東海道新幹線運用。 JR東海N700S、7/11は東海道新幹線「ひかり」「こだま」でも運用へ

新幹線100系電車

東海道新幹線運用

新幹線車両の世代交代は早い。 ついこの間700系がデビューしたと思ったが(デビューは1999年)、もう東海道新幹線で走ることがなくなるという。 3月8日がラストランだ。 すでにJR東海の多くの車両は廃車になり、残る編成も臨時列車のみで運行されるようになっている。 東海道新幹線の主役はN700A(N700からの改造もふくむ)となり、7月1日にはN700Sがデビューすることになった。 なぜ700系は消えるのか まず大前提として、新幹線の車両は酷使されるということである。 一般の在来線の車両なら、15年から20年で廃車というのはめずらしいが、新幹線だとあたり前である。 理由としては、高速運転を毎日長時間、長距離で行うことにより、車両へのダメージが大きく、疲労が大きいからである。 人間ならば長時間労働で、身体のあちこちが痛むのと同じである。 とくに「のぞみ」運用は、東京から博多までを一日に1往復以上し、東京から新大阪までは一日に何回も往復しなければならないというものである。 こういった運転を毎日繰り返すことにより、車両は疲弊していく。 一方で技術開発は進んでいく。 このN700系で注目されたのは、起動加速度の高さである。 JR東海は、全車両をN700・N700Aに統一することにより、すべての列車を単一の性能のもとで運行できるようになった。 すでにJR東海は、全車両が同じ座席配置の列車となっており、運用の自由度も高かった。 一方、起動加速度が違う車両が混在することにより、その自由度の高さを発揮しきれるとは言い難かった。 車両の性能を統一することにより、ダイヤをより詰め込むことができる。 これまで「のぞみ」が一時間に最大10本だったのが、3月14日のダイヤ改正で最大12本となり、多くの利用者の需要に応えられるようになった。 車両の疲弊と、新車両への統一によるダイヤの向上で、700系は消えるのだ。 東海道新幹線の今後は 東海道新幹線ではN700Sを7月1日に導入することが決まっている。 ただし、東海道新幹線の線路状態は古い時代のものであり、そこまで営業運転でスピードを出すことは困難だ。 今後はN700AとN700Sで高速・高頻度運転を中心に行い、「ひかり」「こだま」も高加減速性能を活かし、高密度のダイヤの中でそれぞれの役割を果たしていくということになるのではないか。 7月1日に登場するN700S(筆者撮影) 山陽新幹線での700系・500系は? 山陽新幹線では700系は残るという。 8両編成になって「こだま」運用に従事している500系も人気を集めている。 JR西日本の700系は「ひかり」「こだま」中心の運用であり、多くが8両編成となっている。 一部に16両編成の「ひかり」があるものの、JR西日本でもN700Aの導入は行われ、こちらでもN700Sがしだいに導入されるようになるだろう。 また山陽新幹線区間での「ひかり」は少なく、多くが九州新幹線直通の「みずほ」「さくら」となっている。 数少ないJR西日本の700系16両編成は500系のように8両編成に改造され、「こだま」中心の運用になるかといったことが考えられるものの、こちらでもすでに廃車になっている700系があり、今後は改造されず廃車になることも十分にある。 700系は山陽新幹線では「のぞみ」での運用は行われておらず、列車ダイヤの密度も高くないため、何らかの形で残ることは考えられるものの、今後の動向が気がかりだ。 一方で、九州新幹線直通の「みずほ」「さくら」は速達型の運転を必要とするため、N700Sの8両編成が将来は導入されることになるだろう。 東海道新幹線で活躍した700系は、新しい時代のために引退し、次の車両へと交代していく。 技術革新が絶え間なく続く新幹線車両は、それにともなう世代交代もまた頻繁である。

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東海道新幹線「N700S」7月デビューの新型車両で本線走行、新大阪へ 「座席」を中心に改良された車内設備をチェック!

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100系新幹線電車(撮影) 基本情報 運用者 製造所 製造年 1985年 - 1992年 製造数 1,056両 運用開始 1985年10月1日 運用終了 2012年3月14日(定期運転) 引退 2012年3月16日(さよなら運転) 廃車 2015年10月1日 投入先 ・ 主要諸元 1,435 mm 25,000V 60Hz 減速度(常用) 2. 6 - 55. 4 t(平屋電動車両) 46. 1 - 49. 5 t(平屋付随車両) 54. 3 - 56. 5 t(2階建て車両) 全長 26,050 mm(先頭車) 25,000 mm(中間車) 車体長 25,800 mm(先頭車) 24,500 mm(中間車) 全幅 3,380 mm 全高 4,490 mm 車体高 4,000 mm(平屋車両) 4,490 mm(2階建て車両) 車体 IS式ダイレクトマウント空気ばね台車 主電動機出力 230 kW 駆動方式 (チョッパ連続制御)併用粘着パターン制御 () 併用粘着パターン制御 電気指令式空気ブレーキ() 備考 目次• 概要 [ ] 1970年代になると、の開業時から運用されていた車両の中には経年劣化が生じた。 その原因は、安全・快適な高速走行のための技術的特徴が盛り込まれた車両を、高速かつ高頻度によって運行する新幹線の運行形態そのものにあった。 0系車両では快適性のために気密構造を採用したが、列車同士のすれ違いやトンネルの出入りで生じる圧力の繰り返しによって、のために車体の気密性が保てなくなった。 0系車両が初めて設計された営業用の新幹線車両であることや新幹線自体が高速列車を長期間運用した最初の事例でもあったことから、予期しがたいものであった。 この状況に合わせ、国鉄は0系の基準を製造後13年と設定した。 そのため、古い0系車両が新造した0系車両によって置き換えられた。 この時点で新形式の投入が行われなかったのにはいくつかの理由があった。 例えば、国鉄の経営状況悪化や労使問題なども影響した。 それに加え、車両の経年数が揃っていない編成が運用されており、既存の車両と混成・編成替えを行う場面における互換性に対して配慮された。 このような経年数の不揃いな編成が生じたのは、開業以来0系の増備が続いたという導入初期特有の事情もあった。 新幹線車両に起こりうる事象が0系の運用経験からある程度把握できるようになってきたことに加え、0系の基本となるデザイン・内装が1964年の登場当初のままでもあったため、何度かマイナーチェンジを経たとはいえ、陳腐化の印象は否めなくなった。 こうした背景に加え、の際に編成単位で大量増備された車両の取換準備車両が必要となることも契機となり、モデルチェンジの機運が高まった。 そこで、0系の設計を改めたモデルチェンジ車の検討が1980年頃から始まった。 モデルチェンジ車として開発された本系列では0系・で培った技術を踏襲しつつ、主に内装・外装を中心にデザインが一新され、からまでに16両編成66本の計1,056両が製造・投入された。 内装や技術面で、これ以降生産される新幹線車両に搭載されることとなった設備・技術も数多い。 デザインについては、前述のように0系のイメージが陳腐化し、後発の高速鉄道であるなどに比べても見劣りしたため、新たな造形が模索された。 それにあたって、国鉄車両設計事務所内に車両デザイン専門委員会が設けられ、そのメンバーには手銭正道、松本哲夫、木村一男が参画した。 デザイン提案は各車両メーカーが行い、それを車両デザイン専門委員会が検討して採用する形が採られた。 また、欧米各地の鉄道で導入されていた2階建て車両を新幹線として初めて組み込み、座席数の増加やサービスの向上など新幹線の宣伝やイメージアップにつながった。 JR発足から、東海道・山陽新幹線における主力車種として活躍したが、後継車両の登場によりに東海道新幹線から撤退し、2012年3月16日に山陽新幹線での運用からも撤退した(および参照)。 なお、100系の試作編成であるX0編成は0系37・38次車 よりも先に落成している。 100系の最終増備編成であるG46編成よりの量産車第1号であるJ2編成が先に落成した が、G46編成の方が先に廃車になった。 構造 [ ] 老朽化した0系の置き換えを目的としており、編成定員・車両の製造費は現状と同等のものとし、地上設備の改良を最小限に抑えつつ、到達時間の短縮を行うことを念頭に置いている。 また、「の象徴」を意識して開発されており、開発目標としては「お客様第一。 乗務員は二の次」が掲げられていた。 車両外観 [ ] シャープなフロントマスク 先代である0系との違いは、そのフロントマスクとの存在である。 フロントマスクは、との低減を図るために、鋭角にした前頭部から徐々に断面積を大きくしていく「流線型」とし、標識灯内のライト配置を0系の縦2灯から横2灯に変更して、横に細長い形に変えた。 このデザインは近畿車両が提案したものが採用された。 の際はそのまま点灯し、の際には赤色のフィルターが自動的に装着されて赤く点灯しているように見える。 運転台の窓と車体の段差は極力小さくなり、0系では開閉可能であった側窓も固定化することで極力平滑化された。 なお、試作車は前照灯に角度がついているためツリ目形状であったが、量産車は角度が小さくなっている。 これらの形状から「ノーズ」と呼ばれる。 前照灯の間にある中央の丸い部分は、非常用のが収納されている。 足元はスカートで覆われ、その内部には何重もの板を重ねたがある。 また、の室外機は200系と同様に天井車端に一括配置された。 材質は0系と同じく1. 6mm厚のを主体に、屋根部分はコルゲートを使用した一体構造となっている。 構体重量は、0系より0. 2軽い10. 3tである。 塗装 [ ] オリジナルの塗装は、車体は0系よりも明るいを地色に、窓周りがの塗りわけである。 また、ブルー塗装の下には、ピンストライプが追加されている。 0系から地色を変更した理由は、100系が「国鉄改革の象徴」であり、0系に使われたクリーム10号よりも、白3号の方が汚れが目立つので、「車両をきちんと清掃する」との意識を職員に植え付けるためだった。 JR西日本所属のK・P編成の塗装の変更についてはを参照。 NSマーク 国鉄時代には「New Shinkansen」の愛称を与えられ 、2階建車両の車体にこれを意匠した赤色のマークが標記されていた。 X1編成のみ、海側は青帯と同じ大きさで、山側がそれよりも大きく描かれていた。 比較検討の結果、量産車では、X1編成の山側と同じく若干青帯より大きい方が採用された。 の後は、代わりにJRマークが貼付された。 JR西日本所属車はX編成と同様に1・15号車の区画、8号車のNSマークが標記されていた箇所にJRマークが貼付されていたが、幾分小さくなっている。 編成番号は運転台下端・先頭車乗務員扉・乗務員扉下部のスカート部分に記されるが、JR東海所有分は、1999年から運転台上端に編成番号を記載するように変更された。 客室窓 [ ] 9000番台X1編成のみ0系1000・2000番台と同じく小窓だったが、その後量産された編成は、0系0番台と同じく2列に1つの窓である大窓となっている。 大窓の採用理由は、破損すると交換が面倒であるものの、眺望が良くなる方を優先したためである。 窓ガラスの板厚と構成を見直し、強度をアップさせている。 運転台 [ ] と同じく、LEDランプが横に向かって点灯するバーグラフ式の主速度計とドットマトリクス表示のキャラクタディスプレイによるモニタ支援装置を装備している。 補助速度計は、200系では右奥に配置されていたのが、本系列では主速度計と一体化して正面に配置され、LEDランプによるデジタル表示に変更されている。 モニタ支援装置は故障表示や必要な各種情報を表示するとともに機器の遠隔解放ができるだけでなく、パンタグラフや空調設備の作動状況、走行情報などが逐一、運転台から監視・制御できるようになっており、ディスプレイ自体はカラーCRTディスプレイ(1面設置。 後の300系や500系などは2面設置)へと進化している。 その他にも、点検作業効率化の観点から機器の配置見直しなども行われ、保守の省力化を図っている。 また、0系に存在した乗務員用の個室が無くなった代わりとして、運転台に折りたたみ式の座席を設けている。 これは、する普通車用の回転・リクライニングシートを、0系2000番台より前後を広げたうえで、1編成辺りの普通席を従来の0系と同数配置するべく、客室スペースを増やすために行われた設計のひとつである。 旧国鉄の車両設計事務所で、100系の車体・艤装の設計を担当した池田憲一郎によれば、池田が飛行機のコックピットに同乗させてもらった際、同種の席を見つけたことからヒントを得ている。 主要機器 [ ] ・向けとして開発されていた200系の機構をベースにコストパフォーマンス面から改良を進めた構造となっている。 主に制御機器・主電動機の軽量化・高性能化により、0系の16両全電動車方式から16両中4両が付随車となった。 モーターの高出力化により、電動車を4両減らしても0系とほぼ同等の出力 を得ることができる。 電源・制御機器 [ ] (4分割)の回路(上)と動作(下)。 サイリスタにリッジT1からT4まで順に位相制御し、電圧を連続制御する。 0系と同じくを採用し、M車(121形・125形)には主制御器と抵抗器が、M'車(122形・126形)には主変圧器・整流装置・補助電源装置・電動空気圧縮機 ・集電装置が搭載される。 床下の平滑化による騒音の低減と着雪障害の防止のため、床下機器の横幅が2,400mmに揃えられた上で機器類の隙間を塞ぐ機器間塞ぎ板方式を採用しており 、走行中の走行風による騒音を低減させている。 主制御器は電動カム軸方式の CS56 を採用する。 車両の前進力行、後進力行、前進ブレーキ、後進ブレーキの切替、搭載する抵抗器を用いて、発電ブレーキ回路を構成し発電ブレーキを掛けることを主な機能としており、それを行うための転換カム軸と抵抗カム軸を搭載している。 ブレーキ抵抗制御の段数は22段であり、カム接触器の数を減らすため、逆転、力行、ブレーキ切替用のカム接触器の一部に双頭カム SR38 を採用している。 重量は940kgである。 制御は0系のに替えて、からの25kVをの二次巻線を分割し、それぞれにサイリスタとダイオードで構成されるブリッジ(整流回路)を取付けて分割構成としたサイリスタ・ダイオード混合ブリッジとし、それにより整流・制御された直流電源で主電動機を駆動するが採用されている。 これは200系とほぼ同等の制御方式である。 主シリコン制御整流装置はさらなる軽量化とコスト削減を図った RS203 を搭載する。 また、整流ユニットを車側からも取り出せるように工夫されており、整備性の向上が図られている。 主変圧器は外鉄形強制風冷式の TM203 を採用する。 補助電源装置には SC202 が採用され、電動発電機と比べてカーボンブラシの交換などの検査の省力化を図っている。 補助変圧器、定電圧装置、整流装置で構成されており、主変圧器の三次巻線(440V 60Hz)を電源とする。 供給する電源としては、温水器などで使用される低圧交流電源100V、冷水機や汚物処理装置などで使用される低圧安定化交流電源交流100V、セクション通過時の停電を防ぐために使用される無停電交流安定化電源交流100V、制御・ブレーキ電源、蛍光灯などで使用されている100Vの4種類がある。 加えて、東京方先頭車ボンネット内にインバータ SC18 を備え、直流100Vを交流100V 60Hzに変換する。 停電時には、一部交流機器に電源供給を行う。 電動空気圧縮機は MH1091-TC2000 を搭載する。 圧縮機部 TC2000 は水平対向4気筒を有する往復単動二段式で1分間定格出力2,063Lであり 、全閉自冷式であるかご形単相誘導電動機 MH1091 は主変圧器の三次巻線である単相交流440V 60Hzで駆動される。 0系16両編成では1,000L級を8基搭載していたが、騒音源の減少とコスト削減を進めるために1基当たり吐出し量を倍増させ、編成中の搭載台数を半減させた。 空気圧縮機の大容量化を進めることは騒音増大につながるが、騒音対策を施すことで低騒音化を達成している。 機器冷却用の電動送風機は主変圧器の三次巻線を電源とした主整流装置用 MH1092-FK156 と主変圧器用 MH1093-FK157 を搭載する。 0系では主整流装置・主変圧器共用で1台の電動送風機が搭載されていたが、個別に設計した電動送風機を使用することで小型軽量化を図った。 主電動機 [ ] 主電動機はの MT202 を電動車両1両あたり4基搭載している。 0系に比べて編成中の電動車数が減少すること、起動時の引張力を増大させて加速性能を向上させたことから、0系に比べて高出力(連続定格出力230kW)となった。 端子電圧は625V、定格回転数は2,900rpmに増強され 、重量は825である。 構造的特徴として、他力通風方式の採用で鉄心長を増加させて出力向上を図り、H種絶縁の採用や冷却用排風覆いの簡素化で軽量化が図られるとともに、長尺ブラシを使用してブラシ摩耗代を長くし、軸受構造に第2グリース室を設けて潤滑寿命を長くして、無保守走行距離の延長を図っている点 は MT201(200系)と同じである。 台車 [ ] WDT202(122-5005・K53編成) はDT202、台車はTR7000と呼称され(いずれもJR西日本の場合は頭に「W」を付す)、0系のDT200と同じくIS式軸箱支持装置、枕バネを採用している。 コスト削減のため、DT202とTR7000の台車枠は共通のものが用いられ、車輪径は910mm、輪距は2,500mm、重量は9,800 kg DT202 9,225 kg TR7000 となっている。 33倍、左右動ダンパー減衰係数も1. 5倍となっている。 ブレーキ [ ] システムとしては200系と同様、制御応答性に優れる併用方式を採用する。 高速域からの減速は、抵抗器を使用したバーニアチョッパ制御によるを用い、制動力が不足する場合には空気ブレーキによる補足が入る。 新幹線で初めて設定された付随車のブレーキには、を各車軸あたり2台設置する。 コイルの励磁電流は、隣接するM車から供給されている。 以降製造された東海道・山陽新幹線の新幹線車両のうち300系との付随車に採用された。 集電装置 [ ] PS202型パンタグラフと特高圧引き通し線(K58編成) は0系から引き続き下枠交差型パンタグラフが採用された。 PS202と呼称される。 また、パンタグラフ半減に対応し、走行時に立ち上がることを防ぐためにかぎ装着部を二重ロックとしている。 当初は各電動車ユニットごと、16両編成で6基のパンタグラフを使用していたが、3月の東海道新幹線の化により3基に半減された。 これは天井に這わせた高圧ケーブルによるを実施し、パンタグラフのないユニットへのへの電力供給も可能になったため、この方法は以降新製される新幹線全車両に採用されている。 列車無線機器・公衆電話 [ ] 装置はバージョンアップされ、0系で使用していたによる無線から線路のそばに敷設された LCX に流れた情報を先頭車(1号車)の足元に設置されたが受信して通信をやり取りする方式に変更し、東海道区間ではJR化後の3月から、山陽区間では3月からまで、3月から全線で本格運用を始めた。 回線数が増えたことから、は2両に1箇所設置することが可能となった。 そのための準備工事は事前に実施されていた。 また、それまでの車内電話は列車内発信時にはを通し、沿線の都市のみが通話可能エリアであったが、これにより日本全国へのダイヤル通話ができるようになった。 設備 [ ] 平屋車両の場合、は博多方車端の1か所に、普通車は各車両端の2か所に客用扉・デッキを設けた。 なお食堂車として製造された168形には車端にデッキがあり、客用扉と同様の扉を持つが、業務用扉であり、乗客の乗降には供されない。 また、グリーン・カフェテリア合造車として製造された148形には、東京方のデッキに客用扉と同様の扉を持つが、業務用扉であり、乗客の乗降には供されない。 内装 [ ] 内装については、長時間、ゆったりと乗ってもらうため、した「お客様第一。 乗務員は二の次」以外にも、「アットホームな車内の雰囲気」が重視されている。 これは、100系の車体・艤装設計担当の池田憲一郎の意向である。 開発当時の車両の車内は、無機質な樹脂製の壁や金属製のつなぎ目、ネジなどが目立ち、池田は 「列車に乗ると普段の居住空間と違う」と感じており、自宅の部屋は木材や布など柔らかい素材に囲まれていることに気づき、このことを内装設計に反映させている。 壁などは、内装の工事が容易に行えるように、布ベースのフィルムシートが貼られ、金属色やねじを見せないようにねじが隠されている。 フィルムシートには騒音吸収効果もあったが、布ベースのシートだったためコーヒーなどをこぼされると交換が面倒という難点もあり、新幹線での採用例は100系のみとなった。 普通車の内装は、奇数号車がブルー系、偶数号車がブラウン系の配色となり、シートモケットやカーテンなどのデザインが異なっている。 平屋車両の場合、室内高さは2,100mmで、0系よりも10mm大きくなった。 には直接照明が採用されているが 、とには、新幹線車両として初めて間接照明が採用された。 また、グリーン車では、荷棚の下に読書灯が各席毎に設置された。 0系2000番台に引き続き、車内の窓周辺部がユニットとなっており、窓下のが復活している。 また、リクライニング機構の変更し、背面のテーブルを座席下部から棒で支えるタイプに変更、座席の土台の厚みを薄くすることによって、3人席においても回転・リクライニングを可能とした。 シートピッチを拡大して、回転・リクライニング可能な3人席を導入した結果、0系よりも1車両辺り5人分(16両編成では65人分)の普通席が足りなくなったが、乗務員用個室の削減およびの設置、その他様々な機器を小型化することで、0系と同等の座席数を確保した。 100系で採用された、普通席のシートピッチ1,040mmは、その後の東海道・山陽新幹線の標準となった。 内装にあわせて、奇数号車の座席はブルー系、偶数号車の座席はブラウン系にまとめられている。 肘掛先端にはリクライニング用のレバーと灰皿(喫煙席のみ)が設置されている。 開放式座席がほとんどであるが、X・G編成9号車には個室も設置された。 座席間の肘掛部分にオーディオサービス用機器が埋め込まれ 、喫煙車の座席には端側の肘掛に灰皿が設置されている。 肘掛内部にはインアームテーブルが備えられ、取り出して使用できる。 初期の座席には、座席背面のテーブルが設置されていない。 車内サービス [ ] ミュージックサービスとの送信を始めた。 普通車では手持ちので、内では備え付けので聴くことができる。 このサービスは、以降新製される東海道・山陽新幹線の16両編成の全車両に装備されている。 式(単色、V編成は2色)のが装備された。 電光掲示板の上部にはデジタル式の、右側に次の停車駅までの距離をで表示する装置が配され 、通常走行時はLCXから送信されたを表示した。 X編成では当初速度表示もなされていたが後に取りやめとなっている。 G32 - G50編成では電光掲示板の文字を大きくし、時計と距離表示は省略された。 後者の電光掲示板は、300系では同じタイプのものが搭載され、以降のすべての新幹線車両に標準搭載されている。 この電光掲示板は、一部が0系WR(R60番台)編成に転用された。 2階建て車両 [ ] 100系X1編成の2両の2階建て車両 8号車168-9001(前)と9号車149-9001(後)(1985年撮影) 東海道新幹線の利用客は1976年をピークに減少傾向をたどり 、列車の削減が行われた。 そのような経緯から、新幹線100系電車は客室(サービス面)を中心としたモデルチェンジが指向された。 そしてより明るく快適な新幹線として、話題性を高めイメージアップを図るべく、新幹線としてはじめて2階建て車両が組み込まれた。 またコスト削減の観点から、0系の全電動車構成を改め付随車を導入することになった影響の副産物という側面もある。 基本的に階上は、車窓が良いことや乗客の通り抜けがないことからグリーン席や食堂、階下は普通車指定席、もしくは個室が設定された。 詳細はを参照。 客席部分を最大限使用するため、電動機などの機器を搭載することができず付随車となった。 また、空調設備は1階機器室に搭載された室内機と屋根上の室外機を分離したセパレート方式とし 、客室内には空調用のラインフローが設けられ、グリーン席にはスポット空調を採用している。 2階建て車両は、平屋車両との段差が大きくなるために空気抵抗が増加することや車体重心が高くなることから、車高はできるだけ低い方が望ましい。 しかし、2階建て車両投入によるイメージアップも重要なテーマであることから床面をレール面上200mmまで下げ、屋根高さを平屋車両と比べて500mm高い位置の4490mmまで持ってくるなど 、車両限界を有効利用して設計されており 、それにより各階の天井高さを1945mmとし、十分な高さを確保している。 V編成「」の場合、室内高さは、1階部分が1982mm、2階部分が1986mmとなっている。 なお、車体重心をできるだけ下げるため、1階部分の車体構造が強化され、厚い鋼板が張られている。 東海道・山陽新幹線区間では、300系以降で車両軸重を11. 4t以下にすることを目標に設定したことや定員の相違による互換性の面での支障、速度向上のために車両の軽量化や走行抵抗の軽減が求められた結果、2階建て車両の新造はされていない。 カフェテリア・食堂車 [ ] 168-9001の食堂車全景 16両編成の中央に連結された2階建て車両のうち、8号車にはカフェテリアもしくはといった供食設備がおかれた。 東京駅 - 博多駅間の長距離運用向けに製造されたX・V編成には8号車の1階に厨房・売店と通路が、見晴らしの良い2階には食堂が設置された。 ちなみに現場のコックの要望で、厨房内に客室入口を映し出すTVモニターを設置している。 X編成とV編成では、車両外観は同じだったが、内装は全く違った。 X編成に組み込まれた9000, 0番台車両では、食堂出入り階段付近に設置された、東海道・山陽本線を駆け抜けた代表列車のエッチングによる装飾が大きな特徴である。 このエッチングは、元国鉄のが製作したものである。 この中には100系もあるが、9000番台(X1編成)では小窓で描かれていた100系は、0番台(X2 - X7編成)では大窓で描かれている。 V編成に組み込まれた3000番台車両は、入り口付近の装飾や壁面に大きな飾り花が設置されたのが特徴である。 1階の厨房から料理を2階に運ぶために料理用エレベータが設置された。 G編成は、グリーン席の増加と短距離運用中心のため、8号車の2階席をグリーン席にあて、1階部分にを設置した。 山側に通路が、海側にショーケースと簡易厨房が設けられていた。 製造次によって、床模様や柱の本数・デザインが異なっている。 食堂車の営業は2000年3月10日で終了したが、その後も食堂車は連結されたままだった。 カフェテリアの営業は100系による定期「ひかり」運用が消滅した2003年8月22日まで続けられた。 形式および車種 [ ] 本系列に属する各形式名とその車種は以下のとおり。 基本的に電動車は奇数形式と偶数形式でペアを組んでMM'ユニットを構成し、16両編成の場合は6組のMM'ユニットと4両のT車(X・G編成は1・8・9・16号車、V編成は7・8・9・10号車)で、6両および4両編成の場合はすべてMM'ユニットで組成される。 新製車両 [ ] 形式詳細 [ ]• 東海道・山陽新幹線上での新幹線車両における前位とは車両の博多方、後位とは東京方のことである。 116形 M's を備える中間。 X・G編成10号車として125形とペアを組んで使用される。 前位に車掌室を備え、集電装置・主変圧器・整流装置・電動空気圧縮機などを搭載する。 9000番台は当初、客用扉が2箇所あったが、量産化改造を経て1箇所になった。 1991年にパンタグラフ半減工事が実施され、集電装置は撤去された。 121形 121-3009 121形 Mc を備える電動車。 V編成1号車として126形とペアを組んで使用される。 前位に博多向き運転台、後位に便所・洗面所を備え、主制御器・抵抗器・補助電源装置・蓄電池・LCXアンテナなどを搭載する。 0番台は存在しない。 122形 M'c 普通席を備える制御電動車。 V編成16号車として125形とペアを組んで使用される。 後位に東京向き運転台を備え、集電装置・主変圧器・整流装置・運転用装置などを搭載する。 0番台は存在しない。 1990年3月にパンタグラフ半減工事が実施され、集電装置は撤去された。 ただし、3008, 3009の2両は新製時から集電装置を搭載していなかった。 126形 126-3025 普通席を備える中間電動車。 X・G・V編成2・4・6・12・14号車、K編成2号車、P編成2号車として121形もしくは125形とペアを組んで使用される。 集電装置・主変圧器・整流装置・電動空気圧縮機などを搭載する。 148形 T'sbd グリーン席とカフェテリアを併設する2階建て中間付随車。 G編成8号車として使用される。 1階にはカフェテリアが、2階にはグリーン席が設置された。 149形 Tsd グリーン席を備える2階建て中間付随車。 1階にグリーン個室、2階にグリーン席が設置された。 0番台 X・G編成9号車として使用される。 グリーン個室は1人用5室、2人用3室、3人用1室が設置された。 G1 - G3編成には当初0番台が連結されていたが、グリーン個室の配置を見直したことにより100番台に改番された。 100番台 G編成9号車として使用される。 グリーン個室は1人用3室、2人用3室、3人用1室、4人用1室が設置された。 168形 168-9001 168形 T'dd 売店(1階)と食堂(2階)を備える2階建て中間付随車。 0, 9000番台 X編成8号車として使用される。 この形式のみ、9000番台も大窓仕様である。 3000番台 V編成8号車として使用される。 車端部分が両側ともになっている。 178形 T'sd 普通席(1階)、グリーン席(2階)を備える2階建て中間付随車。 V編成10号車として使用される。 博多方に車掌室を備え、用インバータ装置を搭載する。 0番台は存在しない。 179形 Tsd 普通席(1階)、グリーン席(2階)を備える2階建て中間付随車。 0番台は存在しない。 3000番台 V編成7号車として使用される。 業務用室を備える。 3100番台 V編成9号車として使用される。 電話室を備える。 主要諸元 [ ] 形式 車両番号 定員 重量 製造数 総数 備考 116 1 - 56 68名 54. 3t 1両 小窓、個室撤去による定員の増加 121 3001 - 3009 65名 54. 3t 9両 9両 122 3001 - 3009 65名 54. 9t 9両 9両 123 1 - 56 80名 49. 0t 56両 57両 9001 49. 5t 1両 小窓、車内設備は0番台と同様 124 1 - 56 80名 46. 1t 56両 57両 9001 48. 0t 1両 小窓、車内設備は0番台と同様 125 1 - 224 90名 52. 3t 224両 387両 501 - 556 80名 52. 9t 56両 多目的室付き 701 - 756 73名 52. 7t 56両 車椅子対応設備、多目的室、車販準備室付き 3001 - 3027 90名 51. 6t 27両 車内設備は0番台と同様 3701 - 3709 73名 52. 3t 9両 車内設備は700番台と同様 3801 - 3809 80名 52. 0t 9両 多目的室、車販準備室付き 9001 - 9004 90名 53. 0t 4両 小窓、車内設備は0番台と同様 9501 80名 54. 1t 1両 小窓、車内設備は500番台と同様 9701 73名 53. 7t 1両 小窓、車内設備は700番台と同様 126 1 - 280 100名 52. 3t 280両 330両 3001 - 3045 100名 52. 1t 45両 車内設備は0番台と同様 9001 - 9005 100名 54. 6t 5両 小窓、車内設備は0番台と同様 148 1 - 50 85名 57. 0t 50両 50両 149 1 - 9 56名 56. 2t 9両 57両 後に7, 8, 9は101, 102, 103に改番された。 104 - 150 58名 56. 2t 1両 小窓、個室配置を1人用3室と3人用6室から、1人用4室、2人用3室と3人用1室に変更。 168 1 - 6 (44名) 56. 3t 6両 16両 9001 (44名) 56. 1t 9両 178 3001 - 3009 43名 56. 3t 9両 9両 179 3001 - 3009 40名 56. 3t 9両 18両 3101 - 3109 40名 56. 5 t 編成長 402. 1 m(X編成) 302. 41 編成出力 11,040kW• 『高速鉄道物語 -その技術を追う-』日本機械学会、成山堂書店、1999年、P. 1985年から1987年に落成した100系初の編成。 先頭車と2階建車両各2両の計4両が付随車である。 2階建車両は8号車と9号車に組み込まれ、8号車は、9号車は階上がグリーン車・階下がグリーン(1人用5室、2人用3室、3人用1室)である。 試作車である9000番台X0編成(1985年3月27日落成・1986年8月から10月にかけて量産化改造を実施し、X1に改番)は、量産車とは以下にあげる違いが見られた。 前照灯の角度が大きめであり、16号車 124-9001 の窓下の桟がV字型となっている。 食堂車である8号車の168形を除いて小窓である。 9号車の方に出入り口はなく、10号車の方には出入り口があった。 量産化改造を経て、9号車の荷物室の位置に出入り口が新たに設置され、10号車のそれは撤去されて新たに荷物室となった。 9号車1階部分はグリーン個室の仕様が決定していなかったことから何も設置されず 、平屋構造の10号車 116-9001 博多方に個室(1人用2室・2人用1室)が設置されていた。 後に9号車の1階部分にも個室(1人用4室・3人用6室)が設置された。 量産車との設備統一を目的としてに、10号車の個室は撤去され、9号車の個室の配置を量産車にあわせた。 貫通路の高さが0系と同じ1,800mm(量産車は1,900mm)である。 特高圧引き通し準備工事の実施(X2編成以降はコスト削減のために未実施)。 1985年に公式試運転を東京駅 - 間で行った。 その後、直ちに営業運転に使用せず、4月には東京駅 - 博多駅間で営業速度での試験を実施した。 1985年から「ひかり3号」(東京8:00発博多行き)と折り返し「ひかり28号」(博多15:45発東京行き)の1往復(いずれもWひかり。 ただし後者は基本停車駅にを追加)で営業運転を開始した。 食堂車の担当は日本食堂。 当日は、営業運転開始に当たって東京駅で出発式が行われた。 ただし、1編成しか在籍していなかったため、検査日は0系が代走した。 1 - 3次車 [ ] 落成の量産車である1次車(4編成・48両)は2階建車両のない12両編成(暫定 G編成・G1 - G4)として搬入され、6月13日から「こだま」として運用された。 これは、100系が既に登場した当時、「こだま」用車両の置き換えとして0系を製造するのも今更どうかということになったためである。 車椅子対応設備・多目的室は「ひかり」用編成が11号車なのに対して、「こだま」用編成ということで0系12両編成と同じ5号車となった。 暫定G編成(12両) 編成表 食堂車168-9001(一般公開時) 12両G編成は、2次車(中間車のみ・12両)が組込まれて16両編成化され 、編成番号をX2 - X5に変更した。 11月からは「ひかり」として営業運転を開始した。 分割民営化直前の1987年3月に3次車2本 (X6・X7編成)が落成され、X編成の増備は終了した。 分割民営化後は全編成がJR東海に承継された。 運用推移 [ ] 東京駅 - 博多駅間の「ひかり」を中心に運用されており、運用によっては1日の走行距離が2,500km以上にも達し 、7編成しかないことから0系H編成のように走行距離を平滑化するのは難しく 、検査周期も他の編成に比べて極端に短かった。 の「ひかり126号」(新大阪発東京行き:X1編成)を最後にX編成の食堂車営業と「ひかり」運用が終了し、以降は東海道区間の「こだま」のみとなった。 総走行距離が車齢に比して多かったことから、0系Y K編成の撤退半月後であるの「こだま429号」(東京発新大阪行き:X1編成)を最後に定期列車の運用から離脱した。 同年8月から2000年11月にかけて全車が廃車となった。 部内で「100'(ダッシュ)系」と呼称される。 車両番号のハイフン以下の数字はX編成からの通し番号だった。 X編成と同じく先頭車と8号車と9号車に組み込まれる2階建車両各2両が付随車である。 2階建車両のうち9号車はX編成と同じくグリーン車とグリーン個室であるが、「ひかり」の利用客が増加傾向にあったことや東京駅 - 新大阪駅間で重点的に運用することを念頭におき、0系と比べて個室を除いたグリーン車定員が少ない ことから、8号車については食堂車の設定をやめ、階上にグリーン車・階下にを設け、グリーン車の定員を増やした。 16両1編成の製造価格は31億円とされており、後継車両である300系と比べると2 - 3割小さい。 1編成に対して1社が製造を担当したが、技術力の向上とコスト削減を目的として、6両(G30・G37・G50編成の12・13号車)がで製造された。 車両製造のため、浜松工場の従業員22名が豊川製作所で8か月もしくは10か月の間研修を受けている。 なお、該当編成の残り14両は豊川製作所が担当した。 4次車 [ ] G編成としての最初の編成であるが、X編成から連続して扱われたため4次車となっている。 山陽新幹線博多開業用として増備された0系16・17次車置き換え用として 、2月から3月にかけて3編成48両(G1 - G3編成)が落成した。 新製時、8号車が食堂車(168形)からカフェテリア・グリーン合造車(148形)に変更された以外はX編成と同様であった。 1989年1月から2月にかけて、5次車以降と個室配置を統一するための工事(1人用2室を4人用1室に変更)を実施した。 5次車 [ ] 山陽新幹線博多開業用として増備された0系16 - 20次車置き換え用として 、1988年12月から3月にかけて12編成192両(G4 - G15編成)が落成した。 落成時から個室配置が、1人用3室、2人用3室、3人用・4人用各1室となっている。 6・7次車 [ ] 0系16 - 20次車置き換え用として 、6次車として1989年4月から9月にかけて5編成80両(G16 - G20編成)が、7次車として1989年7月から3月にかけて11編成176両(G21 - G31編成)が落成した。 普通車座席に足掛けとバケット形状の座席が採用され 、カフェテリア通路部分のポールの本数が5本から4本に減らされている。 また、東海道区間のへの準備としてパンタカバー設置と特高圧引き通し準備工事が施された。 8次車 [ ] 0系16 - 20次車置き換え用として 、1990年4月から2月にかけて10編成160両(G32 - G41編成)が落成した。 視認性を向上させるため、電光掲示板の文字の拡大と行先表示器への蛍光灯内蔵、2・3人用個室のデザイン変更が行われた。 このため、電光掲示板の時計と距離表示は省略された。 電光掲示板の改良は既存編成には行われていない。 9・10次車 [ ] 「ひかり」運用の増加に対応するため、9次車として1991年1月から3月にかけて4編成64両(G42 - G45編成)が、10次車として1991年5月から2月にかけて5編成80両(G46 - G50編成)が落成した。 1992年2月26日落成のG46編成が100系の最終増備編成である 、 落成時から特高圧引き通しの実施と集電装置の削減(2・6・12号車のみ搭載。 )、集電装置すり板の改良(すり板幅を25mmから40mmに拡大)が行われた。 既存編成には追工事の形で対応がなされた。 運用推移 [ ] 1988年3月13日改正で、東京駅 — 新大阪駅間3往復の「ひかり」で運転を開始。 当初は東京駅 - 新大阪駅間の「ひかり」のみ使われていたが、増備が進むにつれて運転区間が拡大した。 1989年3月11日改正で広島まで 、1993年3月18日改正で博多まで運転区間を拡大した。 それでも、東京駅 - 博多駅間の「ひかり」はX編成やV編成などを使用していたことからG編成が使用されることは少なかったが、X編成が「こだま」へ転用された後は本数が増えた。 一方では300系の増備と0系の廃車が進んだためにごろから「こだま」にも充当されるようになっていた。 9月16日の「ひかり309号」(東京発新大阪行き:G49編成)を最後に東海道新幹線での運用から離脱、2004年のG50編成の廃車を最後にJR東海所属のG編成は消滅した。 山陽新幹線においては、2003年の「ひかり556号」(博多発新大阪行き:G2編成)を最後に16両編成の営業運転を終了する予定であったが、2004年1月22日に代替編成として使用され、「こだま651号」(岡山発博多行き:G7編成)が最後の営業列車であった。 2004年にG7編成が廃車となったことでG編成は消滅した。 これによって16両編成の100系も消滅した。 JR西日本に譲渡されたG1編成 にG1 - G3・G6の4本、にG4・G5・G7の3本、7編成の計112両がJR西日本へ譲渡された。 JR西日本はJR東海に比べ新幹線の輸送量が少ないことや、財政状況が良くないことから短期間で新車を大量投入することは難しく、JR西日本受け持ちの東京直通「ひかり」にも0系を充てる状況であった。 しかし、それでは0系のを基準にしたを組まなくてはならないため、それを嫌ったJR東海がJR西日本に譲渡したものである。 また、JR西日本もで山陽区間に閉じ込めとなったG編成の検査経験があることから譲渡が実現した。 JR西日本に譲渡されたG1 - G7編成は、0系のN H編成の運用をそのまま置き換えたため、運輸上の区別では「N編成」と称されていた。 譲渡後は東海道直通だけでなく、車両の東海道新幹線内への送り込みと博多総合車両所への返しを兼ねて山陽区間のみの「ひかり」にも使用された。 100系消滅後の300系・700系でも、JR西日本所有車で同様の運用が組まれている。 そのG編成のうち、1999年11月9日付けでG6編成の9両 、2000年2月7日付けでG2編成の3両 、同年3月27日付けでG6編成の1両 が廃車となり、残った車両で新G2編成を組成した。 なお、このとき組成から外れたG6編成の3両 は保留車となり、K・P編成組成時に使用された。 回送された車両のうち、両先頭車(123形・124形)と車椅子スペース設置車(125形700番台)がJR西日本に譲渡され 、譲渡されなかった車両は博多総合車両所で廃車・解体された。 3 - 1. 4 - 2. 8 t 編成長 402. 17 編成出力 11,040 kW 「」も参照 JR西日本がから1991年にかけて製造した編成で、部内で「100N系」と呼ばれ、「グランドひかり」の愛称を持つ。 山陽新幹線のシェア拡大を図るために到達時分短縮とアコモデーションの改善を中心に設計・投入されており、X・G編成とは異なる点が多い。 具体的には、• 高速化に伴う車体負荷増加を考慮し、構体の耐圧性能を向上。 主電動機がの温度上昇防止対策(電機子コイル端部に通風孔を設ける。 )を施した WMT202 に変更。 主制御器、主整流器と断流器は弱め界磁制御を新たに行うことから、それぞれCS60、WSR203、WLB29に変更。 主抵抗器は、発電ブレーキ用と力行界磁分路抵抗を一体化した、強制風冷式の WMR205 を新設計。 歯車比の高速化(2. 17)を実施。 放熱性に優れたベンチレーテッドをにも採用(WECB2)。 将来さらなる新型車が登場した際に短編成化して運用することを見据え、先頭車を制御電動車とした。 それに伴い付随車は2階建車両4両(7 - 10号車)に充てた。 7・9・10号車の3両のうち、階上はX・G編成と共通のグリーン席とした。 一般客の通り抜けをなくして静かな環境を提供し 、座席ごとにが設置され、山陽区間ではの視聴ができた。 階下はその後の「」()につながる、普通車でありながら、横4列配置のゆったりとしたサイズの座席(WRK206形)が配置されていた。 7号車にはビデオスクリーンが、9, 10号車には28インチのモニタディスプレイが設置され、ビデオの視聴が出来た。 その上、利用客の嗜好に配慮した、適度なと、落ち着いた色調のインテリア、付随車ならではの静粛性などから、この指定席を指名買いする常連客も存在した。 東京駅 - 博多駅間の長距離を運転することが基本であったため、8号車は食堂車とされたが、内装は大きく変更され、階下の売店は面積が2倍に拡大された。 非常連結器の下に、空気取り入れ口が設けられた。 これは、先頭車が電動車となったため、主電動機を冷却するものである。 中間電動車は床下から冷却風を取り入れていたが、制御車では(スカート)があり、走行風を取り込みにくいため、この部分から取り入れることになった。 出入口付近に設置してあるを字幕式から3色LED式に変更し、上部に列車名と行先を表示しながら下部での停車駅のスクロール表示などを可能にした。 これは、JR西日本で新製投入された300系以外の全新幹線車両 に採用されている。 1次車 [ ] 1989年2月から3月にかけて2編成32両(V1・V2編成)が落成した。 2・3次車 [ ] 2次車として1989年6月に1編成16両(V3編成)が、3次車として1989年12月に1編成16両(V4編成)が落成した。 4・5次車 [ ] 1990年7月から12月にかけて2編成32両(V5・V6編成)が、5次車として1991年2月に1編成16両(V7編成)が落成した。 グリーン席に新たに5インチの液晶テレビが搭載される。 既存編成にも追工事の形で行われている。 6次車 [ ] 6次車として1991年7月から12月にかけて2編成32両(V8・V9編成)が落成した。 東海道新幹線のAT饋電化完了後に落成したため、落成時から集電装置の削減(4・6・12・14号車のみ搭載で、6号車のものは予備扱い。 )が行われている。 運用の推移 [ ] 「グランドひかり」食堂車全景(1999年撮影) 1989年3月11日改正から「ひかり」で運用を開始した。 1990年から高速試験が実施される。 「We try 275」とマーキングされ、騒音源となるパンタグラフを6個から3個に減らしたV編成は 、同年2月10日に277. このV編成も高速化の影響を受けた。 需要の急減に伴い、2000年3月10日をもって食堂車の営業は休止され、山陽新幹線博多開業前年のから始まった新幹線食堂車の歴史は終了した。 その後、5月18日で定期列車の運用を終了し、同年11月23日の「ひかり563号」(新大阪発博多行き:V2編成 )の運転をもって営業運転から離脱した。 そして同月25日にV2編成が編成名削除となり、V編成が消滅した。 6 t(P編成) 編成長 152. 1 m(K編成) 102. 17 編成出力 5,520 kW(K編成) 3,680 kW(P編成)• 経年が20年 と、老朽化が進行していた「こだま」用0系R編成の大半とQ編成の置き換え目的で、長距離運用から離脱したV編成に短編成化・車両延命工事を実施したものである。 全車がJR西日本に所属し、6両編成はK編成、4両編成はP編成と呼称される。 P編成は2000年から2001年と2003年から2005年に、K編成は2002年から2003年に組成されている。 P編成は2000年10月4日(P1編成)から 、K編成は2002年2月12日(K51編成)から 営業運転に充当されている。 全車普通車で構成されている。 前述のとおり、P編成は2011年3月12日のダイヤ改正で運用離脱した。 同年6月8日付のP7編成の廃車をもって、P編成は消滅した。 短編成化改造 [ ] 編成が短くなり、2階建車両を外したことから全車電動車となった。 16両編成では10号車(116形もしくは178形)に車掌室が設置されていたが、短編成化によってグリーン車と2階建て車両が編成から排除された結果、新たに車掌室を設置する必要が生じた。 そのため、P編成は両先頭車乗務員室出入り台に案内用設備を取り付け 、K編成は4号車に車掌室を設置した。 この改造車両は車両番号の下2桁が50番台で区別されている。 V編成では東京方先頭車(16号車・122形)のパンタグラフは撤去されていたが、K・P編成組成時に再設置され、2・6号車(K編成)2・4号車(P編成)に搭載し、高圧引き通し線も設置されている。 また、V編成に引き続いて先頭車が電動車であることから、非常連結器の下に、空気取り入れ口が設けられている。 短編成化改造において新たに発生した番台区分は以下に記す。 形式詳細 [ ] 121形 Mc 121形5050番台 121-5055 K・P編成1号車として126形とペアを組んで使用される。 V編成の中間車である125形3000番台にG編成123形0番台廃車体の先頭部を切り継いで先頭車化を行なったもの。 G編成のATC装置や列車無線など、ほとんどの機器をそのまま流用している。 G編成で使用していたATC装置はV編成のものと歯車比が違うため、速度入力信号の変更を行った。 P編成に組み込まれた5051 - 5053, 5058 - 5063には乗務員室出入り台に、業務用電話、旅客指令操作盤などが取り付けられている。 車両概観は121形5000番台車両とほぼ同様であるが、運転台側にあるジャッキアップポイント付近の形状や床下機器ふさぎ板の形状が若干違う。 125形 3016 3003 3018 3024 3021 3015 3027 3002 3009 3012 3006 3023 3007 121形 5051 5052 5053 5054 5055 5056 5057 5058 5059 5060 5061 5062 5063 122形 M'c 122形5050番台 122-5055 K編成6号車、P編成4号車として125形とペアを組んで使用される。 V編成の中間車である126形3000番台にG編成124形0番台廃車体の先頭部を切り継いで先頭車化を行なったもの。 G編成のATC装置や列車無線など、ほとんどの機器をそのまま流用している。 G編成で使用していたATC装置はV編成のものと歯車比が違うため、速度入力信号の変更を行った。 P編成に組み込まれた5051 - 5053, 5058 - 5063には乗務員室出入り台に、自動放送装置、列車案内中央装置、業務用電話、旅客指令操作盤などが取り付けられ、車掌室としている ほか、博多方デッキに公衆電話が設置されている。 車両概観は122形5000番台車両とほぼ同様であるが、運転台側の床下機器ふさぎ板の形状が若干違う。 126形 3028 3003 3027 3038 3033 3023 3043 3002 3013 3018 3008 3036 3011 122形 5051 5052 5053 5054 5055 5056 5057 5058 5059 5060 5061 5062 5063 125形 M 3750番台 K・P編成3号車として126形もしくは122形とペアを組んで使用される。 G編成11号車に連結されていた125形700番台の車体とV編成の電装品を組み合わせたもの。 125形3700番台にあわせて客室ドアを空気式から電気式に、方向幕を3色LED式に変更している。 3751・3758 - 3763がJR西日本所属の、3752 - 3757がJR東海所属のG編成125形700番台の車体を使用しているが、名義上は3751・3758 - 3763は車体を提供したG編成を種車とし、3752 - 3757は電装品を提供したV編成を種車として処理されている。 車両概観は125形3700番台と同様。 125形(種車) 車体 712 715・716・721・725・736・749 709 711 707 708 713 710 電装品 3806 3801 3017 3808 3807 3805 3809 3001・3004・3010・3802 - 3804 125形 3751 3752 3753 3754 3755 3756 3757 3758 3759 3760 3761 3762 3763• 太字は名義上の種車 126形3200番台 126-3206 126形 M' 3200番台 K編成4号車として125形とペアを組んで使用される。 種車は126形3000番台で、博多方2列の座席を撤去して車掌室を組み込んだ。 集電装置は撤去されている。 博多方デッキに公衆電話が設置されている。 126形 3032 3037 3022 3012 3031 3017 3021 3042 3007 3041 126形 3201 3202 3203 3204 3205 3206 3207 3208 3209 3210 形式 車両番号 定員 重量 改造数 総数 備考 121 5001 - 5009 52名 55. 7t 9両 22両 3000番台からの改造 5051 - 5063 13両 中間車を先頭車化したもの 車内設備は5000番台と同様 122 5001 - 5009 60名 56. 0t 9両 22両 3000番台からの改造 5051 - 5063 13両 中間車を先頭車化したもの 車内設備は5000番台と同様 125 3751 - 3763 58名 52. 3t 13両 13両 700番台車両の車体と3000, 3800番台の電装品を利用 車内設備は700, 3700番台と同様 126 3201 - 3210 72名 52. 1t 10両 10両 車掌室付き 最終的にV編成の電動車108両のうち、102両がK・P編成に改造された。 残りの6両はG編成 西日本車 から改造したため、改造から漏れた以下の6両は2004年度末までに廃車・解体された。 これには、0系「」普通席仕様の座席、100系G・V編成のグリーン席、100系V編成2階建て車両1階席の4種類がある。 元グリーン席についてはフットレストなどの付帯設備を取り外して普通席と同じシートピッチにする方法で、「」の指定席並みの座席にグレードアップした普通車として改造された。 ウエストひかりからの流用車の一部(肘掛けのやや大きいもの)は肘掛内蔵テーブルが存置されている。 一方、グリーン車から流用した座席では、背面テーブルのある座席は肘掛内蔵テーブルが撤去されているが、背面テーブルのない座席では肘掛内蔵テーブルが存置されている。 なお、座席の変更に伴う車両番号の改番はされていない。 元ウエストひかり普通車と 元V編成DD1階席はシート自体の形が酷似しているが、シートの足の部分(箱型のものが元V編成1階席のもの、そうでないものが元ウエストひかり普通車)で区別ができる。 ただし、3号車の車椅子対応の1人掛け座席は、K編成とP7 - P12編成には元V編成、それ以外の編成は元ウエストひかり用のものに車椅子固定用金具が装着された物が設置されている。 モケットの色は奇数車両が赤系、偶数車両が青系に統一されている。 奇数号車• K53編成旧塗色(東広島駅) 登場当初のK51 - K53・P1 - P6編成は従来の白地に青帯を配したものであった。 「新緑や若草など新たな誕生の息吹」をイメージして、ライトグレーを基調に、窓部分にフレッシュグリーンとダークグレーの帯を配した。 スカートも濃いグレーに、車内のカラースキームもシルバー系に変更した。 この塗装変更に伴い、車両側面に配されていた大型のJRマークが撤去され、車両番号横の小さいJRマークに変更された。 従来塗装車も全検時に塗り替えられた。 0系が2008年12月に引退したが、100系は2009年4月以降、デッキにある車両案内板が新型に交換されている。 従来のものは0系R・WR編成と共通であったが、案内板上部に「100系6両編成」もしくは「100系4両編成」と書かれた、500系V編成と同等のものに変更された。 2010年7月2日に、K編成のうち3編成を旧塗色(白地に青帯)に戻すことを発表した。 6月から塗り替え作業が行われ、7月15日にK53編成が 、8月にはK54編成が 、9月にはK55編成が旧塗色に変更され、営業運転についている。 なお、塗色変更1本目であるK53編成は、新塗色であったK54編成と並べられて、7月12日に博多総合車両所で公開された。 100系に特別な装飾がされないのは、運行責任者である国鉄やJRおよび警備側が無線連絡をとることで通常の列車とお召し列車の区別がつくようになったためである。 新型車両として300系や、が主流となってもしばらくの間は100系が使われていた。 これは、100系にある個室や2階建てグリーン車の方が警備上都合が良い(1階に警備員を配置できるので同じ車両で警備することができる)ためである。 100系のグリーン車が全て消滅し、一時期は700系グリーン車が一般編成に混ざって使用されていた。 (平成22年)からは、のグリーン車が使用され始めた。 1986 1 1987 7 国鉄分割民営化。 X2-X7を新製。 X編成は全車JR東海へ承継。 1988 7 3 G1-G3を新製。 1989 7 15 2 G4-G15・V1・V2を新製 グランドひかり運行開始 1990 7 31 4 G16-G31・V3・V4を新製。 1991 7 45 7 G32-G45・V5-V7を新製。 1992 7 50 9 G46-G50・V8・V9を新製。 増備終了。 1993 7 50 9 1994 7 50 9 1995 7 50 9 1996 7 50 9 1997 7 45 5 9 G1-G4・G6がJR西日本へ移籍。 1998 7 43 7 9 G5・G7がJR西日本へ移籍。 1999 7 43 7 9 2000 4 43 6 9 700系登場に伴い、廃車開始。 X編成の運用終了。 X3・X5・X7・G6が廃車。 2001 0 38 6 7 3 X1・X2・X4・X6・G9・G12-G14・G16・V1・V6が廃車。 X編成 消滅。 山陽こだま向け短編成化改造が開始され、第1陣としてP1-P3編成が落成。 2002 25 6 4 6 2 G10・G15・G17-G19・G21・G22・G25・G26・G28・G29・G31・V5・V7・V8が廃車。 P4-P6・K51・K52編成が改造落成。 2003 12 5 0 6 8 G3・G8・G11・G20・G23・G27・G30・G35・G37-G39・G41・G45・V2-V4・V9が廃車。 グランドひかり廃止。 V編成消滅。 K53-K58編成が改造落成。 ひかりレールスターをベースとした新塗装編成が登場。 2004 0 0 8 10 東海道新幹線での運用を終了。 G1・G2・G4・G5・G7・G24・G32・G33・G36・G40・G42・G44・G46-G50が廃車 JR東海から100系全廃。 同時にG編成も消滅。 K59・K60・P7・P8が改造落成。 2005 12 10 P9-P12が改造落成。 これをもって100系の短編成化改造が終了。 2006 12 10 2007 12 10 2008 12 10 2009 11 9 P2・K51が廃車。 2010 11 9 2011 4 9 P1・P5・P6・P8・P10-P12が廃車。 K53-K55がオリジナルカラーに復刻。 2012 0 2 100系営業運転終了。 P3・P4・P7・P9・K52・K55-K60が廃車。 2013 0 K53・K54が廃車。 100系全廃。 ボルスタレス台車試験走行 [ ] 100系は、300系から採用されているの試験車としても活躍した。 試作台車として製作されたDT9023A, B, C, D, E, Fの6種類が試験で使用された。 A, Bは0系用ボルスタレス試作台車のDT9022の改良版で1985年に製作された。 C, Dが乗り心地の改良版で輪軸、駆動装置、軸箱支持装置をA, Bから流用している。 1987年に製作され、翌1988年から100系に搭載されて営業運転で使用、30万kmの走行を行った。 E, Fは1989年に製作された300系仕様のプロトタイプであった。 軸箱支持方式は、主にJR東海が「円錐積層ゴム式」と「円筒積層ゴムコイルばね併用式」を 、JR西日本がV編成を使用して「軸はり式」を試験走行を実施した。 「円錐積層ゴムコイルばね併用式」が300系、700系(JR東海所有分)、N700系(16両編成)に、「軸はり式」が500系、700系(JR西日本所有分)、N700系(8両編成)に採用された。 車両不具合 [ ] 車輪固着・潤滑油漏れ [ ] 、新大阪行き最終列車となる「ひかり291号」に発生した。 この節はに基づく疑問が提出されているか、議論中です。 そのため、中立的でない偏った観点から記事が構成されているおそれがあり、場合によっては記事の修正が必要です。 議論はを参照してください。 ( 2019年2月) 東京駅を発車して300m地点で、運転台に車輪固着を知らせる警報が作動。 15号車新大阪方の台車のうち、東京方の車軸が固着していた。 21時00分に東京を発車して、21時25分にを通過するまでに計8回もの警報が鳴ったにもかかわらず警報のリセットを繰り返し、車輪が固着したまま(東京から約100km)まで走行した。 浜松町駅で8回目の警報が作動した後、運転士はCTCセンターの指令員に停止する旨を伝えると、指令員は運転継続を指示した。 運転士は、に駅員と、近くの上り新幹線の運転士に床下から火花が出ているかどうか確かめてほしいと連絡を入れた。 そして、固着が起きている15号車の床下から火花が出ていることが確認された。 それを受けて、運転士は指令員に列車の停止を伝えると、指令員からは運転継続が指示された。 「ひかり291号」が新大阪行きの最終列車であったことや、なら、隣接するから予備の編成を用意し、故障した編成を引き込んで点検も出来るためである。 そのため、東京駅基準で41km地点と78km地点(いずれも~間)の計2度、ATCブレーキがかかっている。 その時も、指令員は運転継続の連絡を入れていた。 三島駅に到着後、車両を交換して全体を検査したところ、前述の15号車の新大阪方から2番目の車輪が長さ30cm、深さ3cmにわたって削られ 、2つの車輪をあわせて約6kgもの金属が消滅していた。 また、車輪が削られたことでフランジ部分が下がり、ATC信号を流すレールボンドが損傷した。 その後の調査で、このトラブルの原因は車軸の駆動用モータ脇に設置されている駆動装置が、油が漏れたことによって破損したために車輪が固着したものであることがわかった。 該当列車に充当された編成は、1991年7月2日実施の台車検査時に油を交換したが2日後には油が完全に抜けてしまっていた。 故障前日の仕業検査時にも3Lの油漏れが見つかったため 、不足分を補給するために給油栓を開けると油が霧状になって噴出した。 歯車箱内が異常な高温状態になっていたためと考えられる。 通常の補給量は0. 5L程度である。 従来の点検マニュアルでは、車輪固着の警報が作動したときには、ブレーキの固着と車軸の過熱による「軸焼け」の点検が定められているが、車軸の固着の点検については記載がなかった。 この事故後、JR東海は点検マニュアルに「列車を車転2回転分だけゆっくりと動かして、車輪の回転状態を確認する」という項目を追加した。 なお、1992年6月15日に100系V3編成11号車 の博多方の車軸付近から大量の油漏れが発見された。 軸受に使用していたベアリングが異常磨耗を起こして脱落していたことが原因であったが 、前述の1991年9月30日に車輪固着を起こした車両のベアリングと同種類のものを使用していたため 、その事故原因もベアリング破損による油漏れである。 車体骨組みのヒビ [ ] 2007年9月にK54編成 の鉄製骨組みやステンレス製屋根から 、2009年6月にもK53編成2号車の鉄製骨組みからひびが発見されるなど、老朽化が進んでいるとみられるトラブルが発生した。 運用 [ ] 2011年12月1日-運用終了まで [ ] 山陽新幹線で運転される「こだま」と「特急」に充当されていた。 具体的には、JTBパブリッシング発行の時刻表では「100系」、交通新聞社発行の場合は「6両編成グリーン車なし」、JR発行の無料時刻表の場合は、6両編成の列車のうち、全席禁煙でない列車に充当されていた。 推移 [ ] 1985年10月1日から、 - 間の「ひかり」1往復(X0編成)で営業運転を開始した。 食堂車を組み込んだX編成が1987年まで増備され、順次運用列車が増やされた。 国鉄分割民営化後の1988年3月13日からは、食堂車に代わってカフェテリアを組み込んだG編成が、東京 - 間の「ひかり」3往復で運用を開始した。 1989年3月11日からは、食堂車を含む2階建て車両を4両組み込んだV編成が、東京 - 博多間の「ひかり」4往復で運用を開始した。 また、G編成が新大阪以西でも運用されるようになった。 100系を「ひかり」運用に投入したことで、0系H・N H・N編成を淘汰した。 1992年3月14日改正までに16両編成66本が揃った。 同改正において、が登場し、「ひかり」運用でも徐々に使用されるようになると、「こだま」運用にシフトされ、東海道区間に残る0系を淘汰した。 2000年10月1日改正では、JR東海所有のG編成が定期「ひかり」から撤退し、臨時「ひかり」と「こだま」で運用されるようになる。 また、山陽区間で「こだま」として運転されるP編成(4両編成)が登場した。 P編成の当初の運用区間は - 博多間であった。 2003年の「ひかり179号」で定期「ひかり」運用から撤退した。 同年の「ひかり309号」(G47編成)をもって100系は東海道新幹線から完全に撤退した。 ただし、新大阪駅 - 間の列車は2010年3月12日まで走行していた。 また、2003年度中に、JR東海所有分の100系はすべて廃車になった。 詳細は「」を参照 2003年10月1日改正以降、100系の定期運用は山陽区間における「こだま」のみとなった。 K編成は新大阪 - 博多間で運用されるが、P編成の運用区間が - 博多間に縮小された。 0系引退に伴う2008年12月1日のダイヤ修正以後、500系V編成の投入や「こだま」自体の減少によって一部編成に廃車が出ていたが、2011年3月12日改正で運用区間を岡山 - 博多間に縮小し、P編成は運用を離脱した。 なお、鳥飼基地での夜間滞泊運用は2010年3月13日改正で消滅している。 2011年12月1日にはさらに運用が縮小され、朝晩を中心に5本のみで運用された。 2012年3月14日をもって定期運用から離脱し、同月16日のさよなら運転「ひかり445号」(K55編成)をもって営業運転から撤退した。 詳細は「」を参照 東海道新幹線からの撤退と16両編成運用の終了 [ ] 型車両と呼ばれる、300系、500系、700系が登場したには新幹線の高速化が進み、走行性能的に0系と大差ないレベルの100系は高速ダイヤに対応することができなくなった。 また、山陽新幹線区間単独での運用の場合、16両編成では1編成当たりの輸送量が過剰なため、V編成を中心に短編成化が進められた。 そのため、車両自体の寿命を迎える前に大量淘汰を受けることとなった。 2002年11月23日、V編成の運用が終了し「こだま」用のK・P編成に組み替えられた。 V編成の運用の変遷は「」の項を、さよなら運転は「」の項を各々参照。 以下、2003年5月以降のG編成は運用離脱状況を記す。 5月1日時点で15本(G1 - G5, G7, G24, G32, G36, G40, G42, G44, G46 - G50編成)が在籍しており、ひかり1往復(名古屋駅 - 博多駅間)、こだま11往復(東京駅 - 新大阪駅間4往復、東京駅 - 名古屋駅間6往復、名古屋駅 - 新大阪駅間1往復)に充当されていたが、300系に置き換わる形で徐々に運用が減少していった。 :こだま5往復10本での運用終了(うち5本は前日までで終了)。 こだまは6往復(東京駅 - 新大阪駅間3往復、東京駅 - 名古屋駅間3往復)の運用に。 :こだま4往復8本での運用終了(うち4本は前日までで終了)。 こだまは2往復(東京駅 - 新大阪駅間1往復、東京駅 - 名古屋駅間1往復)の運用に。 :ひかり179号(名古屋発博多行き)をもって定期列車における「ひかり」での運用終了。 当日はG4編成が充当された。 :こだま402号(新大阪発東京行き)・こだま461号(東京発名古屋行き)での運用終了。 :こだま464号(名古屋発東京行き)・こだま425号(東京発新大阪行き)をもって東海道区間での定期運用終了。 当日はG50編成が充当された。 :臨時のひかり309号(東京発新大阪行き)をもって東海道新幹線区間での営業運転終了(詳細後述)。 :こだま651号(岡山発博多行き)をもって16両編成による営業運転終了。 さよなら東海道新幹線100系 [ ] 車体側面(左)および前頭部(右)に施された特別装飾(G49編成) 2003年8月31日に東海道新幹線での定期運用を終了した100系が、同年9月13日・15日・16日の3日間、以下の臨時「ひかり」として東海道新幹線区間で運転された(始発駅出発時刻順)。 当該列車には、さよなら運転初日の2003年9月13日時点で在籍していたG42, G44, G46, G47, G49, G50編成の中からG46, G47, G49, G50編成が準備され(各編成の車番についてはを参照。 )、G47編成以外の4本が使用された。 このうち16日の最終列車に使用されたG49編成は、先頭車と中間車の一部にさよなら100系の特別装飾が施された。 また、G47編成は、G49編成の予備として先頭車のみに特別装飾が施され、にて待機していた。 しかし、前述の走行性能差の問題があることや、経年劣化が進行していることに加え、「」の化に伴う500系の8両化改造・「こだま」転用が2008年12月から行われ、さらに2011年3月12日の山陽・直通列車「」「」 への専用車両となるN700系7000番台・8000番台投入に伴う700系7000番台による「こだま」運用への充当に伴い、運用は縮小した。 P編成については2011年3月12日改正で運用離脱(上述)したが、残る100系K編成も2010年12月17日のプレスリリース で2011年度中に全廃する予定であることが発表された。 2010年7月2日に、6両編成(K編成)3本を落成当時の白3号と青20号の車体塗装に復元することがJR西日本から発表された。 、この発表日の次のダイヤ改正日であるにおいて、とともに運用終了となることが発表された。 100系さよなら運転 [ ] 定期運転終了後の2012年3月16日にさよなら運転 が実施された。 車内放送用メロディーが2003年9月まで使用されていたものに戻され、岡山 - 広島間で記念乗車券の配布が行われた。 また、岡山では同日に行われた300系さよなら運転「のぞみ609号」と並ぶ演出がなされた。 全車普通車指定席、1・6号車は喫煙車両で運行。 編成定員394名 このさよなら運転では万が一運行不能になった際に備え、K54編成がに待機していた。 2013年4月1日時点では、元K54編成6号車の122-5003のみが車籍を有していたが、に展示のため、2015年に車籍が抹消され、廃系列となった。 保存車両 [ ] 京都鉄道博物館に保存された122-5003号車• 168-3009・179-3009(V9編成) JR西日本博多総合車両所内で保管されている。 時折イベントなどで公開されている。 車籍は2010年7月30日付で抹消された。 122-5003(K54編成) 博多総合車両所で保管されていたが、2016年に開業した「」(観喜寺町)に保存展示されることとなり、2014年12月11日に500系521-1とともに博多総合車両所から搬出された。 その他 [ ] 最終的に本系列として実現する0系後継車の構想はごろには既に存在し、今後の国鉄車両の方向性を示すものの一つとして各種や『』などの鉄道雑誌に取り上げられた。 当時公表された構想図のうち、先頭部形状や塗色については大まかな概念図が主であったが、アコモデーションのそれは2階建食堂車のレイアウトやグリーン個室など、この時点で後年の実車にかなり近いものであった。 また、実現しなかったものでは2階部分をフリースペースのラウンジとした案もあった。 これらの案に基づいて、浜松工場では2階建て車両のが制作された。 また、V編成「グランドひかり」以外の編成による「ひかり」の通称として「スーパーひかり」が使われることがあった。 この呼称は、前述の構想とは別の、300系列車およびにおける仮称が転用されたものである。 本形式は、が新幹線に興味をむけるきっかけになったという意見もある。 それまで新幹線車両は0系が20年以上継続生産されており、基本的な形態の変化がなかったこと、200系もメカニズムは新規ながら外見はほぼ0系と同じであったため、新幹線電車は鉄道趣味の対象にならないという認識であったが、本形式の接客設備やスタイルが一般に注目されるものであったことから、徐々にカメラを向けるファンが増えたという。 新幹線100系電車に関連する作品 [ ] 漫画 [ ]• 66巻、追跡200キロ!の巻で登場。 アニメ版も1997年に「㊙写真をとり返せ!」という題名で放映された。 アニメ版も1996年に「新幹線大爆破事件」という題名で放映。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 38次車が0系の最終増備車両である。 J2編成の各車両は1992年2月5日、100系G46編成の各車両は同月28日落成。 民営化後も、JR東海の広告では「ニュー新幹線」という愛称が長らく使用されていた。 その後、東海道・山陽新幹線では500系を皮切りに、過去の車両も含めて形式名を広告宣伝で使うようになり、700系登場時のJR東海のテレビCMで東海道・山陽新幹線の歴代車両が順に映されるシーンで本形式が映された際、「ニュー新幹線」ではなく「100系」と記されている。 また、鉄道玩具のが本形式を製品化した際は当初「ニュー新幹線」という商品名だったが、90年代中盤以降は「新幹線」となり、2002年のリニューアルに際して商品名は「100系新幹線」に改められている。 このNSマークは冊子型鉄道で「2階建て車両連結」を意味することとなり(分割民営化後も使用)、新幹線車内のにも標記された。 電動空気圧縮機に関しては、16両編成で4基搭載とした関係上、122形および126形の一部(16両編成での4号車)には搭載されていない。 二次巻線の容量は2,510kVA、三次巻線の容量は510kVAである。 残り距離表示は当初は15km手前からだったが、電光ニュースが表示されるようになってからは停車駅到着予告のアナウンス後・5km手前からとされた。 東海道新幹線内は3月から、V編成・山陽新幹線内では2000年3月から実施。 1976年秋に国鉄は運賃・料金の大幅な値上げを実施し、以後も短期間での運賃・料金改定を繰り返した。 航空機との運賃・料金格差が縮み、東京・福岡間を中心に輸送シェアを奪われていた(参考・『運輸白書』昭和55年版「」)。 G編成5号車と9号車を交換し7・8号車間に新8・9号車となる2階建て車両〈168形・149形〉と9・10号車間に新12・13号車となる平屋車両〈126形・125形〉を挿入。 閑散期はJR西日本の0系H編成で代走する時もあった。 100系X編成で110名なのに対し、0系「ひかり」編成は132名であった。 「こだま」への充当が本格化される以前には、名古屋駅 - 広島駅間と静岡駅 - 岡山駅間にそれぞれ1往復ずつあった「こだま」に充当されていた。 G2編成の5, 10, 14号車の位置にG6編成の3, 10, 14号車を連結した。 回送・譲渡日時は、G9:2001年3月14日、G10:2002年2月4日、G15:2001年12月5日、G19:2001年7月5日、G30:2002年7月4日、G43:2002年11月5日。 N700系ではこれを発展させたフルカラーLED方式がJR西日本車とJR東海車に共通で採用されている。 300系は短期間で所要編成数を揃える必要があったので、先に登場していた東海車からの大幅な設計変更は避けたために東海車と同一の字幕式が採用された。 第2種住宅地区で25m離れた地点で75、あるいはそれ以下に騒音レベルを下げる。 ただし、2階建て車両は状態の良かったV9編成のものと差し替えられた。 山陽新幹線では「グランドひかり」運転開始直前の足慣らしと運用変更時に「こだま」で使用されたことがある。 1989年6月に製造されたのはV3編成。 そのV3編成が種車となっているのはK54, P8, P12編成。 そのうち6両編成はK54編成のみ。 とくに東海道区間においては、線路容量ぎりぎりのダイヤのため、低速車両の混在はいわゆるを組むことに繋がり、全体の速度を下げる結果になっていた。 運用変更による代走。 実質的には、一部「」からの置き換え。 臨時・全席指定だが、指定席券は発売開始からわずか50秒で完売した。 出典 [ ]• 30 - 36• 交友社『』1992年8月号 No. 376 P. 『』第21巻第8号、鉄道ジャーナル社、1987年7月、 119頁。 『山陽新幹線 関西・中国・北九州を結ぶ大動脈』南谷 昌二郎、JTBパブリッシング、2005年、P. 『新幹線のぞみ白書』大朏博善、新潮社、1994年、P. 雑誌『鉄道ファン』2004年10月号 No. 522 P73• 『鉄道ファン』2003年6月号、交友社、2003年、p. 『鉄道ファン』2003年11月号、交友社、2003年、pp. 52, 58• 94-95。。 『幻の国鉄車両 夢の広軌化計画と、未成の機関車・客車・気動車・電車』石川幸孝ほか9名、JTBパブリッシング、2007年、P. 102。。 『東海道新幹線 写真・時刻表で見る新幹線の昨日・今日・明日』須田寛、JTBパブリッシング、2000年、P. 『東海道新幹線 写真・時刻表で見る新幹線の昨日・今日・明日』須田寛、JTBパブリッシング、2000年、p. 170。。 鉄道ファン 1986年9月号 新車ガイド1、鉄道ジャーナル 1986年9月号 100系電車量産車• 『新幹線電車データブック2011』ジェー・アール・アール、交通新聞社、2011年、pp. 109 - 112。。 『鉄道ジャーナル』2012年7月号、鉄道ジャーナル社、2012年、p. 「国鉄改革の真実」 2007 p. 327• 『新幹線、国道1号を走る』梅原淳・東良美季、交通新聞社、2009年、pp. 190 - 191。。 『新幹線、国道1号を走る』梅原淳・東良美季、交通新聞社、2009年、p. 174。。 『新幹線、国道1号を走る』梅原淳・東良美季、交通新聞社、2009年、p. 192。。 113。。 192 - 193。。 『鉄道ファン』2003年7月号、交友社、2003年、p. 『鉄道ジャーナル』2010年2月号、鉄道ジャーナル社、2010年、p. 128• 129• 『山陽新幹線 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東海道新幹線 フルモデルチェンジ「N700S」デビュー

東海道新幹線運用

東海道・山陽新幹線の新型車両としてJR東海が投入し、7月1日から営業運転を開始したN700S。 これまで「のぞみ」で運用されてきたが、7月11日に「ひかり」「こだま」でも運用される予定となった。 新型車両N700Sが東海道新幹線「ひかり」「こだま」でも運用される 7月1日の出発式にて撮影 N700Sの運行情報はJR東海公式Twitterにて公開されており、営業運転を開始した7月1日以降、7月10日まで「のぞみ」のみの運用だった。 7月11日は東京駅9時57分発「こだま715号」、東京駅10時42分発「のぞみ223号」、東京駅11時12分発「のぞみ329号」、東京駅19時3分発「ひかり659号」の下り4本 すべて東京発新大阪行 と、新大阪駅6時36分発「ひかり636号」、新大阪駅8時0分発「のぞみ290号」、新大阪駅14時54分発「こだま736号」、新大阪駅19時21分発「のぞみ250号」の上り4本 すべて新大阪発東京行 でN700Sを使用する予定。 なお、運行スケジュールは急遽変更する場合がある。 下り「こだま715号」、上り「こだま736号」がN700Sで運行されることにより、東海道新幹線の「のぞみ」が停車しない駅にもN700Sが停車することになる。 上り「ひかり636号」は新大阪~名古屋間の各駅と浜松駅、静岡駅、新横浜駅、品川駅、東京駅に停車。 下り「ひかり659号」は東京駅、品川駅、新横浜駅、三島駅、静岡駅、浜松駅と名古屋~新大阪間の各駅に停車する。 予めご了承ください。 関連記事•

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