見侍りて 1006 こちふかば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな (1576) 題しらず 1008 いにし年ねこじて植ゑし我が宿の若木の梅は花咲きにけり (0040) 北白川の山庄に、花のおもしろく咲きて侍りけるを見に、人々まうで来たりければ 右衛門督公任 1015 春来てぞ人もとひける山里は花こそ宿のあるじなりけれ (1704) 右衛門督公任こもり侍りける頃、四月一日にいひつかはしける 左大臣 1064 谷の戸を閉ぢやはてつる鴬の待つに音せで春も過ぎぬる (1492) 註:左大臣は藤原道長。 題しらず 大中臣輔親 1076 足引の山郭公里なれてたそがれ時に名のりすらしも (0220) 巻第十七(雑秋) 4首 天禄四年五月廿一日、円融院のみかど一品宮にわたらせ給ひて、らんごとらせ給ひけるまけわざを、七月七日にかの宮より内の大ばん所にたてまつられける扇にはられて侍りけるうす物に、おりつけて侍りける 元輔 1089 天の川 扇 あふぎ の風に霧はれて空すみわたる 鵲 かささぎ の橋 (0295) 題しらず 人麿 1118 この頃のあかつき露に我が宿の萩の下葉は色づきにけり (0333) 亭子院、大井河に 御幸 みゆき ありて、「行幸もありぬべき所なり」とおほせ給ふに、事の由奏せんと申して 小一条太政大臣 1128 小倉山みねのもみぢ葉心あらば今一たびのみゆき待たなむ (0482)* 註:小一条太政大臣は貞信公藤原忠平。 三百六十首の中に 曾禰好忠 1145 にほ鳥の氷の関に閉ぢられて玉藻の宿を 離 か れやしぬらん (0526) 巻第十八(雑賀) 1首 春日の使にまかりて、帰りてすなはち女のもとにつかはしける 一条摂政 1197 暮ればとく行きて語らむ逢ふことのとほちの里の住みうかりしも (0810) 註:一条摂政は藤原伊尹。 巻第十九(雑恋) 1首 題しらず 柿本人麿 1210 をとめ子が袖ふる山の 瑞垣 みづがき の久しき世より思そめてき (0960) 巻第二十(哀傷) 18首 中納言敦忠まかり隠れてのち、比叡の西坂本に侍りける山里に、人々まかりて花見侍りけるに 一条摂政 1279 いにしへは散るをや人の惜しみけむ花こそ今は昔恋ふらし (0683) 中宮かくれ給ひての年の秋、御前の前栽に露の置きたるを、風の吹きなびかしたるを御覧じて 天暦御製 1286 秋風になびく草葉の露よりも消えにし人を何にたとへん (0660) 註:村上天皇御製。 恒徳公の 服 ぶく 脱ぎ侍るとて 藤原道信朝臣 1293 限りあれば今日ぬぎすてつ藤衣はてなき物は涙なりけり (0678)* 註:恒徳公は作者の父藤原為光。 昔見侍りし人々、おほく亡くなりたることを嘆くを見侍りて 藤原為頼 1299 世の中にあらましかばと思ふ人亡きが多くもなりにけるかな (0716) 妻 め 亡くなりて後に、子も亡くなりにける人を、とひにつかはしたりければ よみ人しらず 1310 いかにせんしのぶの草も摘みわびぬ形見と見えし子だになければ (0672) 題しらず 1324 鳥辺山谷にけぶりの燃え立たばはかなく見えし我と知らなむ (0690) 1327 世の中を何にたとへん朝ぼらけ漕ぎゆく舟の跡のしら浪 (0634) よみ人しらず 1329 山寺の入相の鐘の声ごとに今日も暮れぬと聞くぞかなしき (0715) 法師にならむとて出でける時に、家に書き付けて侍りける 慶滋保胤 よししげのやすたね 大内記 1330 うき世をばそむかば今日もそむきなむ明日もありとは頼むべき身か (0712) おこなひし侍りける人の、苦しく覚え侍りければ、え起き侍らざりける夜の夢に、をかしげなる法師の突きおどろかして、よみ侍りける 1341 朝ごとにはらふ塵だにあるものを今幾世とてたゆむなるらん (0713) 註:この歌の作者は、夢に現れた法師(仏の化身)。 性空上人のもとによみてつかはしける 1342 くらきより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月 (1809) 極楽をねがひてよみ侍りける 仙慶法師 せんけいほうし 1343 極楽ははるけき程と聞きしかどつとめて至るところなりけり (1786) 市門に書き付けて侍りける 空也上人 1344 一たびも南無阿弥陀仏と言ふ人の 蓮 はちす の上にのぼらぬはなし (1782) 註:作者名の下に小字で注記「天録三年九月於東山西光寺入滅」とある。 、山階寺にある仏跡に書き付け給ひける 1345 三十 みそぢ あまり二つの姿そなへたる昔の人の踏める跡ぞこれ (1783) よみたまひける 1346 法華経を我が得しことは 薪 たきぎ こり菜つみ水くみつかへてぞ得し (1778) 南天竺より東大寺供養にあひに、菩提が渚に来着きたりける時よめる 1348 霊山 りやうぜん の釈迦のみまへに契りてし 真如 しんによ 朽ちせずあひ見つるかな (1779) 返し 波羅門 ばらもん 僧正 1349 迦毘羅衛 かびらゑ に共に契りしかひありて文珠の 御顔 みかほ あひ見つるかな (1780) 餓へ人かしらをもたげて、御返しをたてまつる 1351 斑鳩 いかるが や 富緒 とみのを 川の絶えばこそ我が大君の御名を忘れめ (1781) 註:の歌への返し。 更新日:平成17-03-03 最終更新日:平成22-02-28 ||.

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拾遺集秀歌選

恋す て ふわ が 名 は まだき 立ち に けり 人知れず こそ 思 ひそめ しか

恋をしているという私の噂が早くも立ってしまったのだよ。 他人に知られないように思いはじめていたのに。 壬生忠見 (みぶのただみ) 生没年不詳。 平安中期の歌人。 三十六歌仙の一人。 直前には会話文・心内文などがあり、伝聞を表す。 「まだき」は、早くもの意を表す副詞。 「立ちにけり」は、の歌(40番)の「出でにけり」と同じ用法で、今初めて気づいたことを表す詠嘆の助動詞。 この場合、誰にも知られないように恋心をいだきはじめたのに、気がついたら早くも噂が立っていたことを表す。 「知れ」は、下二段の動詞「知る」の未然形で、知られるの意。 「ず」は、打消の助動詞「ず」の連用形。 「知れず」で、知られないようにの意。 「こそ」は、強意の係助詞。 「思ひそめ」は、「思ひ初め」で、思いはじめるの意。 「しか」は、過去の助動詞「き」の已然形で「こそ」の結び。 この場合は、倒置法が用いられているため、「〜たのに…」という逆接の意を表し、上の句にかかる。 しかも、この歌合の最後の勝負、いわばエース対決として戦った歌であり、判者の藤原実頼も優劣つけがたく、持(引き分け)にしようとした。 しかし、天皇が「しのぶれど」と口ずさまれたことから勝敗は決し、兼盛の勝ちとなった。 この敗戦が原因で、忠見は、拒食症に陥り病死したと『沙石集』は伝えている。 この逸話の真偽は定かではないが、当時の人々の歌合に対する思い入れが並々ならぬものであったことは、うかがい知ることができる。 ちなみに、天徳内裏歌合の二人の直接対決は、2勝1敗で忠見の勝ち、団体戦でも忠見が属する左方が10勝5敗5分(そのうち忠見は、2勝1敗1分)で勝っている。 対する兼盛は、4勝5敗1分で負け越し、右方の勝利に貢献することはできなかった。 小倉百人一首 - 番号一覧.

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