和歌山 ヒ素 カレー。 毒物は本当に「ヒ素」だったのか? 検証「和歌山カレー事件」(2)

和歌山毒物カレー事件から18年林眞須死刑囚は冤罪か? 「ヒ素」の鑑定ミスが起きた理由は?|健康・医療情報でQOLを高める~ヘルスプレス/HEALTH PRESS

和歌山 ヒ素 カレー

1998年7月、和歌山市の新興住宅地の自治会が主催した夏祭りで、住民が作ったカレーライスに猛毒のヒ素が混入され、これを食べた4人が死亡、63人が急性ヒ素中毒になった。 現場近くに住む女 当時37 の周囲で不審なヒ素中毒現象が多発し、多額の保険金が女やその夫 同53 に流れていることが判明。 和歌山県警など捜査当局は保険金詐欺容疑で強制捜査に乗り出し、同年12月、カレー事件についても殺人などの罪で女を起訴した。 本人の供述を含め、犯行と女を直接結びつける証拠がないため、検察は祭り当日の住民の動きを詳細に再現するなど、状況証拠を積み重ね、他に犯人がいないことを立証した。 女は当初黙秘を続け、弁護側も無罪を主張したが、和歌山地裁は2002年12月、「動機は認定できなかった」としても「ヒ素を混入する機会のあったのは被告だけだ」と認定、求刑通り被告に死刑を言い渡した。 05年6月の控訴審判決でも大阪高裁は一審判決を支持、女の控訴を棄却した。 被告側は上告した。 女は控訴審に入ってから、黙秘をやめて自らの言葉で無罪を主張したが、高裁は「意図的な操作や捏造」と供述の信用性を否定。 動機については、カレーを調理していたガレージ内でほかの主婦らから疎外されて犯行に及んだことが最も自然としたが、「被告が事実を語ろうとしない状況では断定は困難」とした。 また女と共謀して、3件の保険金詐欺事件で総額約1億6000万円を詐取したとして詐欺罪の有罪が確定した夫は05年6月7日、刑期満了で出所した。 和歌山カレー毒物事件から15年 事件の概要 平成10年7月25日の夕方、和歌山内の自治会主催の「夏祭り」でのできごとだった。 住民立ちが作ったカレーを食べた67人の気分が悪くなり、救急車で運ばれ、4人が死亡した。 警察は、住人の一人、林真須美を逮捕。 死刑が確定している。 林死刑囚は、この事件の前の保険金詐欺の容疑は認めている。 しかし、この無差別殺人は認めておらず、再審を請求している。 事件当時、一部の食品会社がカレーのテレビコマーシャルを自粛するなど、社会全体に大きな影響を与えた。 この地域の学校では、今だに休職にカレーは出していない。 <和歌山毒カレー事件>15年 「終わらない事件」の不安:小学校、今も給食にカレー出さず 「正義の裁判で無罪を」林死刑囚が訴え 和歌山毒物カレー事件 和歌山毒物カレー事件 15年癒えぬ心の傷 「風化させず真実を」 林真須美死刑囚の半生 子ども時代と両親 林真須美被告は、小さな漁村で3人兄弟の末っ子として生まれます。 一人娘でした。 父親は地味な人でした。 母親は、外向的でまめな性格で、保険の外交員として活躍しました。 小さいころの真須美被告は、ごく普通のかわいい子どもでした。 両親ともに忙しく、あまり遊んではもらえなかったかもしれませんが、経済的な不自由はなく、当時この地域としてはめずらしくピアノも買ってもらい、小遣いも十二分にもらっていました。 よく家の手伝いもするよい子だったようです。 子ども時代の彼女を知る人々は、「明るい子」だったと語っています。 同時に、「負けず嫌い」だったとも多くの人が言っています。 思春期・青年期 思春期になった真須美被告は、やせていて、どちらかといえば、内気で恥ずかしがり屋の清純な女の子でした。 その一方で、負けず嫌いの激しい性格の一面ははむしろ強まっていきます。 テストで悪い点をとったときなどは、悔しくてたまらなかったようです。 いつもは笑顔でおだやかなでしたが、怒ったときには、まわりが驚くほどヒステリックになり、収まりがつかなくなりました。 看護学校時代 高校卒業後は、大学付属の看護学校に入学します。 看護学校の2年生になった19歳の時、真須美被告は後に夫となる男性と知りあいます。 当時彼女は、看護学校の寮に入っていましたが、しつけや規則の厳しい寮生活で、窮屈な思いをしていたようです。 「こんな生活は嫌だ。 自由が欲しい」と彼女は語っています。 男性は、シロアリ駆除会社を経営する当時35歳の会社社長。 結婚もしていましたが、派手な車で真須美被告を迎えに来ては、高価なプレゼントしたりしています。 彼女は、しだいにこの男性に恋愛感情を持ち、魅かれていきます。 自分を束縛から解放し、自由にしてくれる男性に見えたのでしょうか。 結婚生活そして、保険金詐欺、カレー毒物事件 1983年林死刑囚は、元妻と離婚したこの男性と結婚します。 男性にとっては、3度目の結婚でした。 しかし、すぐにトラブルが起こります。 披露宴での行き違いから、建治は「てめえ、おれをコケにするつもりか! 恥をかかせやがって!」と、新妻の真須美を平手で殴りつけたのでした。 二人の結婚生活はこうして始まりました。 2人の生活は、家賃3万円の3部屋のアパートから始まります。 真須美も働きはじめます。 ウエイトレス、化粧品販売。 結婚の翌年1984年には、新築一戸建ての家を3500万円で購入しました。 このときには、普通の住宅ローンを組んでいました。 この間、二人の子供も生まれています。 さて、この後、彼女の周りでさまざまな事件事故が発生します。 保険金詐欺を行い、大金を手に入れていったのです。 1995年には、園部地区にある120坪の家を7000万円で購入します。 この年の10月、真須美の母親が「急性白血病による脳出血」で死亡。 67才でした。 真須美は、保険金1億4000万円を手にしています。 1998年2月には、高級リゾートマンションの最上階を購入する契約をしています。 同年3月 保険金目的で、知人にヒ素入りうどんを食べさせます。 (殺人未遂罪)。 そして、この年、1998年7月25日。 カレー毒物事件が起こりました。 4人を殺害、63人をヒ素中毒にしたとされています(殺人、殺人未遂罪)。 彼女は、自由を求めていたような気がします。 そのための必死の努力を重ねてきたように感じます。 しかし、その結果は犯罪行為でした(少なくとも保険金詐欺、そして死刑判決を受けている殺人)。 起訴状によると、真須美被告は事件当日の正午から午後1時ごろまでの間、夏祭り会場近くの民家ガレージに置いてあったカレーなべに、殺意を持ってヒ素を混入したとされている。 同被告はこのほか、保険金目的の殺人未遂や詐欺など8つの事件で3回にわたって起訴されている。 29日の起訴により、事件発生以来5か月余りに及ぶ長期捜査も終了。 被告人宅で検出された亜ヒ酸は微量。 カレーに混入されに亜ヒ酸などとの同一性の確認のため、地検は、兵庫県・播磨科学企周都市の大型放射光施設「SPring8」や、茨城県つくば市の高エネルギー加速器研究機構「フォトン・ファクトリー」のハイテク施設で、「蛍光X線分析」による元素レベルでの同一性確認を分析科学者に依頼。 科学の世界では、同一性があると判断していい実験結果だという。 被告人本人の前髪からもヒ素を検出している。 地検は、これで真須美被告が自宅に保育していた亜ヒ酸を紙コップでガレージまで運び、なべに混入したことを立証できるとしている模様。 我々弁護人は本件事件受任後、2カ月に1~2回のペースで現地に入り、住民達から事情を聞いてきた。 共通する話は、当時、地域の一部の住民の間にはトラブルが絶えず、犬が毒殺されたり、物置に放火されるという事件もあった。 現在もなお、地元では被告人が犯人ではないのではないかと、言う人たちがいるのである。 原審判決は、以下の事実をもって被告人が犯人であると認定している。 しかも夫は当時、亜ヒ酸をプラスチック容器に入れて、夏祭り会場に面した貸ガレージに置いていた。 このガレージは施錠されておらず、誰でも入ろうとすれば入ることができたのである。 次女もずっと一緒だったと証言している。 被告人と見張りをバトンタッチした女性も、次女と被告人がガレージの中で一緒に並んで座って、なごやかに話をしていたと証言している。 近所に住む女子高生は「午後0時から午後1時にかけて、白いTシャツを着て首にタオルを巻き、髪の長い女性が、1人でカレー鍋の周りを歩き回り、西鍋の蓋を開けた。 そして、その女性は被告人であった」と証言している。 しかし、被告人が着ていたのは黒のTシャツである。 首にタオルを巻いてもいなかったし、髪も長くなかった。 白のTシャツを着て首にタオルを巻き、髪が長く、そして西鍋の蓋を開けたのは、実は被告人の次女だった。 女子高生は被告人と次女を見間違えたのである。 次女は当時、体重約70キロ、身長約160センチと被告人とよく似た体型で、しかも白のTシャツを着て、首にタオルを巻いていた。 近所の女子高生は、被告人と次女を同一人だと見間違えたものである。 この目撃証言は、被告人が犯人であると疑わしめるものではなく、むしろ、次女の証言を裏付けるものである。 また、その場所には、4歳になる1番年下の子供もいたのである。 しかも次女は、鍋は違ったとしてもカレーの味見をしたのである。 もし、被告人が毒物を混入したとすれば、そのような危険な場所に子供を連れて行くであろうか。 原審判決は、被告人の場合以外はすべて複数の者がカレー鍋を監視していたことを理由に、被告人が監視していた時間帯以外に毒物を混入する機会はなかったとしている。 カレー鍋は午後3時にガレージから夏祭り会場に運ばれた。 そこでは夏祭りの準備が行われており、多数の人が出入りしていた。 そして午後5時からは蓋が取り払われ、再度加熱されて、入れ代わり立ち代わり木のしゃもじで1時間余りにわたってかき混ぜられた。 これらの間に、誰かが毒物を混入するすきが全く生じなかったとは断定できない。 確かに、被告人およびその家族はカレーを食べていない。 (次女はガレージでは味見しているが) しかし、それは被告人の夫が急遽予定を変更して、被告人や家族を連れてカラオケに行ったからに他ならない。 被告人は長女と三女を家に残してカラオケに出かけている。 しかも出かけるにあたって、子供たちにカレーを食べないようにとは指示していない。 そして、子供たちのために晩ご飯も用意していない。 もし被告人が毒物を混入していたとすれば、何らかの指示をしないはずがない。 このこともまた、被告人が犯人でないことを証明する有力な証拠である。 以上のとおり、被告人は本件事件の犯人ではない。 としています。 彼女が起こした保険金詐欺は22件、儲けた金額も大きい。 カレー事件と類似した手口だが、これらの事件では死者は出ていない。 このカレー事件は、無差別大量殺人事件であり、金が入ることは一切なく、逆に自分に疑いがかかってくるのは必至。 なのに何故自分の首を絞めるようなことをするでしょうか? 真須美被告には、動機が無い。 冤罪の可能性は無視できないと思います。 最高裁は2009年5月、犯人とされる林眞須美被告(51歳)の上告を棄却し、死刑が確定した(現在は再審請求中)。 が、ここにきて大ドンデン返しが?2月28日、林死刑囚の弁護団が再審請求補充書を和歌山地裁に提出した。 その一文を紹介する。 「証拠とされた鑑定のデータを専門家が分析した結果、(林死刑囚宅の)台所から見つかった保存容器内のヒ素と、カレーに混入する際に使ったとされる紙コップ内のヒ素は別物とわかった」 もしこの主張が本当なら、林死刑囚が自宅からヒ素を持ち出し、夏祭り用に用意されたカレーの鍋に投入、住民を無差別に殺そうとしたという検察の主張は崩れてしまう。 そう、つまり林死刑囚に逆転無罪が言い渡される可能性が出てきたのだ。 当時、裁判所が検察の主張を認めたのは、兵庫県にある大型放射光施設「スプリング8」の鑑定結果を採用したからだった。 「スプリング8」はどんな微量の分子構造も分析できる最先端の施設で、その建設費はなんと1100億円!その分析結果が林死刑囚をヒ素混入の犯人と結論づけたのだから、裁判所が信じたのもムリはない。

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【林真須美の冤罪説】夫の「真犯人わかった」現在も子供たちは母を信じでいるのか

和歌山 ヒ素 カレー

和歌山毒物カレー事件は和歌山県で発生した毒物を使った事件です。 園部地区で行われていた夏祭りで起きたもので、カレーライスに毒物が混入されていました。 被害者は67名でその中の4名が死亡、被害は大人数に及んだのです。 事件のショッキングさから、当時のニュースは和歌山毒物カレー事件を連日報道をしていました。 和歌山毒物カレー事件の真相や林真須美の動機を解明するため、報道陣は連日のように林真須美の自宅に詰め掛けていたそうです。 あまりの過熱報道に苛立った林真須美は、報道陣に向けてホースで水をかけたこともあります。 息子や娘の学校生活にも悪影響を及ぼしていたため、抗議の意味も込めてこのような過激な方法をとっていたのでしょう。 和歌山毒物カレー事件が発生したのは1998年7月25日、夏休みが始まって間もない頃です。 夏祭りの料理はおいしいと評判がよく、食事を楽しみに出掛けていた子ども達も多かったそうです。 料理を作っていたのは町内会の主婦たちで、腕によりをかけていたのでしょう。 事件当日にはカレー以外にもおでんや焼き鳥も提供していました。 和歌山毒物カレー事件以降、園部で開催されていた夏祭りは中止されており、再開の目途は立っていません。 当時、夏祭りの会場だった空き地には新興住宅が建設され、新たな住人が引っ越している状態です。 世代的にも和歌山毒物カレー事件のことを知らない人が増え、事件は少しずつ忘れられていると言えます。 しかし大切な息子や娘を亡くした人たちの怒りは現在でも続いているのです。 無事に高校を卒業した林真須美は、寮制度のある看護学校へと進みます。 校則、規律ともに厳しい学校だったようで、林真須美は「自由がない」と愚痴をこぼしていました。 窮屈さを感じつつも、林真須美は2年生へと進級します。 この頃、林真須美は後に夫となる林健治と出会ったのです。 出会った当時の林真須美は19歳、林健治は35歳、16歳の年齢差がありました。 林健治はシロアリを駆除する会社の社長を務めており、羽振りがよかったそうです。 さらにギャンブルで買ったときは100万円を超えるお金を稼いでいました。 当時の林健治の経済力は、林真須美にとって魅力に感じられたと言えます。 林健治は既婚者の身でありながらも、林真須美の送迎をしたり、高額なプレゼントを渡したりしていたそうです。 結婚後、林夫妻は4人の子宝に恵まれました。 息子1人と娘3人の子育てをしながらも林夫妻はヒ素を使った詐欺に手を染めていたのです。 林真須美は保険外交員の仕事に就いており、保険のプロでした。 また林健治もシロアリ駆除の仕事でヒ素を扱っており、ヒ素の入手は容易かったのです。 2人が仕掛けた詐欺の方法は驚くべきものでした。 林健治がヒ素をごく少量を摂取し入院、林真須美が保険金を請求するという手口です。 体に障害が残るような病気や怪我の場合、高度障害保険が適用され死亡保険と同等の保険金が手に入ります。 林夫妻は高度障害保険を巧みに利用していました。 ヒ素を飲むと、激しい下痢や嘔吐だけではなく、手の震え、握力の低下といった症状が現れます。 林夫妻はこの症状を利用し、障害が残ったように見せかけて保険金を請求していました。 林真須美の犯行であると確定するために、和歌山県警察は東京理科大学の中井教授にヒ素の鑑定を依頼しました。 ヒ素の持ち運びに使用されたと思われるヒ素が付着した紙コップ、林真須美宅にある容器、カレー鍋に混入されたヒ素、これらの3つを鑑定にかけたのです。 結果は同一でした。 しかし、この結果は林真須美を犯人だと断定するには乏しいものだったのです。 検察が中井教授に鑑定した内容と中井教授の理解が噛み合っておらず、うまくコミュニケーションをとれていなかったのでしょう。 上記で書いた「結果は同一」は、3点のヒ素の組成(要素・成分・組立)が同一であるという意味ではありませんでした。 中井教授は警察とのやり取りで「組成ではなく、ヒ素の輸入業者が同一であることを調べてほしい」と解釈をしており、実際に検証したのはヒ素の輸入業者だったのです。 犯人が事件を起こすには動機があります。 林真須美が快楽殺人者であれば話は別ですが、息子や娘がいる母親が何の動機もなくヒ素をカレー鍋に入れるでしょうか。 和歌山毒物カレー事件では、林真須美がなぜヒ素を混入したのか、その動機は現在もいっさい判明していません。 林真須美の弁護側は「林真須美にはカレーにヒ素を入れる動機はない」と主張しているのですが、最高裁はその主張を退けています。 最高裁は「犯行の動機は判明していなくても、犯人であるという事実を左右しない」という姿勢をとっており、林真須美と弁護人らの訴えを聞き入れていません。 この様子を見た言論人やジャーナリストは、和歌山毒物カレー事件を現代の魔女狩りと表現しています。 もしも冤罪であれば、林真須美は無実の罪で死刑になってしまうのです。 林真須美は和歌山毒物カレー事件の犯人として逮捕されたその後、否認の姿勢を一貫して崩していません。 取り調べを受けている最中、林真須美が頑なに犯行を認めないことから、担当刑事が業を煮やして怒鳴りつけたという報道も出ています。 さらに「私がやりましたと書け」と林真須美に自白を迫ったこともあるそうです。 さらに担当刑事は林真須美の肩を殴りつけたこともあり、何が何でも自白を引き出そうとしていました。 林真須美の動機があり殺意もあったとすれば、すでに証拠や証言が出てきていてもおかしくはありません。 和歌山毒物カレー事件からすでに10年以上が経過しており、事態は何の進展も見せていないのです。 林真須美はヒ素混入すらも認めていません。 林真須美の否認も、和歌山毒物カレー事件は冤罪であるという説を強めている理由です。 林真須美が死刑判決を受けたのは2002年12月11日でした。 この日は第一審判決公判で、裁判長は林真須美のヒ素混入、殺意を認めたうえで死刑を求刑したのです。 この死刑判決を不服とした林真須美と弁護団は判決を言い渡されたその日、大阪高等裁判所に控訴しています。 しかし2005年6月28日、大阪高等裁判所も林真須美らの控訴を棄却しました。 大阪高等裁判所の裁判長も死刑判決を支持したことを不服として、またしても即日に高等裁判所へと上告しました。 2009年4月21日、最高裁も林真須美の訴えを棄却。 同年4月30日に死刑判決の破棄を申し立てましたが、5月18日に棄却されています。 そして5月18日で林真須美の死刑が確定しました。 林真須美が逮捕されたその後、4人の子どもたちは施設に入ることになりました。 息子の告白によると、林真須美と林健治が逮捕されるまでは裕福な暮らしをしていたそうです。 しかし、2人が逮捕されてからは生活が一変してしまいました。 「人殺し」、「毒物」と揶揄され、息子たちはひどいイジメに晒されていたそうです。 またマスコミの報道によって自宅の場所が判明していたため、和歌山毒物カレー事件に反感を持つ人物に放火されています。 自宅は全焼し、息子たちは住む場所を奪われてしまったのです。 林真須美の自宅があった場所は自治体が買い取り、現在では花が植えられています。 林真須美と同時に逮捕された林健治ですが、現在は関西方面で暮らしているそうです。 ニュース記事によると、息子が林健治の側に引っ越して面倒を見続けています。

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林真須美は冤罪で真犯人がいる?和歌山毒物カレー事件の真相に迫る!

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和歌山毒物カレー事件は和歌山県で発生した毒物を使った事件です。 園部地区で行われていた夏祭りで起きたもので、カレーライスに毒物が混入されていました。 被害者は67名でその中の4名が死亡、被害は大人数に及んだのです。 事件のショッキングさから、当時のニュースは和歌山毒物カレー事件を連日報道をしていました。 和歌山毒物カレー事件の真相や林真須美の動機を解明するため、報道陣は連日のように林真須美の自宅に詰め掛けていたそうです。 あまりの過熱報道に苛立った林真須美は、報道陣に向けてホースで水をかけたこともあります。 息子や娘の学校生活にも悪影響を及ぼしていたため、抗議の意味も込めてこのような過激な方法をとっていたのでしょう。 和歌山毒物カレー事件が発生したのは1998年7月25日、夏休みが始まって間もない頃です。 夏祭りの料理はおいしいと評判がよく、食事を楽しみに出掛けていた子ども達も多かったそうです。 料理を作っていたのは町内会の主婦たちで、腕によりをかけていたのでしょう。 事件当日にはカレー以外にもおでんや焼き鳥も提供していました。 和歌山毒物カレー事件以降、園部で開催されていた夏祭りは中止されており、再開の目途は立っていません。 当時、夏祭りの会場だった空き地には新興住宅が建設され、新たな住人が引っ越している状態です。 世代的にも和歌山毒物カレー事件のことを知らない人が増え、事件は少しずつ忘れられていると言えます。 しかし大切な息子や娘を亡くした人たちの怒りは現在でも続いているのです。 無事に高校を卒業した林真須美は、寮制度のある看護学校へと進みます。 校則、規律ともに厳しい学校だったようで、林真須美は「自由がない」と愚痴をこぼしていました。 窮屈さを感じつつも、林真須美は2年生へと進級します。 この頃、林真須美は後に夫となる林健治と出会ったのです。 出会った当時の林真須美は19歳、林健治は35歳、16歳の年齢差がありました。 林健治はシロアリを駆除する会社の社長を務めており、羽振りがよかったそうです。 さらにギャンブルで買ったときは100万円を超えるお金を稼いでいました。 当時の林健治の経済力は、林真須美にとって魅力に感じられたと言えます。 林健治は既婚者の身でありながらも、林真須美の送迎をしたり、高額なプレゼントを渡したりしていたそうです。 結婚後、林夫妻は4人の子宝に恵まれました。 息子1人と娘3人の子育てをしながらも林夫妻はヒ素を使った詐欺に手を染めていたのです。 林真須美は保険外交員の仕事に就いており、保険のプロでした。 また林健治もシロアリ駆除の仕事でヒ素を扱っており、ヒ素の入手は容易かったのです。 2人が仕掛けた詐欺の方法は驚くべきものでした。 林健治がヒ素をごく少量を摂取し入院、林真須美が保険金を請求するという手口です。 体に障害が残るような病気や怪我の場合、高度障害保険が適用され死亡保険と同等の保険金が手に入ります。 林夫妻は高度障害保険を巧みに利用していました。 ヒ素を飲むと、激しい下痢や嘔吐だけではなく、手の震え、握力の低下といった症状が現れます。 林夫妻はこの症状を利用し、障害が残ったように見せかけて保険金を請求していました。 林真須美の犯行であると確定するために、和歌山県警察は東京理科大学の中井教授にヒ素の鑑定を依頼しました。 ヒ素の持ち運びに使用されたと思われるヒ素が付着した紙コップ、林真須美宅にある容器、カレー鍋に混入されたヒ素、これらの3つを鑑定にかけたのです。 結果は同一でした。 しかし、この結果は林真須美を犯人だと断定するには乏しいものだったのです。 検察が中井教授に鑑定した内容と中井教授の理解が噛み合っておらず、うまくコミュニケーションをとれていなかったのでしょう。 上記で書いた「結果は同一」は、3点のヒ素の組成(要素・成分・組立)が同一であるという意味ではありませんでした。 中井教授は警察とのやり取りで「組成ではなく、ヒ素の輸入業者が同一であることを調べてほしい」と解釈をしており、実際に検証したのはヒ素の輸入業者だったのです。 犯人が事件を起こすには動機があります。 林真須美が快楽殺人者であれば話は別ですが、息子や娘がいる母親が何の動機もなくヒ素をカレー鍋に入れるでしょうか。 和歌山毒物カレー事件では、林真須美がなぜヒ素を混入したのか、その動機は現在もいっさい判明していません。 林真須美の弁護側は「林真須美にはカレーにヒ素を入れる動機はない」と主張しているのですが、最高裁はその主張を退けています。 最高裁は「犯行の動機は判明していなくても、犯人であるという事実を左右しない」という姿勢をとっており、林真須美と弁護人らの訴えを聞き入れていません。 この様子を見た言論人やジャーナリストは、和歌山毒物カレー事件を現代の魔女狩りと表現しています。 もしも冤罪であれば、林真須美は無実の罪で死刑になってしまうのです。 林真須美は和歌山毒物カレー事件の犯人として逮捕されたその後、否認の姿勢を一貫して崩していません。 取り調べを受けている最中、林真須美が頑なに犯行を認めないことから、担当刑事が業を煮やして怒鳴りつけたという報道も出ています。 さらに「私がやりましたと書け」と林真須美に自白を迫ったこともあるそうです。 さらに担当刑事は林真須美の肩を殴りつけたこともあり、何が何でも自白を引き出そうとしていました。 林真須美の動機があり殺意もあったとすれば、すでに証拠や証言が出てきていてもおかしくはありません。 和歌山毒物カレー事件からすでに10年以上が経過しており、事態は何の進展も見せていないのです。 林真須美はヒ素混入すらも認めていません。 林真須美の否認も、和歌山毒物カレー事件は冤罪であるという説を強めている理由です。 林真須美が死刑判決を受けたのは2002年12月11日でした。 この日は第一審判決公判で、裁判長は林真須美のヒ素混入、殺意を認めたうえで死刑を求刑したのです。 この死刑判決を不服とした林真須美と弁護団は判決を言い渡されたその日、大阪高等裁判所に控訴しています。 しかし2005年6月28日、大阪高等裁判所も林真須美らの控訴を棄却しました。 大阪高等裁判所の裁判長も死刑判決を支持したことを不服として、またしても即日に高等裁判所へと上告しました。 2009年4月21日、最高裁も林真須美の訴えを棄却。 同年4月30日に死刑判決の破棄を申し立てましたが、5月18日に棄却されています。 そして5月18日で林真須美の死刑が確定しました。 林真須美が逮捕されたその後、4人の子どもたちは施設に入ることになりました。 息子の告白によると、林真須美と林健治が逮捕されるまでは裕福な暮らしをしていたそうです。 しかし、2人が逮捕されてからは生活が一変してしまいました。 「人殺し」、「毒物」と揶揄され、息子たちはひどいイジメに晒されていたそうです。 またマスコミの報道によって自宅の場所が判明していたため、和歌山毒物カレー事件に反感を持つ人物に放火されています。 自宅は全焼し、息子たちは住む場所を奪われてしまったのです。 林真須美の自宅があった場所は自治体が買い取り、現在では花が植えられています。 林真須美と同時に逮捕された林健治ですが、現在は関西方面で暮らしているそうです。 ニュース記事によると、息子が林健治の側に引っ越して面倒を見続けています。

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