レンドル最強説。 ロッド・レーバー最強説

レンドルvsボルグ

レンドル最強説

ロッド・レーバー最強説 【ロッド・レーバー最強説】 【はじめに】 テニス史上最強の選手は誰かを論議する中で ロッド・レーバーの名前を出さずにいるわけにはいかない。 やれ ボルグだ、やれ サンプラスだと言っても、 レーバーの偉業には及ばないからだ。 年間グランドスラム2度。 これが レーバーの全てを物語っている。 しかし残念なことに、 1968年以前の細かい記録はほとんど残っていない。 確認できるのは、グランドスラム優勝者とせいぜい準優勝者くらいである。 当サイトで常々主張していることだが、グランドスラムだけでテニスの全てを語ることはできない。 そのため、古い選手に関しては、あくまでも記録の一部であることを念頭においておく必要があるのだ。 そのことを前提に、この歴史的な選手を見ていくことにしよう。 【レーバー最強説の真相は】 レーバーが年間グランドスラムを達成したのは、 1962年と 1969年のこと。 2度目の達成は1度目から 7年後ということになる。 レーバーの生涯獲得グランドスラムは全部で 11だ。 2度の年間達成で 8回だから、それ以外には 3回しか優勝していないことになる。 最強のはずの選手にしては、意外に少ないと思わせる。 しかしこれには理由がある。 レーバーは、最初の年間達成の翌年( 1963年)に、 プロに転向する。 当時のグランドスラムはプロ選手の出場が禁止されていた。 つまり レーバーは1963年以降、グランドスラムに出場していなかったのである。 もしも レーバーが続けて出場していれば、 遥かに多くの優勝を飾っていたはずだともよく言われるが、 そのような仮定の話はさておき、 こうなると当時のグランドスラムには、どうにも気になる点が出てくる。 【グランドスラムのプロ選手出場禁止】 プロ選手の出場しないグランドスラムが 果たしてどれほどの レベルだったのだろうか。 当時のグランドスラムは、権威はあったが選手への報酬はほとんどなかった。 そのため、有力な選手は、ある程度実績を積むと プロに転向してグランドスラムから離れていくことが多かった。 例えば 1938年に(この年は奇しくも レーバーの生年にあたる) ドン・バッジが レーバー以外唯一人にして史上初の 年間グランドスラムを達成した。 勿論 バッジは歴史に名を残すことになったわけだが、 その前年に当時最強であった フレッド・ペリーがプロ化を宣言してグランドスラムに出場しなくなっていたこともあり、 必ずしも絶対的な評価が下されているわけではないことも事実なのだ。 そして バッジ本人も、より上を目指し、この翌年にはプロに転向してしまうのである。 このようなことは当時頻繁に発生していた。 そのため、1962年の レーバー最初の年間達成も どれほどの価値だったのか疑問に感じる人がいてもおかしくはない。 【プロ選手用の大会】 これだけでは レーバー最強説も根拠が薄いように思えるが、 レーバーには確かな実績があった。 グランドスラムがアマチュアの大会であった頃、 当然のことながらプロ選手にはプロ用の大会というのが存在した。 ウェンブリー、USプロ、フレンチプロの3つが中でも特に大きな大会だった。 これはプロ版のグランドスラムとも呼べる大会であり、 むしろ プロ選手が一同に集うため、よりレベルの高い、 当時としては最高のトーナメントと言えるものだった。 その中での レーバーの戦績を見てみよう。 ウェンブリー: 1964年-1967年まで4連覇、1970年にも優勝。 1971年準優勝。 USプロ: 1963年から8年連続決勝進出。 うち1964年、1966年-1969年まで計5回優勝。 フレンチプロ: 1963年から6年連続決勝進出。 うち1967年、1968年の2回優勝。 《優勝12回。 準優勝8回。 》 プロ化した後も、かなりの強さであったことがわかると思う。 特に1967年には3大会全制覇を達成している。 【グランドスラムオープン化】 そして 1968年、遂にグランドスラムは オープン化を迎える。 プロでもアマでも誰でも出場が可能になったのだ。 これ以降、グランドスラムは明確に最高の大会と位置づけられるようになった。 レーバーはオープン化後初の ウィンブルドンチャンピオンになり、 そして翌 1969年には2度目の 年間グランドスラムを達成した。 今度こそは紛れもなく 最強の証を手にしたといえるだろう。 強い選手が出ていなかったなどということはないのだから。 全盛期とも言える時期( 25歳〜30歳)がすっぽり抜けたにも関わらず レーバーは グランドスラム史上に名を残してしまった。 プロ入り前、プロ入り後、そしてオープン化後と あらゆる状況の中で常に最高の成績を収めてきた レーバーは 紛れもなく 最強選手であったのだ。 しかし、1970年代に入ると レーバーの時代は唐突に終わりを告げる。 グランドスラムオープン化時に既に30歳になっていたのだから致し方ない。 レーバーは1975年に第一線から退いた。 ただ、この頃既に ATPランキング制度がスタートしていたが、 レーバーは最後までトップ10から落ちることはなかった。 【プレースタイル】 レーバーのプレースタイルはどのようなものだったか。 映像があまり多く残されていないのが残念だが 人々の記憶では、そのプレーは 衝撃的だったようだ。 基本は サーブアンドボレーで、 動きが速く、 当時としては異例の フラット系のハードヒットを打ち トップスピンロブを使いこなしたという。 1991年の全仏決勝で、BBCの実況が コルダのプレーを観て、 ロッド・レーバーを思わせるとコメントしていた。 タイプ的に同じようなプレーだったとするならばこれは凄いことだといえる。 コルダの勢いのあるハードヒットは、とても30年前のプレーとは思えないものだったからだ。 当サイトで収集した レーバーの成績は、 不完全なものながら生涯勝率、グランドスラム勝率共に サンプラスを上回り、 トップの ボルグに迫るほどのものである。 名前 生涯勝率 GS勝率 ボルグ 82. ケン・ローズウォール】 レーバーと同時代に、それに匹敵する選手が一人存在した。 レーバー以上に偉大とさえいえるその選手こそ、 ケン・ローズウォールその人である。 ローズウォールは1934年生まれ。 レーバーよりも4つ年長の選手だ。 この選手は、現在でも偉大な選手として認知されているものの、 レーバー以上にその本当の活躍が闇に消えてしまっている選手だといえるだろう。 ローズウォールは 1953年に、 18歳という若さで全豪と全仏のタイトルを獲得した。 (因みに レーバーが初めて全豪で勝ったのは21歳のとき) その後全豪と全米でも優勝を果たすと、 1956年に早くもプロ化を宣言してしまう。 まだ レーバーも エマーソンも登場する前のことであった。 このような早くから、 ローズウォールはグランドスラムから姿を消していたのだ。 ローズウォールがプロであった間の戦績を見てみよう。 ウェンブリー: 1957年、1960年-1963年、1968年-1969年優勝。 計7回。 1964年、1966年-1967年、1970年準優勝 USプロ: 1963年、1965年、1971年優勝。 計3回。 1966年準優勝。 フレンチプロ: 1958年、1960年-1966年優勝。 計8回。 プロ大会の優勝数は実に 18回。 ダントツの最多記録である。 ( レーバーは 12回) また、プロ大会決勝での両者の対戦成績は、 ローズウォールの 6勝4敗であった。 (生涯の対戦成績は レーバーの 79勝66敗といわれる 両者の対戦についての詳細はを参照) プロとしての ローズウォールは、 レーバーに劣らぬ大選手だったのだ。 1963年に年間グランドスラムを引っさげて レーバーがプロテニス界に登場したときも、 依然として ローズウォールこそが第一人者と評価されていた。 1968年にグランドスラムが オープン化されると ローズウォールも出場し、 オープン化後初の 全仏王者となった。 この時既に 34歳であったのだから驚きだ。 さすがに翌 1969年の レーバーの勢いは止められなかったが、 レーバーが力を失った後の1970年代にも 3回の優勝を重ね、 1953年から実に 20年越しでの グランドスラム優勝者となった。 最終的にグランドスラム獲得数は 8で、 レーバーの 11には及ばないし、 レーバーが出現する前から強く、 レーバー以後にも強かったことから レーバーさえいなければ最強だったというような見方をされることもあるようだが それは事実ではなく、実は レーバーと互角の戦いをしていたことがわかると思う。 そして レーバー以上に、というより他のどんな選手よりも遥かに 息の長かった選手であった。 グランドスラム獲得数 8は充分素晴らしい数であるが、それが 「21歳から34歳までの間がぽっかり空いている状態」 で達成されたものなのだから驚異とさえいえる。 ローズウォールと同じグランドスラム優勝数を誇る コナーズ、レンドル、アガシでさえ、 全ての優勝は 21歳〜34歳の間に行われている。 間違いなく ローズウォールこそテニス史上 最も偉大な選手であったといえよう。 このページに対するご意見等は まで。

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ロッド・レーバー最強説

レンドル最強説

【フェデラー関連記事】 フェデラー支持派の人にオススメの記事です。 ピート・サンプラスのコメント 「ここ5年間で彼が達成したことは、それまでに誰も出来なかった偉業で、これからも起きないだろう。 ローランギャロスで勝っても勝たなくても、すでに史上最高にふさわしかったけど、今回の勝利で再確認させてくれた。 」-サンプラス 「私にとっては、とても明白な事だが、ロジャー(フェデラー)が史上最強の選手。 しかし、ラファ(ナダル)はまだ絶頂期にいる。 これからも、もっとグランドスラムでも優勝出来るだろう。 彼(ナダル)は同世代の選手には全て勝ち越しているし、デビスカップやオリンピックでの優勝経験だってある。 」-サンプラス 「技術や体力だけなら、僕もあと数年プレーできたと思う。 しかし僕は、移動と旅の繰り返しの生活に、心身ともにすり減ってしまっていた。 だから……僕にはロジャーが分からないんだ。 なぜ彼が今も高いモチベーションを維持し、過酷なツアーを戦っていられるのか」-サンプラス アンドレ・アガシのコメント 「彼はただ本当に偉大な選手だ。 テニス界で賞賛を得るだけでなく。 若い選手に良い影響を及ぼしている。 さらにテニスそのものも素晴らしい。 グランドスラム14勝の選手を倒すことはとてもタフなことだし、彼はこの先もっとタイトルを獲得するだろう。 」-A・アガシ 「正直に言うと、(サンプラスより)フェデラーが1クラス上だと思う。 つまり私達はどのサーフェスでも他を圧倒していた選手を言っているんだ。 あの頃も唯一クレーのナダルだけに勝てなかったけど、それ以外はどのサーフェスでもほとんど負けなかったからね。 」-A・アガシ 「ピート(サンプラス)は速いサーフェスでは他を圧倒していたけど、クレーシーズンではみんな彼と対戦したがった。 彼から勝利を飾れるチャンスだからね。 でも、フェデラーにはそれがなかった。 彼はまさにワールドクラスのオールラウンド・プレーヤー。 ナダルがどのサーフェスでも活躍し始めるまでは、フェデラーが確かに史上最強の選手だと言えただろう。 」-A・アガシ 「最強の選手には、ほど遠いよ。 その選手のリストにもあがらない。 何とか全てのグランドスラムで優勝する事も出来たけど、それは最初の基準にすぎないと考えている。 私にとっては、その2人(フェデラーとナダル)か、R・レーバー(オーストラリア)がその議論に値する選手だと思う。 」-A・アガシ トニー・ナダルのコメント 「彼(フェデラー)こそがふさわしい。 数字が物語っている」と語り、「ロッド・レーバーと並んで史上最高の選手。 それは認めざるを得ない」とした。 トニー・ナダル 「フェデラーは17回グランドスラムを制し、ラファエルは14回だ。 しかもナンバーワンに5年君臨していた。 ラファエルは3年だ。 だから議論するまでもない。 彼が一番だ」トニー・ナダル ラファエル・ナダルのコメント 「僕とロジャーの、どちらが上かなんて議論はばかげているよ。 タイトル数が全てを物語っているじゃないか」 「ロジャーは僕にとって、 最高のお手本なんだ。 僕と彼はプレースタイルは全く異なるけれど、彼は常により上にいこうと努力し、実際にそうしている。 僕はそんな彼を見習おうとしてるんだ」 「 この準決勝をロジャーと対戦することは名誉なこと。 37歳の彼がこの大会を通してトップレベルのができることには脱帽だ。 彼のような史上最強のテニスプレーヤーとこんな大舞台で試合をする時は、いつだってにモチベーションが上がるんだ」 ノバク・ジョコビッチのコメント 「僕のようなベースライナーは、ポイントを奪うには時間が必要だ。 だって僕は、ロジャーほど才能に恵まれていない。 30秒でサービスゲームを取ることはできない」ジョコビッチ マッツ・ビランデルのコメント 「フェデラーはもっと強くなった。 ナダル、ジョコビッチは過去のテニス史上でも強い選手だ。 でも 史上最高の選手はフェデラーだ。 グランドスラムを16回優勝したのは彼だけだ。 それが答えだ」(2011年) ボリス・ベッカーのコメント 「彼は 歴代で最も偉大なスポーツ選手のひとりだと思う。 モハメド・アリやマイケル・ジョーダンやペレの領域にある」(2017年) 松岡修造のコメント 「 テニスプレイヤーとして言わせていただきたい。 フェデラー、あなたは最強です。 メンタルが最強です。 35歳。 テニス愛によってすべてを支えているプレー。 本当に彼は歴代1位のテニスプレイヤーです。 」 (2017年) 2. 彼らを王座から引きずり下ろすような男が、順調に姿を現しているか? そうは思わない。 ベルディヒ、ツォンガ? うん、彼らは時にそのレベルまで達する事もある。 そして現在、我々はそういった対戦を見ているんだ。 」-P・サンプラス アンドレ・アガシのコメント (ジョコビッチとあなたが対戦するとしたら? どう戦えば彼を倒せるでしょう。 に対して)「試合前に、ロッカールームでこてんぱんにしてしまうことですね。 最もチャンスがあるのがその時だと思います(笑)」-A・アガシ トニー・ナダルのコメント 「ジョコビッチは素晴らしい選手だ。 フェデラーのレベルに手が届く位置に来ていると思う。 とても良い選手だ。 ラファエルとどっちが優れているのか、甲乙つけがたい。 タイトル数ではラファエルが勝っているが、プレーの面では何とも言えない。 最終的には、それぞれの見方の問題になるね」-トニー・ナダル(ナダルのコーチ・叔父) ラファエル・ナダルのコメント 「誰かが状況を変えない限り、モンテカルロ・マスターズはジョコビッチが優勝候補だろう。 今の彼は、信じられないくらいダイナミックなテニスをしているよ。 」-ラファエル・ナダル 「今のノバクのプレーは、全選手と比べても上のレベルにある。 それは明らかだ」 「今はノバクの時代だ。 ここ1年、2年は彼が圧倒している。 正直やり過ぎかもしれないけれど、称賛に値するよ」 グスタポ・クエルテンのコメント 「(全仏優勝の後)ジョコビッチは毎年確実に向上している。 それはとても恐ろしいこと。 」-グスタポ・クエルテン(全仏3勝をあげたブラジル人プレイヤー) 【ナダル 関連記事】 ナダル支持派の人にオススメの記事です。 ピート・サンプラスのコメント 「私にとっては、とても明白な事だが、ロジャーが史上最強の選手。 しかし、ラファはまだ絶頂期にいる。 これからも、もっとグランドスラムでも優勝出来るだろう。 彼(ナダル)は同世代の選手には全て勝ち越しているし、 デビスカップやオリンピックでの優勝経験だってある。 」-P・サンプラス アンドレ・アガシのコメント 「ナダルは史上最強の選手の議論には異義を唱えるかもしれない。 」アガシ 「私は ナンバー1をナダル、ナンバー2をフェデラーとする。 ナダルはフェデラーにできなかったこともしている。 四大大会すべてを制し、全豪以外は複数回優勝している。 それをフェデラーの全盛期にやるというのは目を見張るべきことだ」アガシ 「ナダルはフェデラーだけではなく、ジョコビッチやマレーなどが活躍している男子テニス界のゴールデン・エイジと呼ばれる時代に、それらの選手達と戦わなければならなかった。 そんな中でここまでこれだけの成績を修め、そしてナダルの現役生活はまだ終わっていない。 」 【関連動画】 歴代の名選手たちがフェデラーとナダルの最強説を語っています。

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決定版!歴代最強・史上最高のテニス選手TOP10【男子編】

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ロッド・レーバー最強説 【ロッド・レーバー最強説】 【はじめに】 テニス史上最強の選手は誰かを論議する中で ロッド・レーバーの名前を出さずにいるわけにはいかない。 やれ ボルグだ、やれ サンプラスだと言っても、 レーバーの偉業には及ばないからだ。 年間グランドスラム2度。 これが レーバーの全てを物語っている。 しかし残念なことに、 1968年以前の細かい記録はほとんど残っていない。 確認できるのは、グランドスラム優勝者とせいぜい準優勝者くらいである。 当サイトで常々主張していることだが、グランドスラムだけでテニスの全てを語ることはできない。 そのため、古い選手に関しては、あくまでも記録の一部であることを念頭においておく必要があるのだ。 そのことを前提に、この歴史的な選手を見ていくことにしよう。 【レーバー最強説の真相は】 レーバーが年間グランドスラムを達成したのは、 1962年と 1969年のこと。 2度目の達成は1度目から 7年後ということになる。 レーバーの生涯獲得グランドスラムは全部で 11だ。 2度の年間達成で 8回だから、それ以外には 3回しか優勝していないことになる。 最強のはずの選手にしては、意外に少ないと思わせる。 しかしこれには理由がある。 レーバーは、最初の年間達成の翌年( 1963年)に、 プロに転向する。 当時のグランドスラムはプロ選手の出場が禁止されていた。 つまり レーバーは1963年以降、グランドスラムに出場していなかったのである。 もしも レーバーが続けて出場していれば、 遥かに多くの優勝を飾っていたはずだともよく言われるが、 そのような仮定の話はさておき、 こうなると当時のグランドスラムには、どうにも気になる点が出てくる。 【グランドスラムのプロ選手出場禁止】 プロ選手の出場しないグランドスラムが 果たしてどれほどの レベルだったのだろうか。 当時のグランドスラムは、権威はあったが選手への報酬はほとんどなかった。 そのため、有力な選手は、ある程度実績を積むと プロに転向してグランドスラムから離れていくことが多かった。 例えば 1938年に(この年は奇しくも レーバーの生年にあたる) ドン・バッジが レーバー以外唯一人にして史上初の 年間グランドスラムを達成した。 勿論 バッジは歴史に名を残すことになったわけだが、 その前年に当時最強であった フレッド・ペリーがプロ化を宣言してグランドスラムに出場しなくなっていたこともあり、 必ずしも絶対的な評価が下されているわけではないことも事実なのだ。 そして バッジ本人も、より上を目指し、この翌年にはプロに転向してしまうのである。 このようなことは当時頻繁に発生していた。 そのため、1962年の レーバー最初の年間達成も どれほどの価値だったのか疑問に感じる人がいてもおかしくはない。 【プロ選手用の大会】 これだけでは レーバー最強説も根拠が薄いように思えるが、 レーバーには確かな実績があった。 グランドスラムがアマチュアの大会であった頃、 当然のことながらプロ選手にはプロ用の大会というのが存在した。 ウェンブリー、USプロ、フレンチプロの3つが中でも特に大きな大会だった。 これはプロ版のグランドスラムとも呼べる大会であり、 むしろ プロ選手が一同に集うため、よりレベルの高い、 当時としては最高のトーナメントと言えるものだった。 その中での レーバーの戦績を見てみよう。 ウェンブリー: 1964年-1967年まで4連覇、1970年にも優勝。 1971年準優勝。 USプロ: 1963年から8年連続決勝進出。 うち1964年、1966年-1969年まで計5回優勝。 フレンチプロ: 1963年から6年連続決勝進出。 うち1967年、1968年の2回優勝。 《優勝12回。 準優勝8回。 》 プロ化した後も、かなりの強さであったことがわかると思う。 特に1967年には3大会全制覇を達成している。 【グランドスラムオープン化】 そして 1968年、遂にグランドスラムは オープン化を迎える。 プロでもアマでも誰でも出場が可能になったのだ。 これ以降、グランドスラムは明確に最高の大会と位置づけられるようになった。 レーバーはオープン化後初の ウィンブルドンチャンピオンになり、 そして翌 1969年には2度目の 年間グランドスラムを達成した。 今度こそは紛れもなく 最強の証を手にしたといえるだろう。 強い選手が出ていなかったなどということはないのだから。 全盛期とも言える時期( 25歳〜30歳)がすっぽり抜けたにも関わらず レーバーは グランドスラム史上に名を残してしまった。 プロ入り前、プロ入り後、そしてオープン化後と あらゆる状況の中で常に最高の成績を収めてきた レーバーは 紛れもなく 最強選手であったのだ。 しかし、1970年代に入ると レーバーの時代は唐突に終わりを告げる。 グランドスラムオープン化時に既に30歳になっていたのだから致し方ない。 レーバーは1975年に第一線から退いた。 ただ、この頃既に ATPランキング制度がスタートしていたが、 レーバーは最後までトップ10から落ちることはなかった。 【プレースタイル】 レーバーのプレースタイルはどのようなものだったか。 映像があまり多く残されていないのが残念だが 人々の記憶では、そのプレーは 衝撃的だったようだ。 基本は サーブアンドボレーで、 動きが速く、 当時としては異例の フラット系のハードヒットを打ち トップスピンロブを使いこなしたという。 1991年の全仏決勝で、BBCの実況が コルダのプレーを観て、 ロッド・レーバーを思わせるとコメントしていた。 タイプ的に同じようなプレーだったとするならばこれは凄いことだといえる。 コルダの勢いのあるハードヒットは、とても30年前のプレーとは思えないものだったからだ。 当サイトで収集した レーバーの成績は、 不完全なものながら生涯勝率、グランドスラム勝率共に サンプラスを上回り、 トップの ボルグに迫るほどのものである。 名前 生涯勝率 GS勝率 ボルグ 82. ケン・ローズウォール】 レーバーと同時代に、それに匹敵する選手が一人存在した。 レーバー以上に偉大とさえいえるその選手こそ、 ケン・ローズウォールその人である。 ローズウォールは1934年生まれ。 レーバーよりも4つ年長の選手だ。 この選手は、現在でも偉大な選手として認知されているものの、 レーバー以上にその本当の活躍が闇に消えてしまっている選手だといえるだろう。 ローズウォールは 1953年に、 18歳という若さで全豪と全仏のタイトルを獲得した。 (因みに レーバーが初めて全豪で勝ったのは21歳のとき) その後全豪と全米でも優勝を果たすと、 1956年に早くもプロ化を宣言してしまう。 まだ レーバーも エマーソンも登場する前のことであった。 このような早くから、 ローズウォールはグランドスラムから姿を消していたのだ。 ローズウォールがプロであった間の戦績を見てみよう。 ウェンブリー: 1957年、1960年-1963年、1968年-1969年優勝。 計7回。 1964年、1966年-1967年、1970年準優勝 USプロ: 1963年、1965年、1971年優勝。 計3回。 1966年準優勝。 フレンチプロ: 1958年、1960年-1966年優勝。 計8回。 プロ大会の優勝数は実に 18回。 ダントツの最多記録である。 ( レーバーは 12回) また、プロ大会決勝での両者の対戦成績は、 ローズウォールの 6勝4敗であった。 (生涯の対戦成績は レーバーの 79勝66敗といわれる 両者の対戦についての詳細はを参照) プロとしての ローズウォールは、 レーバーに劣らぬ大選手だったのだ。 1963年に年間グランドスラムを引っさげて レーバーがプロテニス界に登場したときも、 依然として ローズウォールこそが第一人者と評価されていた。 1968年にグランドスラムが オープン化されると ローズウォールも出場し、 オープン化後初の 全仏王者となった。 この時既に 34歳であったのだから驚きだ。 さすがに翌 1969年の レーバーの勢いは止められなかったが、 レーバーが力を失った後の1970年代にも 3回の優勝を重ね、 1953年から実に 20年越しでの グランドスラム優勝者となった。 最終的にグランドスラム獲得数は 8で、 レーバーの 11には及ばないし、 レーバーが出現する前から強く、 レーバー以後にも強かったことから レーバーさえいなければ最強だったというような見方をされることもあるようだが それは事実ではなく、実は レーバーと互角の戦いをしていたことがわかると思う。 そして レーバー以上に、というより他のどんな選手よりも遥かに 息の長かった選手であった。 グランドスラム獲得数 8は充分素晴らしい数であるが、それが 「21歳から34歳までの間がぽっかり空いている状態」 で達成されたものなのだから驚異とさえいえる。 ローズウォールと同じグランドスラム優勝数を誇る コナーズ、レンドル、アガシでさえ、 全ての優勝は 21歳〜34歳の間に行われている。 間違いなく ローズウォールこそテニス史上 最も偉大な選手であったといえよう。 このページに対するご意見等は まで。

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