死にたい 毎日思う。 毎日ふとした瞬間に、死にたいなぁと思います。 なんでこん,,,

毎日死にたいと思うのは普通では無いんですか?

死にたい 毎日思う

2015年3月23日 「死んでしまいたいと思う」 希死念慮はうつ病の症状の一つとして挙げられます。 気分が沈んで、とにかくつらい。 それならいっそ死んでしまった方がまし、という考え。 実際に自分を殺める行動をした人は、今すぐ病院で治療を受けるべきなのでしょう。 でも、うつ病じゃなくても「死にたい」と言う人はたくさんいます。 その「死にたい」にはいろいろな意味があって、「今すぐに命を絶ってしまいたい」という切迫したものから、「失敗してしまった。 穴があったら入りたい」という恥・不快感を表わすものまで。 おそらく、このブログを見てくださっているあなたは割と深刻な「死にたい」に苦しんでいて、今すぐに首を絞めてしまいたいと願っているのではないかと想像します。 そして、死にたいのに死ねない現状がさらに苦しみを大きくしているのではないかなとも。 苦しいのは嫌ですね。 そんなの耐えられないから。 私も長い間と思っていました。 それと同時に、「この『死にたい』という心理は一体何なんだろう?」ということも漠然と考えてきました。 今日は、そのあたりの不思議について書いてみたいと思います。 「もう死ぬしかない!」と絶望の淵に立たされている人、「どうして死んじゃいけないの?」と人生の意味を問い続けている人、よかったら一緒に考えてみませんか? どうして死んじゃいけないの? 「死にたいけど死ねない」 生きるのがつらすぎる。 こんなことなら死んだ方がまし。 でも、自分が死んだら家族や周りの人たちが悲しむ。 だから死ねない。 そんな声を多く聞きます。 私自身も長い間そうした苦悩を抱えていたので、そのつらさはよくわかるつもりです。 当時のことを思い出すと、何ともやりきれない思いで、言葉が見つかりません。 「生きてれば良いことあるよ」 「生きることに意味があるんだよ」 「ずっと死にたいって思ってたけど、今は『死ななくて良かった。 生きたい』って思えるようになったよ」 どんなに優しい言葉をかけられても納得できない。 ずっと疑問でした。 なぜ生きることに価値があると言い切れるのか。 基本的に今もその思いは変わらないのですが、最近、ちょっとその疑問に変化があらわれました。 そもそも、「生きる」「死ぬ」って何なのさ? それがわからなければ、論じようがないですよね。 わからないものを良いとか悪いとか評価できるわけがない。 生きることが良いことで、死ぬことは悪いこと? そりゃ、大切な人が死んでしまったら悲しいから、それは嫌なことです。 でも、それが悪いことだとは言えません。 人は皆いつかは死ぬのだから。 「私はもう死にたい。 どうして死んではいけないのですか?」と聞かれても、「さぁ」としか答えられません。 もしくは、「なぜあなたはそう思うのですか?」と聞き返すことしかできない。 だって、わかんないんだもん。 「死にたい」としか思えないほど苦しいときに、「そんなバカなこと言うな!」「死なないで!」と言われると、自分の気持ちをないがしろにされたような気がします。 あるいは、相手のエゴを押し付しつけられたような気がして、怒りが湧いてくるかもしれません。 「そうやってあなたのワガママを我慢し続けてきたから私はもう死にたいのに」と。 でも、よくよく考えてみると、その「死にたい」も自分のエゴであって、「死なないで」と同じもの。 どちらの気持ちを優先するか。 その人の「死にたい」という願いは、「死」を求めているのではなく、「私の思いを汲んでほしい」「ラクになりたい」という気持ちの表れなんだと思います。 そうじゃなかったら、悲しくなったりも腹が立ったりもしないでしょうから。 となるとこの場合、死ぬのは良くないこと、と言えそうです。 なぜなら、その人にとっての「死にたい」には、生きることを前提とした「~したい、してほしい」が含まれているから。 苦しみは消えないとしても、納得はできます。 私はこんなに苦しいのに! 次に浮かんでくるのは、「もし誰も悲しむ人がいなかったら?」という疑問。 一応言っておきますと、あなたが死んでも誰も悲しまないなんてことはありません。 家族や友達が誰一人いなかったとしてもです。 じゃあ、誰が悲しむのかと言えば、私が悲しみます。 私の言葉を今こうして受け取ってくれている人が死んでしまうのは、とても悲しい。 あなたの死に気づかなかったとしても、どこかしらであなたと私はつながっていると思うからです。 で、まぁ、それは置いておいて。 もし、世界に自分一人だけしかいなかったら、という仮定で考えてみると、「あなたが死んだら悲しむ人がいる」という答えは成り立たなくなります。 さぁ、どうしましょう。 誰も悲しむ人がいないなら、死んでもいい? 自分が死にたいなら死んでもいい? この問いの答えにはならないかもしれませんが、自分の身体を粗末にするのは良いことではありません。 自分の身体は自分のものではないからです。 自分のお金で買ったギターや洋服とは違います。 自分で作り出したものではないし、誰のものでもない。 人間の身体は自然そのもの。 「じゃあ、この苦しい気持ちを無視して心を殺し続ければいいわけ?」と反論したくなります。 そうすると「そんなに苦しいのに死んじゃダメなんて言えないよ~」と思うのですが、そうじゃない。 苦しいから死にたいという人は、死ぬ以外にラクになる方法があることに気づいていないだけ。 少なくとも今の日本の一般的な生活においては。 だから、死ななくてOK。 何か良い方法を探しましょう。 って、そんな余裕があったら自ら死にませんよね。 まぁ、死ぬのは割と大変ですからね。 私はそれを実行したことがないからわからないんですけど。 自然が一番です。 あなたが望む「死」って何? 生きることが良いことで、死ぬことは悪いこと? わかりません。 いや、生きることには良いこともあります。 笑顔になれると嬉しいし、食べ物をおいしいと感じられることは幸せ。 誰かと気持ちを共有できたときにも、心は穏やかに温まります。 これは素晴らしいことです。 が、悪いこともありますね。 今まさにあなたが苦しいと感じている、そのことは多分悪いことです。 苦痛は良いことではありません。 まぁ、そういう酸いも甘いもひっくるめて、人生にはいろいろな味わいがあって面白いよね、ということなんでしょう。 それもよくわかります。 受け入れがたい言い分だったとしても、理解はできます。 生きることが良いことだと仮定して。 じゃあ、死ぬのは? わかりません。 私、死んだことないので。 天国だ地獄だなんだと言いますが、この世にいる人はそれが本当か誰も知りませんよね。 だって、死んでないんだもん。 死は無になること? どうしてそれを望むのか。 無になったら何もない。 いや、「私」は無になるのでしょうか? え? 無に「なる」? 無はなるものじゃなくて「ない」。 何もない。 あぁ、困った。 自分の死はここにない。 生と死は対じゃない。 言葉ではなく、ぼんやりと。 そうすると「死にたい」が霞むんですよね。 私が望んでいることは一体何なんだ? と。 答えはいまだに見つかりません。 ただ、できるだけ美しく死を迎えたいなぁとは思います。 そのために美しく生きる。 そうすると、「美しい生」「美しい死」って何だ? という話になっていつまでも終わらないので、とりあえず今日はこのへんで。 不思議なことは魅力的。 最後に。 今までに私が書いた「生」や「死」についてのいろいろをまとめました。 大体おんなじようなこと言ってます。 よろしければどうぞ。 【鬱々モヤモヤの旧ブログより】 ・ ・ ・ 【この世に存在を保つこと】 ・ ・ ・ 【「命」を感じさせてくれる作品】 ・ 誰もが持っていて、今この瞬間にも感じられる素敵な音楽。 ・ 命あるものの温もりを。 ・ なんでこんなにつらいのに生きていかなきゃいけないの? 毎日苦痛しかないのにどうして死んじゃいけないの? そう問う私の心に響いた本。 ・ 「命」が一番大事な荷物で、生きている限り「生きること」。 そして。 私は今、生きています。 あるち こんにちは、初めまして。 うつ病と診断され現在は休職中です。 4か月程経ち以前よりは落ち着いてきている状態ですが、やはり波があるようです。 今は、うつ病になってから同棲している彼に助けてもらいながら生活しています。 早く何とかしたいと思えるようになってきた最近にナミさんのブログに出会いました。 いろんなことが詳しく書いてあり、特に支援面での悩みがなくなりました。 他の記事も、体調のいい時は素直に読めますが、下がっている時は否定的になってしまいます。 彼もナミさんのブログを一緒に読んでいます。 焦りやいろんな不安やありますが、まわりやナミさんに支えられながら前に進んでいこうと思っています。 このブログを書いてくれてありがとうございます。 長々と失礼しました。 ナミ あるちさん、初めまして。 社会制度を利用することで、生活面の負担は軽くなりますよね。 それだけでも気持ちは随分ラクになります。 このブログが少しでもあるちさんのお役に立てたのなら嬉しいです。 こうしてお声を聞かせてくださり、ありがとうございます。 彼の支えも心強いですね。 このブログを一緒に読んでくださっているとのことで、あるちさんへの優しさを感じます。 それはきっとあるちさんの良くなりたいという前向きな気持ちが伝わっているからこそなんでしょうね。 そんなお二人にブログを見ていただけて光栄です。 ここに書いていることは、あくまで私の個人的な考えなので、それをヒントに(あるいは反面教師として)あるちさんの答えを見つけていただければと思います。 焦りや不安は尽きませんが、自分のペースでじっくりと進んでいきたいですね。 季節の変わり目ですので、お身体に気をつけてお過ごしくださいませ。 terulet はじめまして。 このブログに出会えて良かったです。 強迫性障害が日常生活に影響を及ぼし、最初に入った高校を転出して、通信の高校や通信の大学に通ってきましたが、特に大きな進展がないまま10年近くが過ぎてしまいました。 その間に友人とも疎遠になり、失った時間と人間関係を考えると途方に暮れてしまいます。 昨年あたりから強迫性障害の症状が和らぎ始め、少しずつ活動できるようになってきたのですが、頑張れば頑張るほど自分の出来無さにガッカリしたり、少しペースを落とすと、自分の頑張れ無さに腹が立ったりと壁にぶち当たっています。 正直、回復期がこんなに辛いとは思いもしませんでした。 周りの人からは「これからだ」とか「社会に出れば、時間も人間関係も戻ってくる」と励ましてくれるのですが、現状を考えると疑念ばかりが浮かんできます。 冷静に考えると、「職歴なし」「友達なし」という現実は、かなり深刻ですよね。 そういった日々の中で、このブログに励まされながら過ごしています。 このもどかしい時期を、何とか乗り越えたいと思います。 ナミ teruletさん、はじめまして。 10年もの長い間、苦しい日々を送ってこられたんですね。 きっと私が想像する以上につらい毎日だったと思います。 teruletさんのお気持ちを思うと、言葉が見つかりません。 症状が和らいできてからの生活もまた悩ましいものですね。 自分にガッカリしたり腹が立ったり。 私もずっとそんな毎日を過ごしてきたので、そのもどかしさはよくわかります。 そして今でも未熟な自分にウンザリすることはしょっちゅうです。 周囲の人の励ましの言葉、ありがたくもつらいですね。 私も同じようなことを言われるたびに悶々としていました。 優しさは嬉しいけれど、どうしても将来の不安が拭えなくて……。 職歴についても相当深刻に悩んでいたんですが、よくよく考えてみると、そこがすべての元凶にはならないんですよね。 そして、「友達なし」は全然問題ないと思います。 上っ面の友情を維持するよりよっぽど健全です。 まぁ、こんな言葉は何の役にも立たないでしょうし、慰めにもなりませんけどね。 つらい中でも前向きに進もうとするteruletさん。 私の方こそ励まされる思いです。 このようなメッセージをいただき、とても嬉しいです。 ありがとうございます。 焦らず、じっくり、自分が納得できる答えを探していきたいですね。

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もう死にたいと思う時 五感で思ったこと感じたこと

死にたい 毎日思う

私も同じように考えてた時期がありました。 自分の場合は死にたいというより、消えたい、そもそも存在しなかったことにしたいという感覚でしたね。 人生辛いことはありますよね。 これは色んな本の受け売りですが、人生を線に例えると、上がったり、沈んだり、浮き沈みが激しいんですよ。 現在中三で楽しくないとのことですが、具体的に何が原因で楽しくないのか。 辛いのか。 悲しいのか。 一度、箇条書きでもノートに書くでもして吐き出しがてらご自分の中で整理してみたらどうでしょうか。 その方が解決策が見つかるかもですし、誰かに相談する時話やすくなると思いますよ。 例 何となく寂しいぴえん。 先程の話ですが、人生は線で例えるなら浮き沈みがあります。 悪い時もあればいい時もある。 今が少し沈んてて悪いからといって、この先の浮き上がる幸せまで捨てることは少し勿体なくはないですか? 質問者様は生まれときから、辛かったのでしょうか。 その時から自分のことをクズだと思ってましたか? 思ってませんよね。 小さい頃は思いきり笑ったり、時には泣いたり、誰かに甘えたりすることありませんでしたか。 絵本読んで貰ったり、ゲームしたり、誰かと遊んだり、どこかに出掛けたり、手を繋いだり、懐かしく胸が暖かくなる大事な思い出は一つでもありませんか? そうやって色々考えると、人生って思ったほど悪いもんじゃない、そう思えるようになればもう少し楽に肩の力を抜いて生きれると思います。

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死についてあなたはどう考えますか?

死にたい 毎日思う

毎日ふとした瞬間に、死にたいなぁと思います。 なんでこんなに死にたいのに生きてるんだろう…。 普通に生きているだけで疲れて死にたいと思うのは、生き物としてどうなんだろうと、生きることに向いていないと思います。 生きることに向いてないと思い込んでいるだけなのかも?でも、今更認知の歪みを矯正することもめんどくさいです。 もう全部めんどくさいから早く死にたいです。 就職したら、結婚したら、子供ができたら、死にたく無くなるかと思っていましたが、変わりませんでした。 どんなに周りに認められても、愛情を向けられても、無価値観が消えません。 誰がなんと言おうと、私が私の存在を価値のないもの、いらないものだと思っています。 母親との関係に原因があるのは自覚し、今は母の事を恨んでいませんし、性格の相性が悪かったんだなと思います。 でも、そこから、親と私は別物なのだから、自分の人生を楽しんだりやりたい事をやろう!とは何故かならず… たまに幸せだなと思う事はありますが、生きているだけで疲れて苦痛を感じるので、早く死にたいとしか思えません。 私はなんなんでしょうか。 ただの怠け者なんでしょうか?.

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