モスティン男爵 日本語。 モスティン ハウス

世界ふしぎ発見!に英国ウェールズの超イケメン男爵登場!111年前の日本の写真を発見…明治天皇のお姿も?【2019年10月12日(土曜日)放送 TBS】

モスティン男爵 日本語

連合王国貴族(れんごうおうこくきぞく、 Peerage of the United Kingdom)は、1801年にによりが成立してから授爵されたの総称。 合同法以後も、連合王国貴族とは別に、新たなは創設され得たが、1898年のカーゾン男爵の新設が最後となった。 連合王国貴族は、(Duke, Duchess)、(Marquess, Marchioness)、(Earl, Countess)、(Viscount, Viscountess)、(Baron, Baroness)で構成される。 すべて世襲制だが、1958年の法により男爵のみ世襲(Hereditary baron)と功労による一代限り(Life baron)とがある。 なお、日本語でと一般的に訳されているbaronetは貴族(peerage)には含まれない。 王族でない公爵創設は1900年のが最後であり、侯爵の創設は1926年のが最後であった。 1964年にの政権が成立後はほとんど授爵が絶えており、1984年にがとなってから創設がない。 が成立後、連合王国貴族を含めた世襲貴族の議席は92議席に限定された 貴族は尊称としてLordやLadyを名前の前に付けるが、個人名そのものをLordやLadyの付いたものに改名する偽貴族詐欺も横行している。 現存する世襲貴族の連合王国貴族一覧 [ ] 公爵家 [ ]• (1814年)ウェルズリー家• (1833年)エジャートン家• (1874年)グローヴナー家• (1900年)カーネギー家 侯爵家 [ ]• (1801年)• (1812年)コンプトン家• ()(1815年)パジェット家• (1815年)チャムリー家• (1821年)ブルーデネル=ブルース家• ()(1826年)ハーヴェイ家• (1831年)ケネディ家• (1838年)フィップス家• (1876年)• (1892年)ダンダス家• (1902年)ホープ家• (1916年) ()• (1917年)マウントバッテン家• (1926年)アイザックス家 伯爵家 [ ]• () : セント・クレアー=アースキン家• () 1801年 : クレイヴン家• 1801年 : オンズロー家• () 1801年 : マーシャム家• 1801年 : ペラム家• 1801年 : グローヴナー家• : ()• : ネルソン家• : グレイ家• : ()• () : ライダー家• () : ラッセルズ家• : エリオット=マーレイ=キニンマウンド家• () : カスカート家• : グリムストン家• () 1815年 : エリオット家• () 1815年 : パーカー家• () 1815年 : ブリッジマン家• () : スコット家• 1821年 : カーゾン家• () 1821年 : ラウス家• 1821年 : テンプル=ゴア=ラントン家• () : ()• () : アンソン家• : ラムトン家• 1833年 : ()• () 1837年 : モートン家• () 1837年 : ペラム家• 1837年 : コーク家• : ノエル家• : ビング家• () : ピープス家• () : ウェルズリー家• () : ウォード家• : ラッセル家• 1861年 : ()• : ウッドハウス家• () : モンタギュー=ステュアート=ウォートレイ家• : ケアンズ家• : リットン家• : パーマー家• : ノースコート家• : ゲイソン=ハーディ家• () : ウィンザー=クライヴ家• 1905年 : フォジャム家• : ヒックス=ビーチ家• : ビーティー家• () 1919年 : ヘイグ家• 1919年 :• : バルフォア家• : ()• 1925年 : ジェリコー家• : マッカイ家• 1929年 : ピール家• : ボールドウィン家• : ウッド家• () : ()• 1945年 : ロイド・ジョージ家• : ナッチブル家• : アレクサンダー家• : カンリフ=リスター家• 1955年 : アトリー家• : マーキス家• : アームストロング=ジョーンズ家• : 王族の爵位。 子爵家 [ ]• () 1801 ジャービス家• 1802 ダンダス家• 1805年 アディントン家• () 1816 ペルー家• () 1827 ステイプルトン=コットン家• () 1842 クレッグ=ヒル家• 1846 ハーディング家• 1849年 ゴフ家• 1868 ネルソン・フッド家• 1873 ポートマン家• () 1884 ブランド家• () 1891 スミス家• () 1895 ホランド=ヒバート家• 1897 ブレット家• 1900年 ゴッシェン家• 1900 リドレー家• 1902 コルヴィル家• () 1905 ガリー家• 1911 ()• () 1911 ()• () 1911 エイカーズ=ダグラス家• 1911 カーゾン家• 1916 ビッガム家• () 1917 ピアソン家• 1917 キアリー家• 1917• () 1918 ()• 1918 フィリップス家• 1919 ハームズワース家• () 1919 アレンビー家• 1921 セシジャー家• () 1921 ロング家• 1921 ()• 1923 ヤンガー家• () 1925 サミュエル家• () 1927 クレイグ家• 1929 ブリッジマン家• 1929 ホッグ家• () 1929 ジョインソン=ヒックス家• () 1932 バックマスター家• 1935 バサースト家• 1936 ()• 1936 トレンチャード家• 1937 サミュエル家• () 1937 ランシマン家• () 1937 デイヴィッドソン家• () 1938 ヴィアー家• () 1939 インスキップ家• 1940 サイモン家• 1941 ベリー家• 1942 ベン家• 1942 マーゲッソン家• 1943 フィッツロイ家• 1945 アディソン家• 1945 ベリー家• () 1945 ペニー家• 1946 モントゴメリー家• 1952 ()• 1952 ()• 1952 ブルック家• () 1952 クーパー家• () 1954 レザーズ家• 1954 ラムザバザム家• 1954 リトルトン家• () 1955 ハギンズ家• 1956 シドニー家• () 1957 モンクトン家• 1957 ロイド・ジョージ家• () 1957 マッキントッシュ家• 1959 モリソン家• () 1959 ステュアート家• () 1960 ケンプ家• 1960 スリム家• () 1960 ヘッド家• () 1960 レノックス=ボイド家• () 1962 ミルズ家• 1963 ヘア家• 1964 エクルズ家• 1964 マニンガム=ブラー家 男爵家 [ ]• 1802年 ロー家• () 1807年 マナーズ家• 1815年• () 1815年 ハリス家• () 1821年 リデル家• 1821年 チヤムリー家• () 1821年 ウェルド=フォレスター家• 1821年 ストラット家• () 1824年 ギフォード家• () 1826年 ダンクーム家• 1826年 エリス家• 1827年 プランケット家• () 1828年 ア・コート家• () 1828年 ブートル=ウィルブラハム家• () 1829年 ベスト家• 1831年 ()• () 1831年 バンプフィルド家• () 1831年 モスティン家• () 1831年 ソーマレズ家• 1834年 デンマン家• () 1835年 スカーレット家• 1835年• () 1835年 リトルトン家• () 1836年 キャンベル家• 1838年 ポンソンビー家• 1838年 ロッテスリー家• () 1838年 ハンブリー=トレーシー家• () 1838年 マスーアン=キャンベル家• 1839年 リー家• () 1839年 スプリング=ライス家• () 1841年 パーネル家• () 1841年 ()• () 1850年 デニソン家• () 1851年 フレンチ家• 1852年 サマセット家• () 1856年 ストラット家• 1858年• () 1858年 ヤード=ブラー家• () 1859年 ヴァーノン家• 1860年 ブルーム家• () 1861年 ベセル家• () 1863年 ホワイト家• 1866年• () 1866年 ジョリフ家• () 1866年 ダグラス=ペナント家• () 1868年 チチェスター家• 1868年 ネイピア家• 1869年 ローレンス家• () 1869年 ライオン=ダルバーグ=アクトン家• () 1869年 グリン家• () 1870年 ストレイチー家• () 1871年 マンスフィールド家• 1873年 ブルース家• () 1874年 モンクリフ家• () 1874年 コールリッジ家• () 1874年 フレマントル家• () 1874年 ()• () 1876年 オームズビー=ゴア家• () 1876年 ()• () 1876年 ジェラルド家• () 1876年 サックヴィル=ウェスト家• () 1878年 アダレイ家• () 1880年 ヒル=トレヴァー家• 1881年 ラッセル家• () 1881年 ヴァンデン=ベンデ=ジョンストン家• () 1881年 タフトン家• 1884年 テニソン家• () 1884年 ()• () 1884年 ドッドソン家• () 1884年 ジェイムズ家• 1885年• 1885年• () 1885年 コリアー家• 1885年 ギブソン家• () 1885年 ウィン家• () 1885年 ()• () 1886年 オールソップ家• () 1886年 ベケット家• () 1886年 ハミルトン家• 1887年 セント・オービン家• () 1887年 スクレーター=ボース家• 1887年 エイルウィン=フェローズ家• 1887年 ハバード家• () 1888年 ラムリー=サヴィル家• 1892年 キュービット家• () 1892年 ブルックス家• 1892年• 1892年 ()• () 1892年 マルホランド家• () 1893年 ()• () 1896年 ギブス家• () 1897年 ハミルトン家• () 1897年 ベイリー家• () 1899年 ベイリー家• () 1899年 ガードン家• () 1900年 ラボック家• 1900年 モリス家• () 1900年 ハワード家• () 1902年 バルフォア家• 1902年 ケイ=シャトルワース家• () 1902年 グレンフェル家• 1902年• () 1903年 ローソン家• () 1903年 ビダルフ家• () 1905年 リッチー家• () 1906年 マーティン=ヘムヒル家• () 1906年 ジョイシー家• () 1906年 ウィルソン家• 1907年 モンタギュー家• () 1907年 ブレイス家• () 1908年 ホワイトリー家• () 1909年 バーンズ家• 1909年 フィッシャー家• () 1909年 ゴドリー家• 1910年 ハーディング家• () 1910年 ド・ヴィリアーズ家• () 1911年 テナント家• () 1911年 マクラーレン家• () 1911年 トレヴァー=ルイス家• () 1911年 コーベット家• 1911年 アシュトン家• 1911年 モズレー家• () 1912年 ホープ=モーレイ家• () 1914年 クリップス家• () 1914年 カンリフ家• () 1915年 バックリー家• () 1916年 ヘンダーソン家• () 1916年 ショーネシー家• () 1916年 ノートン家• () 1916年 クロスリー家• 1916年 ()• 1917年 エイトケン家• () 1917年 ()• () 1917年 ()• 1917年 ハミルトン=スミス家• () 1917年 シャロナー家• () 1918年 モリス家• () 1918年 カウリー家• () 1918年 ウッドハウス家• 1918年 アーサー家• () 1918年 フィリモア家• () 1919年 ヴィアー家• () 1919年 シンハ家• () 1919年 コクラン家• () 1919年 ロバーツ家• 1919年 ラッセル家• 1919年 スウィンフェン=イーディ家• () 1919年 メストン家• 1920年 コケイン家• () 1922年 ニヴィソン家• () 1922年 ワトソン家• () 1922年 ウィリアムソン家• () 1922年 ヴェスティー家• 1922年 ボリック家• () 1922年 マクレイ家• 1922年 ベセル家• () 1924年 ダーリング家• () 1924年 バンベリー家• () 1925年 デューク家• () 1926年 ブラッドベリー家• () 1927年 グリーンウェイ家• () 1927年 チャブ家• 1927年 コーンウォリス家• () 1927年 グリーンオール家• 1928年 ギブズ家• () 1928年 レムナント家• 1929年 モイニハン家• () 1929年 ショー家• () 1929年 ウィリス家• () 1929年 ジョンストン家• () 1929年 ヤーバーグ家• 1929年 ベーデン=パウエル家• 1930年 ポンソンビー家• () 1930年 ディキンソン家• () 1930年 ノエル=バクストン家• 1930年• 1931年 ラム家• 1932年 ミッチェル=トムソン家• 1932年• () 1932年 デイヴィーズ家• () 1932年 ホープ家• () 1933年 ノール=ケイン家• () 1933年 ミルン家• 1933年 ロッド家• () 1933年 シーリー家• () 1933年 アイリフ家• 1933年 パーマー家• 1934年• 1934年 エルトン家• 1934年 ローダー家• () 1935年 ファーマー・ヘスケス家• 1935年 バカン家• () 1935年 ウィグラム家• () 1935年 バルフォア家• () 1935年 メイ家• () 1935年 ヤング家• () 1936年 マクファーソン家• () 1936年 キャットー家• 1937年 ヘネシー家• 1937年 マンクロフト家• () 1937年 ()• 1937年 ボウヤー家• 1937年 リー家• () 1937年 カドマン家• () 1937年 シドレー家• () 1937年 デニソン=ペンダー家• () 1938年 ロペス家• () 1938年 ブラッシー家• () 1938年 スタンプ家• () 1938年 スミス家• () 1939年 フィリップス家• () 1939年 ハンキー家• 1939年 ハームズワース家• 1939年 ケイザー家• () 1939年 ディクソン家• () 1940年 トライオン家• () 1940年 クロフト家• 1940年 カー家• () 1940年 ネイサン家• 1940年 リース家• () 1941年 キンダースリー家• 1941年 アイアンサイド家• () 1942年 レイサム家• () 1942年 ()• 1942年 ゲッデス家• () 1942年 ウォレンダー家• 1942年 ムーア=ブラバゾン家• () 1943年 キーズ家• () 1943年 ハーバート家• () 1943年 ウィルソン家• 1943年 ランプソン家• () 1943年 ダウディング家• () 1944年 グレットン家• () 1944 ウェストウッド家• () 1945年 ヘーズルリッグ家• () 1945年 ハッキング家• () 1945年 チェットウッド家• () 1945年 エドモンドソン家• 1945年 グリッグ家• () 1945年 ブロードブリッジ家• 1945年 エヴァンズ家• () 1945年 リンゼイ家• () 1945年 ピアシー家• () 1945年 チョーリー家• () 1945年 マフ家• () 1946年 テダー家• 1946年 キャンベル家• () 1946年 デイヴィーズ家• 1946年 ルーカス家• 1946年 シェパード家• () 1946年 ニューオール家• () 1947年 マッフィー家• () 1947年 レイトン家• () 1947年 サイモン家• () 1947年 カーショウ家• 1947年 トレフガン家• () 1947年 クローク家• () 1947年 モンタギュー家• () 1947年 リチャーズ家• 1948年 コルヴィル家• () 1950年 バーデン家• 1950年 ヘイデン=ゲスト家• シルキン家(爵位一代放棄中)• () 1950年 ハイブス家• () 1950年 リーズ=ウィリアムズ家• () 1950年 モリス家• () 1951年 マクファーソン家• () 1951年 ホイットフィールド家• 1951年 フレイバーグ家• () 1951年 ミルナー家• () 1951年 カークウッド家• () 1951年 ワイズ家• () 1952年 ジェフリーズ家• () 1953年 オニール家• () 1953年 ベイルー家• 1953年 スエンソン=テイラー家• () 1954年 ロウ家• () 1954年 ハーヴィー家• () 1955年 グライドリー家• () 1955年 フレイザー家• 1955年 ガルブレイス家• () 1955年 アシュトン家• () 1955年 マクネイア家• () 1956年 ホプキンソン家• 1956年• () 1957 シンクレアー家• 1957年 ブリッジズ家• () 1957年 ノリー家• 1958年 バーケット家• () 1958年 ハーディング家• () 1958年 プール家• () 1959年 ルーツ家• () 1959年 ターナー家• 1959年 ダグデール家• () 1959年 ()• () 1959年 マックアンドリュー家• () 1960年 ネルソン家• 1960年• 1960年 サンダーソン家 爵位一代放棄中• 1960年 リットン=コボルド家• () 1961年 ロバートソン家• 1961年 マークス家• () 1961年 ブロートン家• () 1962年 シーガー家• () 1962年 ブレイン家• () 1962年 ロウ家• () 1962年 ミラー家• () 1963年 エヴァ家• 1964年 トムソン家• () 1964年 ロビンソン家• () 1964年 マーキンズ家• 1964年 フレッチャー=ヴェーン家• () 1964年 ホープ家• 1964年 グリムストン家• () 1964年 レンウィック家• () 1964年 ヒューズ=ヤング家• () 1965年 () 脚注 [ ] [].

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「薔薇戦争」とは 「薔薇戦争」は1455年から30年に及んだイングランド中世封建諸侯による内乱。 共にプランタジネット家の男系傍流であるランカスター家とヨーク家の権力闘争。 最終的にはランカスター家の女系の血筋を引く テューダー家の ヘンリー7世が武力でヨーク家を倒し、ヨーク家のエリザベス王女と結婚。 この結婚を機に両家は和解し、テューダー朝を開いた。 モスティン男爵のご先祖様は、この薔薇戦争で ヘンリーチューダー側につきました。 モスティン男爵の先祖、 AP Richard Howellの元に、のちのヘンリー7世が敵から逃亡中に逃げ込んできたそうです。 その後、 ヘンリー7世をモスティンホールでかくまっていたところ、数か月後に敵のリチャード3世の兵士達1500人がヘンリー7世を追ってがやってきます。 そのヘンリー7世を逃した後の様子が以下の絵で絵画の 赤い方がモスティン男爵のご先祖様だそうです。 「王宮にはいって臣下として政治に携わらないか?」 と誘いを受けたそうです。 しかし、北ウェールズから拠点を移したくなかったため、断ったそうです。 その後、5つの親戚の血筋内だけで近親婚を繰り返します。 モスティン家はウェールズの豪族達と結婚することでより大きな力を手に入れ、モスティン家を形成していったようです。 結果1550年の頃には ウェールズ全体の土地の10%が、モスティン家の所有になったのだそうです。 まるで海外ドラマ「 ゲーム・オブ・スローンズ」のようですね。 モスティン家の財力がヤバい! 前述の通り、モスティン家はウェールズの豪族達と結婚することで大きな力や財力を形成してきました。 そのモスティン家で最も重要な方が 第2代モスティン男爵でした。 出典:アメブロ その理由というのが、モスティン家が現在でもモスティンホール(自分の城)を一般公開しなくても経済的に問題のない状況を作ってくれたから。 第2代モスティン男爵は、北ウェールズの宝石と呼ばれるスランドゥドゥノ(Landudno)の街を開拓しました。 ウェールズ最大のビーチリゾートであるスランドゥドゥノには、ビクトリア時代から旅行者たちが集まってくるほど。 『不思議の国のアリス』のモデルの家族がよくこの町にきたそうで、街中にはアリスつながりのモチーフが色々あるようです。 殆どの貴族が自宅を公開したり結婚式やイベントでお城を貸し出しして維持費を捻出している中、モスティン家はその必要がないのは凄いことですね。 モスティン家の家がヤバいくらい広い!【画像あり】 なんとモスティン家のお城、 モスティンホールには114もの部屋があるそうです。 モスティンホールの中を少し見てみましょう! こちらがモスティンホールの玄関とも言えるエントランスホール。 こちらがモスティン卿お気に入りの図書室。 天井も素敵ですし、本当に絵のようですね! 英国だけあり紅茶を飲みながら読書されているのでしょうか。 そしてこちらはゲストルーム。 普通にホテルのジュニアスイートより大きいそうです。 天蓋付きのベッドで素敵ですね! モスティン男爵はスヌーカーが大好きで趣味の部屋もお持ちです。 ちなみに腕前はプロ顔負けなんだそうです。 その他にも「 シネマルーム」があり、映画やテレビを観たり、プレーステーションでゲームをしたりされているそうです。 貴族といえど、プレステをされるとは、普通の青年の顔もお持ちなのですね! モスティンホールの敷地は東京ドームと隣の後楽園を合わせた敷地より広いそうです。 その中には日本庭園もあるのだそうです。 なんでも現モスティン男爵は大の日本好き。 日本にも何度も足を運んでおり、日本語も出来るそうです。 そして日本で訪れた際にじゃがりこを食べて以来大好きで、家のテーブルに置いてあるんだとか。 親近感が沸きますね!w その他にもモスティン家はロンドンの超高級住宅街「 スローンスクエア」にも邸宅を持っています。 先代のモスティン男爵(グレッグ・モスティンさんの父)はロンドンが好きでロンドンに住んでいました。 その関係からグレッグ・モスティンさんも18歳までロンドンで生活をされていました。 しかし父親の逝去後、数年後にモスティンホールへ移り住むことを決断され、現在はここで生活しています。 家もかなり広いので各部屋への行き来はかなり面倒だそうです。 下記が以前「世界ふしぎ発見!」で紹介されていた際の動画です。 現在は114もある部屋の中から15部屋しか使っていないのだとか。 それでも15部屋。 harrysugiyama がシェアした投稿 — 2018年12月月30日午前4時17分PST 実は 11歳からの幼馴染で 今も親友の間柄という二人。 中学からの幼馴染ということで、中学時代同じ学校に通っていた可能性が大きいと思います。 ハリー杉山さんは超難関でも知られる イギリス・ウィンチェスターカレッ ジに通われていました。 この学校は 1382年に創設された 最古の伝統を誇るイギリスの男子全寮制パブリックスクール。 そして 5年間の学費は 20万ポンド( 約3500万円)! 入学数は1学年約130名で、イギリスの中でも非常に高い金額といえるそうです。 イギリスでは上流階級の子息はパブリックスクールと呼ばれる私立上位校に進学するのが常。 従ってグレッグ・モスティン男爵も同じウィンチェスターカレッジに行き、全寮制ということで共に学業に励み寮生活を満喫されたのではないでしょうか。 プレップスクールとはパブリックスクールを目指す児童たちが通う名門私立小学校です。 仲でもハリーさんやモスティン卿が通ったヒル・ハウススクールはチャールズ皇太子も通学した「 名門中の名門」のプレップスクールです。 そしてハリー杉山さんとモスティン卿は ロンドンの家も隣同士だったのだとか。 家も隣同士で同じ学校に通っていたら仲良くなりますね! まとめ 『ウェールズの貴族・モスティン卿とは?ハリー杉山とは中学の同級生!』と題し、グレッグ・モスティンさんならびにモスティン卿についてまとめました。 そしてモスティン卿は由緒ある家柄で、イギリス王室とも関りのあった家系だったのですね。 ハリー杉山さんとは同じ中学に通い、学校や毎日の生活を共に過ごし友情を築かれたのだと推測します。 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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男爵

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宮地 眞理子 (みやち まりこ) 1978年2月27日生まれ。 神奈川県出身。 女優として映画、TVドラマ、舞台などに多数出演するほか、CM、雑誌等でも幅広く活躍。 趣味はボディボードと映画鑑賞。 「映画は本当に大好きですね」との言葉通り、映画雑誌に連載を持っていたこともあり、自身でも「RAILWAYS」('10年)、「誘拐ラプソディー」('10年)に出演。 ドラマではTBS「温泉へGO!」('08)にレギュラー出演する。 特技は、新日本舞踊、合気道。 ミステリーハンターは今回で70回目(スペシャルの回は含まず)。 連合王国であるイギリスを構成する国の一つウェールズ。 およそ100年前、この国からある男爵一家が日本を訪れました。 近年、その旅のアルバムが見つかったのですが、そこには驚きの記録が!深まる謎を追ってミステリーハンター・宮地眞理子さんがウェールズの旅へ! 今回はイギリス・ウェールズへ ウェールズというと、ラグビーで世界ランキング2位(ワールド・ラグビー 2019年3月〜7月 というニュースを記憶していただけで、あまり知らない国でした。 でも日本とウェールズを繋ぐ、一冊のアルバムから始まったこの取材では、ビックリすることが次々出てきて、ずっとワクワクしていました!ウェールズの男爵一家が日本を旅して、それからおよそ100年の時を経て…、今回ミステリーの扉が開き始めるんです! きっかけとなったアルバムは4年前、この男爵の子孫が暮らすウェールズのお屋敷で見つかったものです。 写真を見せて頂くと、1950年に焼失する前の金閣寺や、着物を着た男の子が遊ぶ様子、人力車、砂埃の舞う町並みなど、私の知らない日本が写っていました。 当時、日本まで来られるのは貴族階級に限られたと思いますが、そもそもなぜその頃の日本へ!?しかも写真の中には、軍事パレードに参加する明治天皇や、後に首相となる人物など、単なる観光とは思えないものもあって…。 日本を訪れた男爵一家の子孫で、今回お話を伺った現在の若き男爵は、ご自身も10年前に日本に来られたそうです。 でもその時はまだアルバムを見つける前で、ひいひいお爺さんが日本へ行ったことも、その目的も全く想像がつかなかったそうです。 そんな当主さえ分からなかった壮大なミステリーに迫ってきました! 莫大な費用をかけて日本を訪れた目的とは… ウェールズを訪ねて ウェールズでは主にスランドゥドゥノという海辺の町にいて、そこは夏の避暑地のような場所です。 思った以上に陽気な方が多くて、みなさん話好きで、よく話しかけてもらいました。 またインドの方が多いからか、美味しいカレーの店もたくさんあって(笑)。 今回初めて訪れたウェールズで、深く心に残ったひとつが、ウェールズの男性合唱団の取材でした。 一見普通のおじいちゃんたちですが、歌い出されると違うんですよ。 この合唱団は、炭坑で働く人たちが仕事の合間に歌ったことから始まったそうですが、歌声の美しさや楽しさ、技術だけではなく、「一体何がこんなにすごいのだろう!?」と考えてしまう合唱なんです。 かつて炭坑夫だった男性に「仕事の時は何の歌を一番よく歌いましたか?」とお聞きすると、ふと言葉に詰まられたり、「讃美歌が多いけれど、ラブソングも歌っていたんだよね」と教えて下さったりしました。 お話を聞きながら、彼らしか分からない世界があるのかもしれないなと…。 まだ10代の若い世代の歌声もレポートするので、歌声に脈々と続くその何かを感じて頂けたらと思います。 合唱に秘められたドラマもレポート! 約100年前、なぜ先祖が日本へ?番組の調査結果をお知らせしたところ、モスティン卿からメッセージを頂きました。 日本語訳したものをご紹介します。 ご連絡どうもありがとうございます。 大変興味深いことばかりです!全て納得がいきますね。 レディ・オーガスタは美術や異文化にとても強い興味を持っていました。 彼女が日本に特別な関心を持ったのもよくわかります。 特に、19世紀の終わりに鎖国が解かれてからというもの、日本は国際的に広く認知されていきましたから。 アルバムに関しても多くのことを調べてくださってありがとうございます。 1908年に私の家族が日本に行き、それから何年もの月日が経った後、日本に対して特別な強い関心を持つようになっていた私がそれを見つけたということ、なんと素晴らしい偶然なんでしょう。 運命とは、時に不思議にはたらくものですね。 モスティン卿.

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