舩後 ふ な ご 靖彦。 通常国会閉会を受けて 舩後靖彦議員 : 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)

(障害者と防災) 誰が支援し、どう避難するか 今すべきことは 舩後靖彦さん、横澤高徳さん

舩後 ふ な ご 靖彦

記者会見 全編 33分12秒 難病ALS当事者 全身麻痺ギタリスト 株式会社アース副社長 生年月日:1957年10月4日 岐阜県生まれ。 千葉県立南高等学校から拓殖大学政治経済学部を卒業。 1982年 酒田時計貿易㈱入社、商社マンとして活躍。 1999年 41歳の夏に突如、箸、歯ブラシ、ペンが上手く握れなくなる。 翌年5月ALSの告知を受ける。 麻痺は全身に及び、2002年 人工呼吸器、胃ろうを装着。 2008年 最後まで働いていた右手中指も麻痺。 現在は歯で噛むセンサーでPCを操作しながら詩歌や童話などの創作活動、意思伝達装置「伝の心」を用いての講演活動に取り組む。 松戸市常盤平在住。 私は今、看護・介護サービス事業の㈱アース 松戸市 取締役副社長、サービス付高齢者向け住宅「サボテン六高台」の名誉施設長として経営監視を担っております。 健常者なら1秒ですむパソコン作業が私には1分かかる状況の中、「苦難は幸福の門」と信じ執筆・講演活動をしています。 縁あって11年前に立正大学で講演し、文学部哲学科のゼミ生の卒業論文の指導を学生と対話しながら担当するようになりました。 これまでに一番印象深い対話が「命の役割」についてでした。 これがきっかけで「命の静から動への移行の中に感動がある」という講演をしました。 また2015年3月発行の「立正大学人文学研究所年報 別冊 」には、人文学研究所客員研究員としての論文扱いの講演原稿三篇が掲載されました。 2014年には時事通信社配信の連載コラム〈「ALSそろり社会参加」12回〉を執筆した他、2015年には日経新聞社の連載コラム〈「患者の目」4回〉を執筆しました。 現在は、福祉業界新聞シルバー新報の連載コラム「フナgoスタイル ALS副社長の業務日誌」を執筆中です。

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舩後靖彦(ふなごやすひこ)の学歴や看護・介護の会社名は?全身麻痺で弾くギター動画も調査!|AgaLog

舩後 ふ な ご 靖彦

れいわ新選組の舩後靖彦氏と山本太郎 【当確㊗️】 ふなごやすひこ(全国比例区・特定枠1)🎉 — れいわ新選組(東京選挙区は「野原ヨシマサ」全国比例は「山本太郎」と書いてください!) reiwashinsen 参院選の比例代表(改選数50)で、政治団体「れいわ新選組」が1議席の確保を確実にし、介護が欠かせない重度身体障害者の舩後靖彦氏(61)=特定枠1位、新人=が当選を確実にした。 舩後氏は、商社マンだった41歳で全身の筋力が低下する難病「筋萎縮性側索硬化症(ALS)」を発症。 自力でほとんど体を動かせず、意思疎通には特殊な機器が必要だ。 現在は、介助者の助けを借りながら看護・介護サービス会社の副社長を務める。 国会の現状では、重度身体障害者が通常の議員活動をするのは困難とみられ、幅広いバリアフリー化が求められそうだ。 引用元: 公式サイト 冒頭でも述べましたが、れいわ新選組の特定枠1位で衆議院選に当選した舩後靖彦氏は、重度の身体障害を患わっています。 そんな舩後靖彦さんの学歴や経歴を調べてみました。 名前:舩後靖彦(ふなご やすひこ)• 生年月日: 1957年10月4日• 出身: 岐阜県• 高校: 千葉県立千葉南高等学校• 大学: 拓殖大学政治経済学部• 特技:ギター演奏• 職業:介護会社役員・ギターリスト・政治家 舩後靖彦さんは1957年10月4日生まれで現在61歳です。 岐阜県に生まれ幼少期を過ごし9歳より千葉県に移住した後、現在も千葉県松戸市常盤平に住んでいるそうです。 地元の 県立千葉南高等学校を卒業し、 拓殖大学政治経済が部に進学。 大学卒業後はプロミュージシャンを目指すものの、夢は叶わず挫折。 1982年(当時24歳)の時に、 酒田貿易時計に就職しました。 商社マンとして営業部に配属された舩後靖彦さんは、高級腕時計やダイヤモンを扱う仕事に従事。 入社当時はバブル期ということもあり、不動産や貴金属などの高額商品が飛ぶように売れたそうです。 さらに 「バブル崩壊後も8年連続で6億円以上」の売上を叩きだしたそうですから、本当に優秀な営業マンだったようです。 そんな順風満帆な人生をおくってきた舩後靖彦さんでしたが、41歳の時に異変が生じます。 ALS(筋萎縮性側索硬化症) 2000年5月にALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されます。 2005年5月に「ALS」という病気である事を告知された 舩後靖彦さんの全身は麻痺し、2001年には呼吸筋が衰え期間を切開し声をだせなくなってしまいます。 胃に直接チューブを通し、流動食を流し込む『胃ろう』が必要な重度の状態になり、 一時は自ら命を断つことも考えたそうです。 ALSを患いながらも会社役員として活躍 重度のハンデを負い、当初はかなり落ち込んだ舩後靖彦さん。 入院中に医師からの薦めもあり 同じハンデをもつ患者さんの悩みや不安を解消するため 「話を聞いたり、アドバイスする活動」をはじめた 舩後さん。 コンピュータを使って患者さんとの会話をする事を通し『徐々にやり甲斐や希望』を持つ事ができるようになった舩後靖彦さんに再び転機が訪れます。 『生きる目的や意味』を持てるようになった舩後靖彦さんは、持ち前の行動力を発揮し精力的に活動を開始。 2004年4月: 株式会社ケアドゥの相談役に就任(愛知県名古屋市の訪問介護事業会社)• 2005年3月: 「地域生活を支援する会ふわふわ」の会長に就任(千葉県市原市)• 2012年: 株式会社アースの副社長に就任(千葉県松戸市)、サービス付き高齢者向け住宅『サボテン六高台』の名誉施設長として経営に参加。 それだけでなく、 執筆活動や講演活動も行い健常者の時よりも忙しく充実した日々を送っているのかもしれません。 さらに、政治家としても活動を始め、2014年には千葉県松戸市の市議選に立候補。 残念ながら選挙結果は 落選となりましたが、ますます元気に活動する姿は注目を集め、 今回は山本太郎氏が率いる『れいわ新選組』より参議院選挙にも挑戦することになり、見事比例1位で当選しました。 これまでの比例代表は、各党が獲得した議席の枠の中で、名簿にある候補者が得た個人名票の多い順に当選する仕組み、いわゆる「非拘束名簿式」です。 特定枠は、この非拘束の候補者の名簿と切り離して、政党が「優先的に当選人となるべき候補者」に順位をつけた名簿をつくります。 特定枠の候補は、個人名の得票に関係なく、名簿の順に当選が決まります。 この特定枠を使うかどうか、また使う場合、何人に適用するかについては、各政党が自由に決められます。 一方で、特定枠の候補は、選挙事務所を設けたり選挙カーを使ったりするなど個人としての選挙運動は認められていません。 選挙の結果、特定枠の候補の名前が書かれた票は、政党の有効票となります。 しかし 「れいわ新選組」の山本太郎さん本人は、残念ながら落選。 国会議員はつぶしが利かないといわれていますし、選挙に落選すると ただの人になっています。 次回の衆議院選に出馬すると思われますが、衆議院議員の任期満了は2021年10月21日。 下手をすれば 2年以上も無職になる可能性もあります。 しかし、流石にそこも考えていたようですよ。 山本太郎氏は、政見放送の中で既に介助者の本会議への入場について言及しています。 前議員バッジで自由に出入りできない本会議場・委員会室の傍聴席以外の議員席への介助者のアクセスを既に問題提起済みなのです。 賢いでしょう? — Koji Matsui 松井孝治 matsuikoji 山本太郎さんは選挙に当選したら党首として自由に活動できます。 仮に落選しても二人の候補者 「舩後靖彦」「 木村英子」の介護者として登院し、スポークスマンになろうと考えているたようです。 というのも、今回の選挙で 政党要件を満たせば、議員でなくとも維新の松井一郎代表のように「非議員の党首」として党首討論に参加できるんです。 公職選挙法上 「政治団体が政党として認められるには」 現職国会議員5人以上、もしくは直近の衆院選か参院選で全国での 得票率2%以上のいずれかを満たす必要があります。 全国での得票率2%以上を確保するには、現状は約120万票獲得すればいいと言われています。 山本太郎さん率いる「れいわ新選組」は、すでに150万票以上集めていますので政党要件は満たしております。 ということは、 「れいわ新選組」の山本太郎さんは 「得票率2%を達成できれば、自分が落選しても問題ないと考えていたはずです。 介護者として「つい添え」できれればいいので、選挙戦は案外ゆったりしていたのかもしれません。 今後の政治活動に関しても「参議院選挙」でこれだけ注目を集めたのだから、マスコミに注目されない事はありえませんので十分に目立つことができます。 これが山本太郎さんが描いた「れいわ新選組」の戦略ならなかなかの策士かもしれませんね。

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船後(舩後)靖彦議員の経歴!結婚はしてる?国会での意思疎通はどうやってするの?|Media Sunshine

舩後 ふ な ご 靖彦

商社マンとして優秀な成績収めていたが... 舩後氏は人工呼吸器とチューブを通じて流入食を流し込む胃ろうを装着。 歯で噛むセンサーを使ってPCを操作し、介助者を通じてコミュニケーションを取る。 体はまひしているが、精神活動に大きな影響はない。 9歳から千葉で育った。 大学卒業後、酒田時計貿易に入社し、商社マンとして活躍した。 ダイヤモンドや高級時計を売る会社の営業マンとして、バブル崩壊後も年に6億円台の売り上げを8年連続たたき出すほどの成績を収めていた。 1999年、41歳の夏。 突如、体の異変を感じるようになる。 娘さんとの腕相撲に負けた。 はみがきをしようとした手から歯ブラシが落ちたり、通勤かばんが重くてたまらなくなったりした。 ペットボトルのふたも開けられなくなった。 同年12月には舌がもつれ、ろれつが回らなくなった。 翌年春、ALSと診断される。 ALSは体中の筋肉が弱っていく病気。 原因がわからず有効な治療法も確立していない難病だ。 難病情報センターによると、日本全国には約9600人以上の患者(2017年度末現在、特定疾患医療費受給者証所持者数の統計)がいる。 精神活動に影響はないが、体が動かなくなっていく。 舩後氏は呼吸筋も衰え01年、44歳の時に気管切開をした。 声を失った。 翌年には噛んだり、飲んだりすることができなくなり、口からの食事ができなくなった。 胃ろうを医師に勧められ頑なに拒んだが、餓死寸前のところで胃ろうの手術をした。 気管切開はしたが慢性的な酸欠状態に陥り、人工呼吸器をつけるかどうか判断が迫られていた。 「呼吸器は付けない」と決めていたが揺らぎ始める。 同じ症状や悩みを持つ仲間同士が助け合う「ピアサポート」を、医師に頼まれて始めたのがきっかけだった。 舩後氏は医師からALSの告知を受けた人にアドバイスをしてほしいと頼まれていた。 舩後氏は、指や額、しわなどの動きを拾い上げてセンサーを使用して文章を打ち、電子メールのやり取りや、メールを自動音声にして読み上げることができるようになっていた。 舩後氏はALSの告知を受けたばかりの患者と、センサーを使って体の一部を少し動かすだけで、文字をシステムに入力して言葉を伝える装置「伝の心」を使って話をし、病気やまひに苦しむ人々とメールを交わすようになった。 ピアサポートという生きがいを得た舩後氏は02年8月、呼吸器をつけて生きる道を選択した。 看護師から受けた理不尽な仕打ち ALS発症後の4年目だった。 千葉市中央区の病院に入院中のころ。 入浴後に机やベッドデスクの位置がおかしく、直してもらおうと看護師を呼んだ。 直してはくれたが位置がいまだにおかしく、正してもらうよう要請。 そのとき、看護師が何かをわめきながら机を蹴飛ばしたという。 舩後氏は7月3日の出馬会見で、報道陣に対し、病院で受けた仕打ちに触れたうえで「ショックでした」と伝えた。 その時住んでいた施設でも自身が退去する11年11月までに、入居者に対し、看護師が舩後氏にした類似の行為をする介護士が5人までとなり、13年に市行政の調査が入ったという。 7月3日の出馬会見で舩後氏は、16年7月に起きた神奈川県相模原市の障害者施設殺傷事件などを踏まえ、「1919年、世界で最初に人種的差別撤廃提案を国際連盟委員会において主張した日本が、なぜ、障害者、さらには人間の価値を生産性のみで捉え、優生思想や障害者差別が色濃い国になったのでしょう」としたうえで、 「戦後欧米の労働生産性が高いものを尊ぶ文化、金もうけがうまい人を尊敬する風潮が流入したからだと私は考えます」 と分析。 そして、「生産性が高いものを尊ぶ風潮が日本に蔓延している限り、相模原施設殺傷事件のようなことは再び起こる可能性があります。 なぜなら、あの難病専門の病院の看護師のようなタイプのナース、介護士は、生産性もない重度障害者は生きている価値がない、という考えがあるかもしれないから」としていた。 「自分と同じ苦しみを障害者の仲間に味わわせたくない」 投開票を迎えた21日。 舩後氏は立候補した理由について「自分と同じ苦しみを障害者の仲間に味わわせたくない」と介助者を通じて伝えた。 そのうえで舩後氏は、障害者総合支援法で定めている障害福祉サービスの「重度訪問介護」に触れた。 重度訪問介護では、重度障害のある当事者が長時間利用できる。 「これはわたしのケースではありません」と断りつつ、最近の出来事として、次のように訴えた。 「頸椎損傷で全身まひ(の当事者)です。 介護保険もない状況。 江戸川区に申請をお願いしに家族に行ってもらいました。 いまは入院中ですが退院を迫られて、いろいろな施設に問い合わせをしても受け入れてもらえず、高齢者住宅で受け入れるよう区に相談すると、高齢者住宅にはまったく出しませんと断られました。 このように日常的に起こっている出来事だと思います。 障害者総合支援法と名称が変わり、総合的に日常生活、社会生活を支援するための生活と、小手先だけをいじった法律を、ぼくという人間を皆さんの目で見て、必要な支援とはなにか、今一度考え直していただける制度をつくっていきたい」(舩後氏) 報道陣からは、「れいわ新選組が多くの支持を得た理由は」という質問が上がった。 これに対し舩後氏は、 「山本代表の魅力」 と明かした。 ALS患者が発症後に立候補して、国会議員になった例はない。 山本太郎代表は同日の会見で、「国権の最高機関がALSの方でも国会議員としてやっていけるかということを柔軟に改革していかなきゃならない。 健康面に関してはチーム作りをやっているところです」と今後の方針を語っていた。 (J-CASTニュース編集部 田中美知生).

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